「彼方」と書いて


「アルミン、ちょっと教えてもらってもいい?」
「いいよ。どこ?」
「これなんだけど……」

座学の授業が終わり、美夜はノートとペンを持ってアルミンの所へ移動した。初めはクリスタに問おうとしたのだが、座学はアルミンが得意らしいからと断られてしまったのだ。美夜は快く了解してくれたアルミンにほっとし、アルミンは頼られたことが少なからず誇らしかった。

美夜はノートを開き、分からなかった箇所を問う。美夜は途中入団なので、知識がかなり飛んでいるのだ。美夜の話を聞いたアルミンはそれをすぐに理解して、自分のノートを開いた。

「ここだけど……読み上げた方が良いかな」
「ごめんね、お願いしてもいい?」
「もちろん。ゆっくり話すから、適当にノートにとって」
「ありがと」

アルミンは、美夜のノートにある言葉を一切理解できなかったのだ。使っている文字そのものが違っていた。アルミンは驚きながらも追及せず、授業を再現するようにノートに書かれていることを解説する。美夜はアルミンには読めない言葉で、さらさらとノートをとっていた。

ライナーと話していたエレンが、それに気付いてアルミンの肩を叩く。当初と比べ、エレンの美夜に対する態度はかなり柔らかくなっていた。

「何してんだ?」
「ミヨが分からない所あるって。結構授業飛んでるから、解説してるんだ」
「へー……って、ミヨそれなんだよ。読めねえ」
「私が住んでたところでは、こういう文字を使ってたから……」
「だから授業中、教官の板書を写さないで、話すのに合わせてメモしてるのか」

ライナーが腑に落ちたように言う。美夜はノートにペンを走らせたまま頷き、手が止まるとアルミンは解説を再開させる。小さく頷きながらノートをとる美夜は、アルミンの説明を一度できちんと理解しているらしい。

十五分ほどでアルミンが説明を終えると、美夜はありがとうと言って笑う。エレンもアルミンの説明を聞いていたが、忘れていることが多いのか「そうだっけ」と何度か呟いていた。ライナーは興味深そうに美夜の文字を眺めている。

「アルミン、助かったよ。説明上手なんだね」
「そんなことないよ……ミヨの理解力が高いからだよ」
「謙虚だなあ。またお願いするかもしれないけど、いいかな……?」
「僕でよければ」
「良かった。本当に分かりやすかったから」

直球で褒める美夜に、アルミンは照れ隠しに視線を逸らした。美夜はまた少し笑って、いつの間にか美夜のノートをとっていたライナーからそれを返してもらう。「全く読めん」「だろうね」と軽い調子で言い合い、エレンの一声で昼食に向かった。


* * *


一日の訓練と夕食を終え、訓練兵たちは宿舎に戻った。真っ先にベッドに突っ伏したのはジャンで、そんなジャンをマルコが苦笑しながらも心配そうにうかがう。いい気味だ、と鼻で笑い飛ばしたのはエレンだった。

「へらへらしてるからだ」
「うっせぇ死に急ぎ野郎が……ったく、どこにあんな力があるんだか」
「あっははははは!あん時のジャンの顔ってばあははははは!!」
「うっせーよ!」

コニーが笑いながら、腹を抱えて床を叩く。ジャンが叫ぶが「痛……っ」と呟いてそれ以上抗議出来ていなかった。手当てをするからとマルコがジャンのシャツをまくると、その背中は薄くだが青紫になっていた。

「うわあ……ジャン、色変わってるよ」
「くっそ……」
「なあなあジャン。触っていい?触っていい?」
「やめろコニー」
「マルコそこ代われ、俺が薬塗ってやる」
「やめろエレンやめろ」

うつ伏せのまま言うジャンは、いつになく生き生きとするコニーとエレンを睨む。マルコは悪戯したがる二人を止めながら、ジャンの背中に薬を塗り始めた。コニーは早々に諦めて痛みに呻くジャンをにやにやと眺めていたが、エレンは隙あらば背中を叩こうとしていた。そんなエレンの襟首をライナーが掴んで止める。

ジャンがこうなったのは、午後の対人訓練の時だった。二人一組で格闘の訓練をするとき、美夜とジャンがペアになった。男女である上に身長差がある二人がどうして一緒になったかと言えば、偶然近くにいたからだ。美夜は小柄で細く、片腕は使い物にならない。ジャンは加減してやらないとと思っていたのだが、気を抜きすぎたのか、美夜に投げられたのだ。背中から地面に落下した結果、驚きすぎて受け身も取れず、痣になってしまった。

美夜はひたすら謝り倒し、満足に動けないジャンにおろおろとしていた。夕食後、美夜を迎えに来たのはペトラで、敬礼と同時にうめいたジャンとそれが気になったのか満足に敬礼出来ていなかった美夜に、困惑しつつも理由を聞き、口元をおおって笑っていた。

