迷子の子犬


 わたしは無自覚で、超遠距離転移技を習得したんじゃないだろうか。
 だって、まさか、学校のトイレのドアを開けたら喫茶店に出るなんて思わないだろう。
 店員の爽やかな声、頭上で鳴るドアベル、穏やかなBGM。振り返るとガラス扉で、きれいに舗装されたアスファルトと整然とした町並み、朗らかな陽気の中で行き交う人々が視界に入る。
 
「まいごのまいごのこねこちゃん……?」
「あの?お客様?」

 聞こえるのはジャポン語だ。つまりここは、ジャポンか日本のどこかにある喫茶店。
 不安そうにわたしの顔を覗き込む女性に、期待を込めて問いかけてみる。

「幻影旅団とゾルディック、どっちが怖い?」

 極東の島国であるジャポンでは、共通語とはいえハンター語が通じないことのほうが多いので、ハンター語での会話は判断材料になり辛い。そう考えての問いかけだったが、女性店員はキョトン顔だった。
 じゃあ日本か。ちょっとがっかりするが、日本国内なら高校にも連絡がつくだろう。ジャポンから盗賊団のアジトに移動するより簡単だ。
 
「あの……?」
「いや、なんでもない、なんでもない。ここって雄英の近く?」
「ゆ、ゆうえい?」
「雄英高校」
「……ゆうえいこうこう……?」

 雲行きが怪しい。
 雄英生は制服で出歩くだけで、学校と名前と個性を言い当てられることもあるのだが、女性店員は雄英高校すら知らない風だ。
 おそらく日本一有名な高校である。地方に住むおじいちゃんおばあちゃんならともかく、そこそこ街中で働く若い女性だ。体育祭は見ていなくとも、雄英という名前くらい知っていてしかるべきだろう。
 そうだ、オーラを確認すればいいのだ。念能力者の場合は一般人に擬態されてしまうと分からないが、個性を持っている人は擬態するという概念がない。ジャポンである可能性は限りなく低いのだから、ここにいる人間が個性を持っているかどうか確認するだけで事足りる。
 "円"を伸ばす。念のため"凝"もして店内の人間を確認する。
 何度見ても、念能力も個性も持っていない一般人だらけだ。一部、完全な凡人にくくれない人もいるが、能力者の枠には入らない程度だ。体を鍛えたり、一つのことを極めれば到達可能な域である。
 つまり、ここは、ジャポンでもなければ日本でもない。
 わたしは店内の視線を集めながら、一度深呼吸をした。



 所変わってトイレなう。元々、トイレに行くつもりだったのだ。女性店員にトイレを借り、ごく普通に用を足し、便座に蓋をしてその上に腰かけた。
 さて、どうしよう。
 ショートたちのいた世界に移動したきっかけはあの古書だろうが、今回は移動の発端が不明だ。戻るにしても、ショートの所に戻るのか、旅団の所に戻るのか分からない。どのくらいここに滞在することになるのかも不明。
 パパ上に拾われたときは、身一つで戦闘に巻き込まれていたこともあって記憶喪失をゴリ押しする判断を下した。結果、一年以上お世話になっているので、その判断は間違っていなかったと思う。今回もそれでいくべきか?しかし移動のきっかけが不明な以上、予期せぬタイミングでまた移動するかもしれない。記憶喪失で世話になっていたらそれはそれで迷惑をかけるだろう。だからといって正直に身の上を話せば頭のおかしいヤツだ、病院に連れて行かれる。
 そもそも。学生服を着て、学校名を出してしまった時点で、記憶喪失を押すのは難しい。
 この世界の人間に擬態するべきだろうか。ある小さな高校の生徒で、ブラブラしていたら迷子になってしまった的な……わたし上履きなんだけどな!名前は前回同様伏せる方向でいこう。調べられたらマズイ。どうしても開示しなければならない時は、本名かパパ上にもらった名前か、この土地にいて不自然でない方を名乗ることにしよう。
 喫茶店内に能力者がいなかったので、当然、能力は隠す。わたしは"円"と"纏"をしまくっているので能力者に見られればバレるが、その時はその時だ。元居た世界と変わらない。
 よし、よし、落ち着いてきた。
 喫茶店にいるがお金はないので――持っていても使えないかもしれない――とりあえずこの店を出てしまおう。




