わんこ、腹をくくる


 焦げ臭いな、と思ったのがおそらく始まり。まさしく、開幕の狼煙があがっていたのだ。それに気づきながらも放置したわたしに落ち度があると言われれば、否定はしない。知らず知らず、合宿独特の空気に浮かれていたのだろう。
 殴り込まれて初めて襲撃に気づくなど、能力者として下の下だ。黒モヤゲート使用で、ある程度は仕方無いにしても、ヴィランがアクション(山火事)を起こしていたのに。
 わたしも平和な空気になまってきたな、と。駆け出しそうなイズクの服をわしづかみながらしみじみ。

「ポチさん!なにを!」
「こっちのセリフだわ」

 現在地は広場だ。レクリエーションの肝試しを行っており、わたしとイズクは最後のペアで、出発を待っているところだった。広場にはわたしとイズクの他、わたしと同じく出発待ちをしていたA組生徒数名と、キャッツの三人(内一名気絶)と、襲撃者が二人いた。彼らの口ぶりから、襲撃者が二人のみでないことは明らかだった。
 つまり、A組の一部と、お化け役のB組生徒は森の中で襲われている。そして、コウタという少年も、この森のどこかにいるらしい。マンダレイが預かっている子どもで、雄英とは関係のない、力のない子どもだ。ヒーローに対して良い感情を持っていないらしいコウタは、わたしたち(ヒーローの卵)を避けるために、合宿所近辺には近寄らない。森を抜けた先でひとり寂しく時間を潰している、らしい。コウタの秘密基地は親戚であるマンダレイも知らない、らしい。
 情報源は、わたしに引き止められているイズク。イズクはわたしへ怒りながら、早口でまくしたてている。

「僕は知ってるんだ、洸汰くんの居場所を!マンダレイたちはヴィランの相手で動けない。だから、僕が!」
「危ないでしょ。場所を相澤先生に伝えて、わたしたちは避難すべき」
「そうっ……かもしれないけど!間に合わなかったらどうするんだよ!」
「ちなみに、コウタはどのへん?」

 指先からビームでも出るんじゃないかという気迫で、イズクが方向を示す。
 わたしは"円"を伸ばして気配を拾った。コウタらしい小さなオーラを見つけ、同時に、コウタの近くにとんでもないオーラを感知した。
 やっべえ。
 わたしは戦闘中のマンダレイを見やる。コウタくんの親戚であり、ヒーローでもある彼女こそ、現時点で支持を仰ぐべき相手だと判断した。

「イズクはコウタの保護のみに専念。マンダレイ、行かせても?」
「お願い!交戦はしないこと、いいわね?」
「任せてください!」

 ぱ、とイズクの服を離す。途端に、弾丸のように飛び出した。わたしは一見のんきにそれを見送り、ううん、とうなりながら"円"を広げた。
 コウタの近くにいるヴィランのオーラ、また、他のヴィランと思しきオーラからして、先日のUSJ襲撃チンピラとは比較にならないくらい訓練を積んでいる。倒せないとは言わないが、生徒が相手をするには荷が重すぎる。
 広範囲のオーラ把握に顔を歪めていると、キャッツ唯一の男性ヒーロー・虎に名前を呼ばれた。

「轟!お前ははやく合宿所へ戻れ!」
「そうだぞポチ!オイラたちにできることはないぞ!」

 合宿所へ避難するよう支持された生徒の一人、ミノルがガクガク震えながら訴えてくる。

「戻んないよ。なんでわたしがイズクと一緒に行かなかったと思ってるのさー」
 
 移動しながら"円"で全襲撃者の把握ができないからだ。そしてここには、テレパスで味方全体に声を伝えられるマンダレイがいる。ヴィラン疑惑がある身で動き回りたくない、ということも一因なのだが。

「マンダレイ!今からヴィランっぽいやつの大まかな位置を伝えるから、みんなに共有して。合宿施設近くにもいるっぽいけど、先生たちいるし大丈夫でしょ。んで、合宿所を中心にして放射状に火を灯すから、迷ってる生徒はそれ辿れって」
「あ、あなたそんなことまで出来るの!?」
「案外ハイスペックでしょ」

 潔白を証明するには、これくらいやらねばならない。炎を氷で押しつぶすことも考えたが、どこが燃えているかを"円"で把握できない――わたしが"燃え移った火"を消せないのと同じ――以上、山火事は放置だ。目視すれば火事範囲を把握できるが、現状、単独行動はすべきではない。
 なぜなら、この合宿は極秘だったのだ。USJで一度襲撃を受けている雄英は、わたしたち生徒にすら、合宿場所を事前に教えなかった。それが合宿三日目にしてヴィランの襲撃を受けている。事前に知っている一部教員か、現在合宿に参加しているA組やB組の中に、ヴィラン側の人間がいると考えるのが普通だ。
 そして!普段から疑われているわたしのヴィラン疑惑が濃くなるのは必須!疑惑もなにも一部事実であるあたり、本当にどうしようもない。
 わたしは、マンダレイにヴィランっぽい奴の場所をざっくり伝え、マンダレイのテレパスを聞きながら空に火を灯す。暗い森がほのかに明るくなり、火の玉が合宿所への道を示している。