「ジャン、綺麗に宙を舞ったよな」
「もう言ってやるな、エレン」

ジャンの男としてのプライドをつつくエレンは実に楽しそうである。次はお前がミヨとやれ、とジャンが呻きながら言う。訓練後すぐに手当てをしたかったのだが、風呂に入るのを優先した結果、そんな時間もなかったのだ。

「ミヨが格闘出来るとはな……座学もできるみたいだし」
「やっぱり引き抜かれただけはあるってことだろう」
「筋肉あるって感じじゃないのにね」

コニー、ライナー、マルコが言う。美夜は何事もそつなくこなしていたが、重りを背負ってのランニングの時に息を切らせていたこともあって、力があるという印象は薄かったのだ。今度コツを聞いてみようか、とエレンは一人考える。

薬を塗り終わったジャンは、顔をゆがめながら体を起こして座った。

「調査兵団の秘蔵っ子は片腕でも十分ですってか。お付きの兵士がいるくらいだからな」
「同じ人とは限らないみたいだけどね。補助なのかな……まさか護衛とか?」
「マルコ、護衛はないだろ。荷物持ちじゃねーの」

軽く笑ったエレンの視界に、なにやら思案気なアルミンが映る。しかも何故かこちらを見つめたまま、真剣な顔で思案気なのだ。どうしたんだよ、と怪訝な声で問いかけると、アルミンははっとしたように瞬きをした。その話なんだけど、と口を開きながら輪に加わる。

「その話って……ミヨのことか?」
「うん。あの兵士は……補助とか荷物持ちじゃないと思う」
「じゃあなんだよ」
「……ミヨの監視、かな」

アルミンの言葉に、全員が眉を寄せた。一気にそれぞれの表情が真剣なものになり、どういうことだとジャンがアルミンを促した。

「僕が思うに……ミヨが引き抜かれたっていうのは本当だろうけど、ミヨは進んで協力してる訳じゃないんじゃないかな。独自の文字を使ってるくらい、地下街には独自の文化があるみたいだし」
「……強制的にってことか?」
「エレン、君も覚えていると思う。ミヨの目的は生きることだ。巨人はそれを脅かすから殺すって。……ミヨにとって巨人を倒すことは、進路上にある石を蹴飛ばすことと同じなんだよ。でもそれも、ミヨが地下街で生きてる限りは必要なかったはずだ」
「だからなんだよ。分かりやすく言ってくれよ」

クエスチョンマークを飛ばすコニーに、アルミンはごめんと謝った。アルミン自身予測ばかりのことで、上手く言葉がまとまらないのだ。首を捻るのはエレンも同じであり、アルミンはどう言おうかと頭を回す。ちょっとまって整理する、と顔をしかめるが、マルコがなるほどと声を上げた。

「ミヨは引き抜かれたっていうより……調査兵団に協力せざるを得ない状況になったってことかもしれない。さっきエレンがいったように、強制だよ」
「うん、脅されたとは考えたくないけど……地下街から調査兵団に行くことを強制されたとする。ミヨはそれを断らなかったんじゃなく、断ることが出来なかった。抵抗したけれど、腕を折られて、今でも監視がついている……帰りたくても帰れない。戦わなければ殺される。巨人か、人間か、どちらかに」
「そんな訳ーーーー」
「確かにそうかもな」
「ジャン!」

調査兵団が悪く聞こえる言い分に、エレンは否定しようと口を開く。しかしジャンがそれを遮って頷いた。それなら納得がいく、と思い出したのはいつかの美夜の言葉だった。

「ミヨがお守りって言ってる棒、あるだろ?あれがあると力が出るとかも言ってたけど……すげえ大事なものらしい。できるなら肌身離さず持ちたいってな」
「そうなの?じゃあどうして調査兵団が……」
「マルコ……あれはカタナっていう剣なんだと。抜けないように紐で縛ってるが、剣らしい」

エレンは言葉を飲み込んだ。否定したいのに、その予測で全てに説明がついてしまうのだ。

剣はつまり刃物、凶器になる。美夜が強制的に協力を強いられ、いつ反抗するか分からないとしたら、大事なものとはいえ取り上げるのは当然だ。ならば何故訓練の時には与えているのか。それは、そのお守りの力によって美夜が力を増すからだ。それを奪って逃げることをしないのは、何か人質のようなものをとられているからかもしれない。真新しい骨折も、協力要請の際に抵抗した末の負傷だと考えられる。

「……ただの想像なんだけどね」

重くなった空気に、アルミンの言葉がやけに浮いた。本当の所は分からないんだから、とライナーが緊張感を払拭するまで、彼らは黙ったままだった。

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