「居場所」と読む


調査兵団の宿舎にもどった美夜は、早速入浴を済ませていた。調査兵団の兵士が使うシャワー室ではなく、普段は使われていないシャワー室を使用する。ドアの外には、美夜を引き取りに来たペトラがおり、美夜は手早くシャワーを済ませて私室に戻った。左腕にはビニールを被せてシャワーをあびた。

毎朝掃除をしているのでーーリヴァイの指示だーー部屋は清潔に保たれている。美夜は肩にタオルをかけたまま、ベッドに腰掛けた。全身がだるく、今にもまぶたが落ちそうだった。早く寝て明日の訓練に備えなければ、と横になろうとすると、部屋のドアがノックされる。

「はい」
「俺だ」
「リヴァイさん?どうぞ」

ジャケットは脱いでいるが、まだ調査兵団の制服のリヴァイに「こんな格好ですみません」と謝る。リヴァイは気にした様子無く、我が物顔で椅子に腰掛けて足を組む。いつもだけど態度でかいなあ、と美夜もベッドから椅子に移動する。

「……お前なんか今失礼な事思ったろ」
「いえまさか」
「寝るところだったか」
「はい。でもお気になさらず」
「気にしてない」
「そうですか……本題はなんでしょう」
「ただの報告だ。……手掛かりは、今の所何もない」
「……そうですか」

やや落胆した様子の美夜だが、いたって表情は穏やかだった。諦めているともとれてしまうそれに、リヴァイは鋭い三白眼を細める。

「ミヨ、お前は帰れると思うか」
「正直、分かりません。でも帰ります」

美夜は困ったように笑う。こちらに来た時に、特別な出来事があったわけではないのだ、帰れる保証もどこにもない。それでも、美夜は帰らなければならなかった。美夜はあちらですべきことがあるし、守らなければならない大事な子がいる。諦める気は更々なかった。

リヴァイは美夜から一度視線を外して、お前の世界はどんな所だったか、と問いかけた。考えているらしい美夜の表情は柔らかく、声音も優し気だった。

「一般人の生活は、ここと変わりありません。子供は遊んで、学生は勉強して、大人は働いて……。巨人のような脅威がないので、平和を疑わずに生活してます」
「学園に通っていたんだろう」
「はい。全寮制の学園で、昼に勉強をする普通科と、夜に勉強をする夜間部があります。夜間部は全員吸血鬼で、皆いい人ばかりですよ」
「人を襲わない吸血鬼なのか」
「そうですね、理性で本能を制御してます。吸血鬼だけの夜間部は容姿端麗で頭脳明晰な人ばかりで、普通科生からの人気が高いんです。普通科生は、夜間部が吸血鬼だと知らないので……秘密を守る保安要員として、三人の風紀委員がいます。私と、あと二人で」

話す美夜は嘘偽りなく楽しそうで、リヴァイは密かに口の端を上げる。そういえばこいつは十六なんだった、と思い至った。大人びた雰囲気から忘れそうになるが、自分からすればまだまだ子供だ。リヴァイが話を促すと、美夜は戸惑いがちにだが続ける。

「……仲が良かったのか」
「はい。一人は小柄な女で、もう一人は常に眉間に皺を刻んでる男です。女子の方は、体を動かすことが好きで、座学は苦手なんです。とても明るくて元気をもらえます。男子の方は、静かなタイプです。短気なところがありますけど、優しくて面倒見がいい……ってすみません、話しすぎですね」
「俺が聞いたんだから気にするな。で、仕事は?」
「えっと、学園に入ってからは仕事がこないようになってるんです」
「ふうん。……ミヨ、意外によく喋るな」
「いつもより饒舌だとは思いますけど。それ、リヴァイさんが言います?」

美夜はお喋りではないが、特に無口な訳でもない。またリヴァイはクールな外見と裏腹に、よく喋ると自覚している。二人は視線を合わせて小さく笑った。

すると美夜の頭が少し揺れた。一度はひいた睡魔が襲っているのだ。美夜は欠伸を噛み殺し、右手に爪を喰い込ませて眠気をやり過ごした。眠いのか、とリヴァイに問われ、肯定しにくいが否定も出来ずに苦笑する。

「……じゃ、俺はこれで」
「え、いえ、あの」
「休めるときに休むべきだからな。……ミヨ」
「はい」

リヴァイは椅子から腰を上げ、同じように立ち上がった美夜を見、自分が折った左腕を一瞥する。眠さが拭いきれていない目はややとろけているが、しっかりとリヴァイを見ていた。リヴァイは腕を組み、少しの間を置いて問いかける。

「元の世界に帰れなかったら、どうする」
「……帰ります。帰れないとか帰れるとかじゃなく、帰らなきゃならないんです」

呟くように答えた美夜の声は弱く、まるで泣きそうに見えた。

美夜は年齢に不相応なくらい落ち着いた雰囲気を持っていて、リヴァイに腕を折られた時でさえも冷静だった。自分の立場を少しでも良くしようと取引をもちかけ、しかし牢に入れられる状況の悪さも理解していた。聞き分けの良すぎる美夜に、リヴァイはどこか気を抜いていた。いきなり知らない世界に放り出され、不安を抱かない方がおかしいのに。

年端もいかない女とはいえ、味方であると完全に信用したわけではない。だが、その力や考え方を認めているのは確かだった。監視する立場であるリヴァイに美夜を甘やかすことなど出来ないし、するつもりもないが、それでも自分は呑気だったようだと思う。

「……ミヨ」
「はい」
「お前は、この世界が好きか」

美夜は小さく目を見開いて、視線を床に落とす。言葉を選ぶように口を開いたり閉じたりを繰り替えし、最後に自嘲を零して言った。

「……大嫌いです」
「……」
「温かいご飯はないですし、巨人なんてものがいますし、私は異物ですし、敵意を向けられるのも疲れますし、大嫌いです」

リヴァイは、おもむろに美夜の頭に手を乗せた。くしゃりと軽く撫でると、美夜が俯きながらも目を細めているのが分かる。餓鬼め、と心の中で笑い、濡れた手にわずかに顔をしかめた。風呂上りの美夜の髪に触ったのだから当然なのだが、頭が回っていなかったらしい。

「お前は……優しい奴だな」

手を離してそう呟くと、美夜は困ったように笑う。リヴァイはそのまま背を向けてドアを開くと、おやすみなさい、という美夜の声を背中で聞いた。

外からドアの鍵を閉める音が、やけに耳についた。
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