「これがほんとの非常灯、なんつってな」

 言ってる場合ではない。
 なんとか"円"を広げたまま、ショートの位置を確認する。近くにヴィランがいるが、同じく生徒もいる上、ショートの肝試しペアはカツキだったはずだ。最悪、カツキが空を飛ぶのに掴まって離脱も出来るだろう。

「ポチ君!はやく!」
「テンヤ待っててくれたの、ありがと」

 非常灯が消えないよう集中を切らさないまま、合宿所施設に向かう。しかし、おや、と足を止めた。
 一か所でオーラが膨れ上がっている。イズクの向かった方向だ。

「……」

 コウタ保護に専念しろと言ってあったけれど、イズクは交戦状態らしい。下手をふんで離脱できなかったか、離脱する隙のない相手でやむを得ずか。どちらにせよ、盛り上がっているのは明白だった。
 オーラの雰囲気からまずいとは思っていたが、これほどとは。このままだとイズクとコウタは死んでしまう。

「……もー!」

 しゅん、と空の火が消える。テンヤからの視線を無視して、わたしは地面を蹴ってしまった。
 "円"で感知した雰囲気から言って、正直、わたしが倒せる相手ではない。盗賊団と同格、とはいかないまでも、いい勝負をするだろうなと思わせる迫力がある。
 わたしには、出来て足止めだ。相手がよほどのバカでない限りは。



 
 洸汰君を保護するために駆けつけて、僕はヴィランとの戦闘を避けられなかった。マンダレイからの指示が頭を過ったけれど、とても見逃してくれそうにはなく、逃げたら殺されると直感した。
 勝算もろくにない。ただ、洸汰君が逃げる時間くらいは稼がなければ。僕の力がヴィランに通じなかったからといって、守るべき人を見捨てて逃げることは出来ない。
 重すぎる一発を受けながら考える。もうどこが痛いのかも分からない。気合で動いているだけのバキバキな右腕はもちろんのこと、ヴィランの一撃で地面に沈む背中も、踏ん張れているのか定かではない両足も、全て熱い。

「走れ!洸汰君!」

 そういえば、広場にいたとき。ポチさんは一度僕を引き留めたけれど、すぐに離してくれた。あれはきっと、このヴィランの強さを察知したから、洸汰君を守るために渋々僕を行かせたのだろう。規則を遵守しなければならない立場では、彼女の行いこそ賢明だ。
 ここへ到着してすぐ、洸汰君の怪我に血が上って「ポチさんが引き留めたせいだ」なんて思ってごめん。直接謝れないかもしれないから、心の中で謝っておく。
 他にもたくさんある。相澤先生、交戦許可下りてないのに戦闘になってしまってすみません。お母さん、ずっと不安にさせてごめん。洸汰君、ヒーローらしく助けてあげられなくてごめん。
 オールマイト、ごめんなさい。

「潰れちまえ!」

 ヴィランが僕にそう吠えて――突然、夜空が見えた。
 
「は、え……?」

 どごん、という衝撃音。地面が揺れ、半分地面にめり込んだ状態で烈風に耐える。「うわっ」洸汰君の声がして、反射的に体が動く。訳が分からないまま、烈風で転ぶ洸汰君をかばった。
 僕の上から消えたヴィランは崖壁にめり込んでおり、僕の前には、厳しい顔つきのポチさんがいた。
 
「重すぎ」

 ポチさんは一言そうこぼして、崖壁から出てくるヴィランを見据えている。

「なん、なんで、ポチさん!」
「危ないからでしょ。イズクの仕事はコウタを保護すること!わたしが肉団子の相手するから、はやく撤退して」
「駄目だ!」
「言っておくけど、わたし結構強いよ」
「そうだけど、違うんだ!ヴィランの狙いは、かっちゃんとポチさんなんだよ!」
「は?」

 ヴィランは、爆豪勝己と轟氷火の名前を出していた。理由は分からないけれど、ヴィランたちは二人を狙って襲撃をしている。だから、標的である二人は真っ先に避難すべきなのだ。

「足止めなら僕がする!だからポチさんは、洸汰君を連れて合宿施設に行って!」
「馬鹿言わないで。今のイズクじゃ殺されるよ」
「殺されるためになんて戦わない!」
「それ、インコさんにも言える?」
「っお母さんは……!」
「"さっき"の言葉、効いたよ」
「は?」
 
