わんこ、ジュースつくる


 期末試験時に犬フォームをお披露目したものの、その後すぐ夏休みに入ったため、クラスメイトの前で直接その姿を見せることはなかった。
 わたしが思っていたより獣姿の衝撃が大きかったことを知ったのは、林間合宿のときだった。
 普段の学校生活とは異なり、集団で、大部屋で寝泊まりする。初日の入浴後――わたしは一人だけぬるい風呂だった――目をキラキラさせたミナに獣化を乞われたのだ。

「すっごくカッコよかったから!もふもふしたい!」

 それ後半が本音では。
 特別隠している訳ではなく試験時に見せているので、特に渋ることなく頷く。テンションを上げたのはミナだけではない。皆、気になっていたらしい。そりゃそうか、人間が獣になるんだもんな。おまけに、あちらの世界のレアな魔獣の姿だ。皆からすればちょっとファンタジックで面白いのだろう。

「いいけど……魔法みたいにポンって変わる訳じゃないから、変身する間は見られたくないんだよね。ちょっとグロテスクだし」
「いいよ!待ってる!壁向いてたらいい?」
「うん」
「ねえ、ポチ、ついでっていうか……太ももの刺青、どんな柄なの?」
「あー……これはねえ、蜘蛛だねえ」

 ジャポンと同じくこの国も刺青は珍しいらしい。個性豊かなためか、ジャポンよりも寛容なのがありがたい点だ。学校のプールの授業では、着替える順序に気を付けていればバレなかったのだ。
 女同士で恥じらう必要もないと、ズボンを脱いだ。右の内腿の蜘蛛の刺青に、「うわあ」や「かっこいい」や「痛そう」といった反応をもらう。正式な盗賊団員ではないためナンバーは無いが、紛れもなく某団体の関係者であることを示す印だ。見る人が見れば、殺気をみなぎらせて襲ってくるだろう。
 触ってもいいよ、と言ってみると、何人かがそろそろ撫でる。「うわ彫ってある……」オチャコが顔をひきつらせた。露骨すぎて笑った。

「はは、そりゃ刺青だからね。皮膚の薄い所は痛いっていうから、ここも本当なら結構痛いと思うよ」
「痛くなかったん?……って、そっか、ポチちゃんは痛くないんか」
「そうだよー。獣になるのも、普通の人なら相当痛いらしいよ」
「骨格から全て変わっていましたものね……痛い、なんてものでは無いのではありません?」
「ショック死するレベルって聞いた。んでトオルはそろそろ撫でるの止めない?見えないし感じないけど分かるからね」
「珍しくてつい」
「ケロ。いくら同性とはいえ、内腿を撫でるっていう図はあまり健全じゃないわね」
「ツユちゃんの言う通り!んじゃ、全部脱いで変身するから、全員壁の方向いててー」

 キョウカ、ミナ、トオル、モモ、ツユちゃん、オチャコの背中を確認してから、Tシャツも下着も脱いで畳む。
 姿を変えることに、特別な何かは必要ない。あえて言葉にするなら「よっこいしょ」だ。体中の骨を砕き、再構築し、内臓が暴れ、筋肉が貼り直される大仕事だが、痛くも痒くもないし慣れてしまっている。ちなみに、普通の人間より治癒力が高い理由はココにある。"絶"で療養すればさらに加速すると思われるが、わたしは"絶"が数秒しか出来ないので実行出来たことはない。
 視界に入る手が前足になり、首をひねって尻尾があるのを確認して、壁を向いている彼女たちの前に姿を見せた。
 途端、きゃあきゃあと騒ぎ立つ。

「うわ、かっこいい!モニターで見るのとは全然違うね!」
「結構大きいし!毛並みもサラサラ!モフモフ!」
「すっごーい!ねえねえ、またがるのってアリ?」
「犬とも、狼とも違いますわね」
「その状態では、ポチちゃん、喋れないのかしら?」
「爪も牙もある!ポチちゃんって分かってるから可愛いけど、この大きさで襲われたらこわいかも」
「アウアウ、ワフ。ワフ!」

 毛並みが良いことは自覚しているが、全方位から撫で繰り回されるのは慣れていない。この状態でももちろん触覚ないんだよ!至近距離で囲まれちゃうとちょっと落ち着かないよ!クラスメイトだと分かってても、獣に引っ張られているので普通に威嚇しそうになるよ!
 思わず、女子の輪から飛び出る。残念そうな声がしたが、獣は身の危険には人間よりも敏感だ。安全地帯を求め、そのままするりと部屋を出た。
 この状態でウロウロするのはマズイ、という意識はある。向かったのは、A組男子の大部屋だ。
 ちょうど、部屋を出ていたらしいハンタとデンキがドアを開けたところだった。「うわ!?」「なに!?」足元をすり抜けて部屋に入り、数人で輪になっている飼い主の元へ一直線。

