「挨拶」と読む


腕は治療されている。すりむいていた足はすぐに治ったが、骨折を瞬時に完治させる力はない。吸血鬼であれば話は別だが、吸血鬼に近くなることの出来る人間である美夜は、そこまで優れた治癒力を持ってはいなかった。話がついてすぐに刀の力を借りることを止めた、ということも原因の一つだ。理由は単純で、怪しまれると厄介だと判断したからだった。

そんな訳で、手当てをされ、刀を没収された美夜は牢屋にいた。

「待たせてしまったね」
「……いえ」

牢屋にあるベッドに腰掛けていた美夜は、鉄格子を隔てた廊下に顔を向けた。長身で金髪七三の男と、小柄で黒髪でやたらと目つきの鋭い男がいた。美夜を見張っていた兵士が、左手を背中に右手を左胸にあて、去っていく。彼らの敬礼だろうか、と美夜はそれを見送った。

金髪の方はエルヴィン、黒髪の方はリヴァイという名前らしいとは会話で分かっていた。初め、"得瓶(えるびん)"と"利倍(りばい)"かと思ったが、"オルオ"と聞いた時点で漢字に変換することを止めた。そして"えるびん"でなく"エルヴィン"、"りばい"でなく"リヴァイ"、だと感覚で理解していた。

変わった名前だ、と思う。変わったどころでなく、そんな名前があること自体驚きだった。巨人を見た時にも感じた嫌な予感が、さらに強くなった。

「君の待遇に考慮はするが、我々にとってはまだまだ不確定要素が多い。こんな場所だが、容赦してくれ」
「大丈夫です。手当てしていただいただけ、ありがたいですから」

苦笑して言うと、エルヴィンは柔らかく微笑む。だが目の奥が分かっていないことはすぐに分かった。隣に立つリヴァイの手には[天守月影]とベルトがあり、美夜はほっと息を吐く。

「改めて、私は調査兵団団長のエルヴィン・スミスだ。こっちは兵士長のリヴァイ」
「黒主学園高等部一年の、晃咲美夜です」
「?……コウサキが、名前か?」
「いえ……晃咲が苗字で美夜が名前です、けど」

名乗り方が逆らしい。エルヴィン・スミスと名乗られたが、エルヴィンは名前のようだ。エルヴィンとリヴァイは思案気だが、美夜も思案気だった。美夜は仕事柄、学園にくるまでは各地を移動していた。観光ではないので現地の人との関わりはほとんどなかったが、名乗りが逆である地域などあっただろうか。

「そうか……では、ミヨ。あの時の状況をもう一度、詳しく教えてくれ」
「はい。私は私室におり……その刀とベルトを持っていたのは偶然なんですが。気づくと草原で、巨人というものの前にいました。襲ってきたように感じたのですが、よくよく見ると、針を持つ昆虫を退けてくれたり、ただ私を捉まえようとしていたり……。襲っているというよりはじゃれているようで、巨人を観察しているうちに、集まって来てしまいました。集まった七体中四体は突然走り出してしまい、残りの三体も動き出してしまったので追いかけました。そこで、あなた方に」

問われたことにのみ正確に答える、というのが一番理想的である。自分からペラペラ話すことなど褒められたではない、とは美夜も分かっていた。にも関わらず一気に話したのは、敵意が無いことを伝えるためと、自分の立場が悪いことに変わりはないからだ。下手に出て、情報を掴んだ方がいい。

「……君は、巨人をどう思う」
「知能は感じられませんでした。私に対して無害でしたが……皆さんの反応を見る限り、一般的にはそうではないんですよね」
「ああ。巨人は人を食べる」
「人を、食べる……」

だからあれほど迅速に殺されたのか、とすんなり納得した。自分とて、相手が巨人ではないがやっていることは変わりない。自分に害がなかったのでいきなり殺されたことに驚いたが、すぐに冷静になれたのも仕事柄だろう。また、吸血鬼だって世間には知られていない存在だ、巨人がいてもおかしくはないと思ってしまう。

「おい、お前は壁の外から来たってことか」

壁は巨人から人を守るものである、という認識は既に美夜にあった。嫌な予感が確信に変わってくるのを感じながら、美夜は頷いた。

「そうなりますし……壁というものの存在も、巨人というものの存在も、今日初めて知りました。……ここは、私のいた世界ではないのだろうと考えます」
「沸いてんのかテメェ」