 立ち直ったヴィランをポチさんが文字通り"炙る"。すぐに火は消え、怯んだヴィランにポチさんが殴りかかっていた。
 正しい判断が何か、僕には分からない。分からないが、今の最善は。ボロボロの僕は引っ込み、洸汰君を安全圏に送り届け、ヴィランの狙いやこのヴィランのことを先生たちに伝え、ポチさんの応援を呼ぶことだ。
 追い払うような仕草をされ、僕は洸汰君を背負って崖を飛び降りた。




 他の生徒やヴィランを無視し、「走りが速いね」で済ませられる速度で森を抜けていくと、イズクの叫びが聞こえた。

「ヒーローは、命を賭して、綺麗事実践するお仕事だ!」
 
 申し訳ないけど、わたしはそこで一回足を止めた。
 イズクは比喩でもなんでもなく、今、命を賭して綺麗事を実践しているのだろう。見返りを求めず「助けたいから助ける」なんて口にするヒーローらしく、綺麗事真っ最中なのだ。綺麗事だと自覚した上で、綺麗事をしているのだ。
 「誰かを助けている自分が好きだから」とか「力を奮うついでに人助けしてるだけ」とか、それならわたしも頷けるのだけれど。
 馬鹿なことを言っている、と思いながらも、綺麗事を綺麗事だと認めていることに足を止めずにはいられなかった。口先だけでしか出来ないと分かっていても、それをせずにはいられないのがヒーローだ。イズクは、コウタを助けて自分が生き延びる勝算が低いと分かっていながらも、それをせずにはいられないのだ。既にボロボロで上手くいくはずがないのに。
 コウタを見捨てて逃げれば良かったのに、と思う冷静な頭もあるが、心が揺さぶられたのは確かだった。

「わたしも、そうやって、誰かに助けられてみたかった」
 
 極悪盗賊団の仲間は好きだ。大好きだ。彼らの考え方だって理解しているし、むしろヒーローよりも彼らのほうが理にかなっていると思っている。
 思っているけれど。綺麗なものに憧れないと言えば、それもまた嘘だった。
 素敵な言葉だ、と思ったことが何よりのダメージだ。犯罪者の仲間が、ヒーローの卵の言葉に動揺するということが。極悪盗賊団の、我儘な空気が恋しい。ホームシックだ。
 ともかく。いつまでも足を止めているわけにはいかない。
 わたしは崖を駆けあがった。
 第一印象は"肉団子"。
 肉団子野郎は、筋線維が体中を覆うという異様な姿だった。分かりやすい筋力増強型。イズクと同様の戦闘スタイルだと思われる。
 近くには号泣するコウタが立ちすくんでいる。コウタの視線は肉団子。イズクの姿はないが、オーラは察知できるので、肉団子に殴り潰されている存在が彼だろう。
 思案したのは一秒にも満たない。オーラを込めて、肉団子を蹴り飛ばした。

「はい、選手交代します」

 ボロボロのイズクが、コウタを連れて離脱する。早急に離れていくオーラを見送って、肉団子と対峙した。イズクとの戦闘で多少なりとも体力を削られていると思ったが、肉団子はハイで闘気に満ち満ちていた。分かりやすい戦闘狂だ。

「野暮なことすんじゃねェよ、いいとこだったのによ。さっさと片づけて再開……といきてぇところだが、お前、轟氷火なんだろ?手間が省けたぜ。しっかし悪ぃな、今、手加減できそうにねーわ!さっさとてめえ殺して、緑谷探すぜ」
「目的はわたしの殺害?」
「誘拐」
「じゃあ殺しちゃ駄目じゃん」
「盛り上がってんのを邪魔したお前が悪いんだよ」

 正直、ビビっているし早く立ち去りたい。かなり上位の強化系能力者並と思われる肉団子相手では、わたしの氷壁も万全とはいえない。

「ヒーローが体張ってんだから、その意を汲んで大人しくしとけよ、ガキ」
「交戦許可下りてないし、もちろんまだ無免許だし、ただの自分勝手な高校生でしょ。わたしはイズクみたいに綺麗事は言わないよ」
「はー?」
「体裁的にまずいから殺しはしないけど、戦闘不能に追い込む覚悟なんでよろしく」
「……へえ」

 ヴィランと一対一だ。ここで適当に身を守るだけなら、ヴィラン疑惑払拭どころか拍車がかかる。イズクから肉団子を守った、と誤解されたらたまったものではない。呑気に構えている場合ではないのだ。
 肉団子が凶悪な笑みを浮かべ、拳を握った。

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