「え、ポチ?」
「ワン」
「なんだ、どうした?」

 女の子の押しが強いよう。予想以上だよう。
 あぐらをかいているショートをぐるりと一周して、あぐらに体を乗せるようにして伏せる。わたしの動きと長いしっぽでトランプを蹴散らしてしまったようだった。ごめん。
 顔を撫でられ(たような気がする)、耳を撫でられ(たような気がする)、ショートはアニマルセラピーしながらわたしを宥める。

「女子から逃げてきたのか?」
「クゥーン」

 最初に声をかけてきたのはイズクだった。

「と、轟君、その、ポチさん?」
「おう。ポチだ」
「すごいね……生で見たのは初めてだけど、なんというか、その、すごいね……」
「でけぇだろ」

 そういえば、イズクには獣姿を披露するという約束をしていたのだった。存分に観察してもいいよ、という意味を込めてショートのあぐらからイズクの隣に移動する。座り込んでいるイズクは、おすわりの体勢のわたしよりも頭の位置が低いせいか、少しビビっているようだ。
 他の男子生徒もソワソワしている。ミノルはハンタが捕獲していた。ナイスである。獣なので触られても気にしないが、性欲の権化だと思うと嫌である。嫌なのである。
 ショートが、他の男子や部屋をのぞきにきた女子に「ほどほどにしてやってくれ。触られてんの、分かんねえから」とありがたい注意をしてくれる。
 本当に出来た飼い主だなと実感しながら、イズクの肩に顔を押し付ける。触ってもいいよ。

「狼でもないし、狐でもないし……毛色は髪色と一緒なんだ。タテガミっぽいのもある。尻尾は長いね……ふわふわよりサラサラって感じか。馬の尻尾っぽくもあるけど、もうちょっと束感……架空の動物なのかな。あ、首に羽根が生えてる」
「おい緑谷、独り占め良くねぇぞ!俺もいいか?」
「あ、切島君」
 
 いいぞいいぞ。
 エージロをきっかけに、男子生徒に一撫でずつされる。意外なことにカツキも参加した。大きい動物ってロマンだもんな、分かるよ。
 男子と戯れた後は、申し訳なさそうにする女子と、注意してくれていたショートのもとへ。わたしは伏せた状態で、ショートの脚の間に入り、そこから皆を見上げた。ごめんね、と眉を下げて謝られる。
 許す!こっちこそ、事前に話しておかなくてごめんね。ちょっとびっくりしただけなのだ。
 しゃがみ込んだモモが躊躇いながら手を伸ばすので、ショートの脚の間から這い出て体を寄せた。

「!ふふ、では部屋に戻りましょう。いくら獣の状態でも、殿方の部屋にいるのはよろしくありませんしね」
「あはは、ポチ全裸だしね!」

 トオルの一言に、場の空気が凍った。
 トオルにだけは言われたくない。




 初日は森でてんやわんやして終わったが、二日目からは本格的に鍛練が始まる。
 ワイルドワイルドプッシーキャッツという語感のいい名前のヒーローチームの協力のもと、生徒はそれぞれの個性にあったメニューをこなすことになっていた。
 ワイルドワイ……略してキャッツに、ラグドールという名のヒーローがいる。彼女の個性は"サーチ"だそうだ。これで生徒らの情報をことこまかに把握し、メニューを組み立てるのだが、わたしはこれを聞いた時点で冷や汗ものだった。
 どのようにして個人の情報を把握しているのか不明だが、もし"無個性"で"念能力者"だと察知されたら。本名やわたしの本来の所属先が知られたら。知らぬ存ぜぬでは通せない。
 幸い、能力の内容は把握してもそのカテゴリまでは開示されないらしかった。この世界では能力イコール個性なので、杞憂だったらしい。所属先や本名については、個人の能力ではなくラベルにすぎないので、ラグドールの個性で把握できる範囲外だったようだ。
 早朝から内心でドタバタしたわたしは今、水と水温計の入ったジョッキを前に座っている。
 