リヴァイさんとっても辛辣だ、と美夜は冷や汗をかく。鋭い三白眼が体に痛かった。威圧感には慣れているが、向けられないに越したことは無い。草原で荷馬車に揺られていた時からずっとこれなのだ、何かが削られる気分だった。

「私は各地を移動していた時期がありまして……ですが、巨人や壁というものを聞いたことがありません」
「ふむ」

それに技術が遅れている、と続けようとして止めた。移動は馬か馬車と言う時点で確実なのだが、生憎機械ものに詳しくないので説明が出来ない。

「……では、君の求める情報は?」
「巨人は一体どういう存在なのか、この壁内の他に人の住む地域はあるのか……あと出来れば、私がどうなるのかも教えていただければ」
「巨人は食物連鎖の頂点にある捕食者で、人類は壁の中での生活を強いられている。百年間平穏な生活を送っていたが、約二年前に超大型巨人と鎧の巨人により、ウォール・マリア内まで侵攻され、人類はウォール・ローゼまで後退してしまった。巨人そのものについては、分からないことが多い」

分かりやすい説明であるが引っかかることもあり、「うぉーる?」と聞き返した。壁は三つあるらしく、内側からシーナ、ローゼ、マリア、と名前が付けられているらしい。リヴァイの投げやりだが正確な補足になるほどと頷くと、エルヴィンは話を再開した。

「次の問いだが、この壁以外に巨人から身を守る設備は確認されていないし、この壁の中に住む者が外に出ることもない。出るのは我々調査兵団のみだ。あとは君の処遇だが……しばらく調査兵団で預かるが、調査兵でもない君を長く置くことは出来ないな」

人類の生活域がこの壁の内側にしかない、というのなら、やはり美夜のいた世界とは別だと考えて違いない。あちらでは、地下高速鉄道で全世界が繋げられていた上、未開の地などそうそうないのだから。

後半、遠回しに死刑宣告をされたと思った。預かることは出来ないというが、だからと言って解放してくれるとは思えないのだ。エルヴィンらは、美夜は巨人の仲間だという認識をまだ捨てきれていないだろうからだ。

取引をしようにも、美夜に差し出せるものが無さすぎる。なんとかして脱獄するしかないだろうか、と視線を落としていると、エルヴィンは間を置いて続けた。

「ただ、君が調査兵団に協力してくれるというのなら、話は変わってくる」
「……私にはあなた方にとって、利益となるようなものを何も持ってないと思うのですが」
「巨人が襲わなかった人間など、今までいない。君が初めてなんだ。これは十分に魅力になる」
「俺に一発で伸されなかった時点で、只者じゃねぇとも分かってるしな」

低く述べたリヴァイに、「リヴァイは調査兵団の中でも飛び抜けて強いんだ」とエルヴィンが付け足した。確かにリヴァイの身のこなしは、身に着けようと思って習得できるものの域を超えている。そんな彼と互角にやりあったーー避けるのみだったがーーのだ、そこは評価されたらしい。

そこで忘れてはならないのが、美夜は刀があってこそ、リヴァイに引けを取らないということだ。調査兵団で生活を保障されるというのは大きい、説明して納得してもらうべきだと判断した。

「行く当てがないので置いてもらえるのはありがたいですが、私の高い身体能力は、その刀によって引き出されるものなので……」
「カタナ?」
「その……片刃の剣です」
「これがないと駄目ってか」

刀を持つリヴァイが、美夜に視線を合わせたまま言う。

「そういう仕組みなんです。触れてなくても、刀がある程度近ければ大丈夫ですが……」
「テメェはこれで奴等を倒すのか?」
「あ……それは出来るか分かりません。その……その刀は人間を斬ることが出来ないので」

エルヴィンを刀で脅したが、あれはあくまで脅しである。[天守月影]は対吸血鬼武器だ、人間に打撲痕くらい残せても切断することは不可能である。

人間を斬れないのは切れ味の問題なのか、もっと根本的な問題なのか、と視線で問われる。美夜は少し迷って、話すことにした。この世界は美夜のいた場所とは違うとすれば、吸血鬼の話を明かしても吸血鬼界に迷惑は掛からないだろうと踏んで。

