「戦地」と読む


開門三〇秒前を告げるエルヴィンの声に、ハンジはゆるりと首をまわす。今回は目的地も遠くなく、美夜の出来を見るという意味が大きい。しかし、それでも死者は出るだろう。分隊長のハンジも、全く持って気は抜けない。巨人に鼻息荒くしたとしても、命あることが第一だ。

「……やっぱり、壁の近くは不思議なにおいがします」

美夜の言葉に呼びかけはなかった。どうやら独り言らしいが、壁を見上げて鼻を鳴らす様子に吹き出してしまう。これがもしミケの言葉だったら流してしまいそうだが、よりによって美夜が言うとおかしかった。リヴァイから刺々しい声をかけられても、なんのダメージもない。

「ふ、くくっ……これじゃあ、ますます"犬"っぽいじゃないか」

笑いをこらえて呟くと、美夜は小首を傾げ、リヴァイが舌打ちを一つ。どうやらリヴァイは、人類最強の他に"飼い主"という二つ名が増えそうなことを知っているらしい。




開門されてすぐ、そこは旧市街地だ。ウォールマリアを放棄してからと言うもの、巨人の巣窟になっている。門付近の巨人はあらかじめ片づけられており、開門後は、援護班が近づいてきた巨人を討伐する。旧市街を抜ければ援護はなくなり、遠距離索敵陣形が展開される。

旧市街で遭遇した巨人は一体。援護班が戦う中、隊列はエルヴィンの掛け声で駆け抜ける。美夜は巨人をちらりと見て、前に向き直った。速度を緩めることなく突き進む。上官からの、探るような視線を感じたが無視をした。巨人が人を捕食する場面はみたことがないが、一時七体の巨人とともに過ごし、内四体が屠られる様は目にしているのだ。

全力で駆けられるからか、イングヴァルが楽しそうに感じる。不謹慎この上なく、美夜は密かに苦笑した。美夜も遮るもののない空に浮き足立っていないと言えば嘘になるが、この空の先に会いたい人が居ないと知っている。

美夜の対巨人の力について分かっていることは三つ。一つ、美夜が敵意を見せなければ巨人は温厚であるということ。二つ、美夜が敵意や殺気を放てば、巨人の捕食対象に成り下がること。三つ、気配を消す術は巨人に対しても有効であること。

そして、この壁外遠征での美夜の役割は二つだ。高い索敵能力を駆使して巨人の発見に努めることと、出来るだけ多く巨人を殺すことだ。後者には条件があり、その一つが気配を消さずに行うよう努める、というもの。美夜の立体機動の腕ではそう俊敏な動きが出来ず、殺気や敵意を消すために気配を消すべきだという意見もあったが、気配を絶った美夜を見つけられるのはリヴァイのみで、他の味方同士との衝突が考えられる。事故を防ぐために、極力気配を絶たないようにしなければならない。

他にも課題はあるうえ、懸念要素は多いのだが。

「顔緩んでるぞ新兵」
「エルドさん……すみません」
「解放感に喜ぶのはいいが、巨人が来たらそんなこと言ってらんないぞ」

エルドに注意され、知らず緩んでいた頬を引き締める。普段の言葉よりも数倍緊張した声音で、美夜はこの壁外という環境の特殊さをひしひしと感じていた。

「よりによって、お前という荷物を抱えての索敵だ……せいぜい、足をひっばッ?!」
「オルオやめて」
「ミヨは遠くの気配が分かる、んだよな。実際今、陣形のどのあたりまで把握できるんだ?」

問うてきたのはグンタだった。美夜はリヴァイをちらりと見て、陣形を頭の中に描く。コンパスで円を描いたようにきっちりと線引きが出来るわけではないが、視認できない距離でも、個人の特定は難しくても異変があれば察知できる。正確な距離を測ったことはないのでそう告げると、感心したような呆れたような声がかけられた。

「あ、血の臭いがすれば、もっと遠くまで分かるかと……風向きにもよりますけど」
「ミケ分隊長といい勝負?」
「ミケさんはにおいで分かるんですよね?なら、私とは別です。私は血の臭いに敏感なだけで、人や巨人の匂いを察知してるわけではありませんから」
「私も前にその話を聞いたけど、それって結局、ミヨは何で人とかを判断できるの?」
「……こう、フィーリング、みたいな。すごく感覚的です」
「常人にはわかんねーな。……」

グンタの呟きに合わせて、班員の視線がリヴァイに集まる。

「……言いたいことは何となくわかるが、俺にはそんなトンデモ技は無ぇ」

ですよね、と苦笑する班員四名。美夜も愛想笑いを浮かべたが、出来そうだなと思うのが正直なところだ。もし彼が吸血鬼だとかハンターだとかカミングアウトしたとしてもーーありえないーー驚きよりも納得してしまうだろう。肉弾戦でリヴァイほど強い吸血鬼もハンターもいない気がするが。

自分と同じで、彼も突然変異種のようなものなのだろう。美夜はそんな風に考えながら、ぐっと顎を上げて左前方を見た。風にあおられて、深くかぶっていたフードが落ちる。

「リヴァイさん」
「来たか……見えんが。ミヨ」
「はい」

準備していた赤の信煙弾を打ち上げる。ただし真上ではなく、やや左にそれている。美夜の広い索敵範囲を考慮して、巨人の位置を司令部に知らせる打ち方だ。エルヴィンはリヴァイ班のいる位置と信煙弾の方向を加味して進行方向を決定することになっている。

緑の信煙弾が上がったのは、そのすぐ後のことだった。


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