「うーん……」

 快晴のもと、モモとリキドーと並んでテーブルに座る。明らかに室内で事足りる修行内容だが、クラスメイトの大半が外で修行するので、こうして片隅にテーブルを出して座っている。
 モモは食事をしながらマトリョーシカを創り、リキドーは甘味を摂取しながら筋トレ。大食い大会と見まごう勢いで食べているが、それぞれ個性を伸ばすための課題である。
 わたしに与えられた課題は、水の温度を調節すること。氷や火は作り出せても、冷やしたり温めたり出来ないという点を"克服すべき弱点"と解釈されたのだ。確かに、温度調節が出来ればショートに頼らずとも体温の調整が出来、活動時間も大幅に伸びることだろう。
 しかし。再三言っているがわたしの能力はオーラであり念であり、個性ではない。オーラって温めたり冷やしたり出来るものなのだろうか?
 極悪盗賊団団長に、"円"が温かい、という旨の発言をされたことはあるが真偽は不明。団長自身が凄腕能力者だからこそ感じたのかもしれないし、気のせいかもしれないし、本当に温度変化があったとしても微々たるものだろう。
 わたしの能力は、オーラを氷と火に変えることだ。オーラを凍らせることでも、オーラを熱している訳でもない。まさしく変化系。

「ううんー?」

 とりあえずやってみようか。
 オーラをこめる?いや、これだとただの水見式だ。変化させる……と、ジョッキに氷が浮かぶし、目の前で炎が点滅する。水温計は多少上下しているが、"冷やす""温める"による変化ではない。
 ごめん先生、わたしにはこの課題ムリぽ……。

「っぐ、うぐ……!」
「あ、水あるよー」

 水温系を外しながら、喉を詰まらせたリキドーの前にジョッキ入りの水を寄せる。
 水はジョッキの半分ほどまで減る。大きく息をするリキドーに、怪訝な顔をしながら礼を言われた。

「助かった、ありがとな。けど、これ、水じゃなかったのか」
「え、水ですけど」
「なんか味が……レモン入ってる?たまにレストランであるだろ、ピッチャーにレモン入ってるやつ。あの味がする」
「ポチさん、レモン水をお持ちでしたの?その、口直しに少しいただけませんか?」
「イイヨ」

 レモン水ではなく、ちょっと酸っぱい水になっているだけだが。ビタミンCは含まれていないはずだ。
 ジョッキをモモにも回すと、モモはリキドーが口を付けていない場所で豪快に水を飲む。二人ともこってりしたものを食べ続けているので、レモン風味はいい箸休めなのかもしれない。水見式が役に立って良かった。
 
「水、もらってきます」
「俺がほとんど飲んだし、俺が」
「二人とも座ってて。わたし、気分転換がてら行ってくるから。また酸っぱくしておくし、欲しくなったら飲んでいいよ」

 空のジョッキを持って席を立つ。真面目に課題をこなしている二人の邪魔をするのは気が引ける。それに、わたしはクリアする目処の立たない課題を前に座り続けなければならないので、立てるタイミングで立ちたいのだ。
 あとの訓練時間は、ジョッキを前に目を開けたまま瞑想でもしようか。リキドーとモモの為に適度な水見式をしつつ。気合を入れすぎるとレモン汁並に酸っぱくなるので、あくまで適度に、だ。
 
「ゲート……転移……長距離移動……わたしごときの頭では難しいなあ、あーあー。制約とか誓約を厳しくしたらワンチャン、」

 あるかな。あってほしいな。あってくれよ。
 USJに来た黒モヤゲートに協力とりつけて詳しい発動条件を聞きたい。あわよくば、わたしの里帰りにも協力して欲しい。移動系個性の人、他にいないのだろうか。
 テーブルに戻り、ジョッキに水温計をさす。それらしく手をかざしてオーラを込め、ポーズはそのままに水見式を止める。いや、アクション無しで能力行使できることは知られているんだった、ポーズも必要ないか。
 分かっていたことだが、込み入った条件の"発"なんて、わたしには難易度が高すぎるのだ。



 炎天下で瞑想しつつ、無い頭をひねること数時間。お待ちかねの夕食の時間だ。
 初日の夕食は用意されていたが、二日目からは生徒らで調理しなければならないらしい。各クラス正副委員長が中心となって作業に取り掛かった。
 日中これといって体力を消費していないので、率先して野菜を切る。ヘロヘロのクラスメイトに、若干の申し訳なさがある。カツキほど手際よくは無いが、雄英入学前はフユミの家事を手伝っていたのだ、多分ショートよりも慣れている。
 エージロに「豆腐みたいに人参を切るんだな」と言われながら切ること数分。かまどからオチャコの声が聞こえた。

「どっかにマッチとか無いんかな?」
「あるよー!」

 わたしは包丁を置き、飯盒の準備をしていたショートの手首をつかむ。自分も挙手をしつつ、ショートに挙手を強要しつつ、バンザイの体勢でオチャコに手を振った。

「ここにいるよ!マッチ!」
「俺はマッチだったのか……」
「うん」
「わー助かる!火ぃつけてくれへん?」
「おっけ!B組の人も、困ってたら火つけるよ」

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