「私の世界には、人間に紛れて吸血鬼という者たちが生活しています」
「ヴァンパイア……人の血を吸うっていう化け物か。空想の生き物だと思っていたが」
「こちらの世界では実在します。一般人は吸血鬼の存在を知らず、そのように空想のものだと思っていますけど……。吸血鬼は人間との共存を目指している者もいますが、人間を自分達の餌として見ている者も少なくありません。私はそういった吸血鬼を狩る立場にあり、その刀はその仕事道具で……対吸血鬼用武器[天守月影]は、吸血鬼しか斬ることが出来ないんです。その刀は吸血鬼を滅する力が強く、吸血鬼にとっては急所でなくても致命傷になりますが……人間には切り傷一つつけられません」

エルヴィンとリヴァイが刀を観察するので、試してもらってもいいですよ、扱いは普通の刃物と変わりません、と控えめに言ってみる。すかさずリヴァイに睨まれたので口をつぐんだが、リヴァイもエルヴィンも興味はあるようだった。

結局試しはしなかったが、一応納得はしてくれたらしい。刀に毒が仕込んである危険も否定できないからだろう。私もその立場なら試さないな、と美夜は二人を見つめた。刀が近くにないとどうなる、と美夜に視線を戻したエルヴィンに問われる。

「リヴァイさんに瞬殺されます」
「……エルヴィンよ、愛剣を近くに置いておくための言い訳かもしれない」

確かにそうなのだが、それで刀を没収されては、美夜は彼らに売り込む魅力の一つを失うことになってしまう。衣食住の確保のためにも、それは避けたかった。美夜は慌てることなく、次の提案を出す。

「あの、リヴァイさん。刀を抜いて、私を少し斬ってみてください。それから人間が斬れないことを確かめてもらえれば……」
「?テメェ今自分で、人間は斬れないと言っただろうが」
「あ、それは本当です。ただ、私は少し特殊で……」
「……」
「……生まれつき、吸血鬼因子……吸血鬼を吸血鬼たらしめる遺伝子のようなものなんですが、それがかなり多いんです。生き血を求めるようなことはないんですが、対吸血鬼武器は反応してしまうみたいで」

リヴァイの睨みが増したので、<レベル:U>のかいつまんだ説明をしておく。どう思ったのか分かりかねるが、エルヴィンが小さく頷くとリヴァイは刀を抜き放った。刀の美しい刀身を確かめるように眺めているのを見て、美夜は場違いながらも嬉しく思う。

ベッドから腰を上げ、鉄格子の前に立った。腕まくりをして右腕を出そうとしたが、左腕に激痛が走って断念する。鉄格子を挟んで向かいに立ったリヴァイに、顔でも足でもどこでも、と斬るように促すと、リヴァイは目の鋭さを増した。

威圧感のせいか、思っていたよりもリヴァイは小柄だった。美夜より少し身長が高い程度だろう。それに少し驚きつつも、愛刀の切先を見つめる。

リヴァイさん喧嘩っ早いからなあ、肩に刺すとかしそうだなあ。対吸血鬼武器だから、少しの切り傷でも痛いんだよなあ。そんなことを苦い心境で思っていると、リヴァイに刺々しい声をかけられた。

「おい」
「はい」
「右手を出せ」

大人しく従うとリヴァイは鉄格子の間から刃を入れて、美夜の右手の指先に刃を当てた。少し動かせば、赤い線が走る。紙で切ったかのような小さな傷だが、美夜は走った痛みに少し眉を動かした。

リヴァイは次いで、自分の手の平に刃を当てる。だが模造刀であるかのように、手には刀を押し付けた跡がうっすらと残っただけだった。

「!……斬れねえな」
「そういう性質なので」

リヴァイが刀を鞘に納め、いくらか感心したように傷の無い手を眺める。エルヴィンはそのやり取りを見て、なるほどと腕を組んでいた。これで、刀を近くに置くことを許してもらえればいいのだが。

美夜は右手人差し指の先についた傷を見る。血が滲んてきていたのでぺろりと舐めた。対吸血鬼武器での傷なので、普通の傷よりも相当治りは遅いだろう。だが、それに対する憂いよりも、リヴァイがこれだけしか傷つけなかったことに静かに驚いていた。
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