 入店直後、犬のおまわりさんを口ずさんだ少女は、未だトイレから出てこない。
 コナンは少年探偵団の仮面ヤイバー談義を話半分に聞き流しながら、トイレに視線を向けた。
 "ゆうえい高校"が存在しないことはスマホで検索して確認済み。同じく、"げんえいりょだん"と"ぞるでぃっく"もヒットしなかった。"ぞるでぃっく"に関してはゾディアック憶え間違いかもしれない。
 何者なのかはともかく、訳ありであることは分かる。不審な言動に、カウンターの中で安室透も少女を静かに観察していた。どことなく不思議そうだったので、組織や警察には無関係だと思われる。
 梓がご近所のおばさまのお会計を済ませ、客が少年探偵団一行のみとなった時、ようやくトイレのドアが開いた。
 トイレに入る前の挙動不審な様子はどこへやら、少女はハキハキと話しながら、早足でドアへ向かった。

「お姉さん、トイレありがとう。じゃ、わたしはこれで」
「え、あ、はい……?」
「待ってよお姉さん!」
「待ってください!」

 引き留めたのは、コナンも安室も同時だった。少女は困惑した表情でコナンと安室を順番に見て、助けを求めるように梓を見やる。
 コナンは、相棒が"まーたそうやって首を突っ込むのね"と言った気がした。幻聴だ。彼女は安室がいるポアロには近寄らないので不在であり、一人阿笠邸で留守番している。
 コナンは、退店を妨げるように少女の前に立った。

「お姉さん、何か困ってるんじゃないの?」
「ナンデ……?」
「お姉さんの言う高校と、"げんえいりょだん"に"ぞるでぃっく"。軽くネットで調べてもヒットしないんだ。梓さんに何か確認したように見えたけど、違う?」
「僕もコナン君と同意見です。何かトラブルでもあったのでは?あなたの履いているそれ、学校の上履きでしょう?」

 少女はこれでもかというほど顔をしかめた。

「トイレ借りただけで、そんな突っ込まれるの?女子高生ジョークだよ、中身のない話だよ」
「今日は平日ですけど、学校抜け出して来たんですか?」
「うん。だからトラブルとか困ってるとかないし、マジで気にしないで。お姉さん、変なこと聞いてごめんね」
 
 帰らせろ、という言外の圧力を感じる。コナンは安室と視線を合わせ、小さく頷いた。
 少女が言う通り、単なるサボりだとしても、女の子が一人でふらふらするのはよろしくない。おまけに、米花町は少々治安が悪い。手ぶらで上履きのままという思い切ったサボりをするのだから、すんなり学校に戻りもしないだろう。話を聞いて何か助言をするか、学校や家に連絡を入れさせるか。訳ありの女子高生の放浪を容認することは出来ない。
 安室が、カウンターにホットココアを出した。

「ドリンクを一杯飲む時間くらい、あるでしょう?もう作ってしまいましたし」
「……お兄さん、なんか日焼けしたシャルナークって感じ」

 少女はまた意味の分からないことを口にして、これみよがしにため息をついた。



 妙な子どもは、保護者のおじいさんと友達を帰らせ、わたしの隣に座った。対面には妙なお兄さんと普通のお姉さん。二人は店員なので、妙な子どもの連れの食器やらなんやらを片づけ、きちんと仕事をしている。
 とんだ不良女子高生と勘違いされているが、いいとしよう。"女子高生ジョーク"を適度に流してくれてよかった。

「お姉さんのこと、何て呼んだらいい?」
「んじゃポチで」
「それ、犬の名前だよ!ボク、江戸川コナン!」
「僕は安室透です。あなたは?」

 これはどっちをいくべきだ……?
 思わずお姉さんに視線を投げると、お姉さんは良い笑顔で「榎本梓です!」と名乗ってくれた。
 二対一、これはパパ上にもらった名前の方が馴染みそうである。

「トドロキヒョウカ。氷と火って書くの」
「氷火お姉さんだね」
「呼ばれ慣れないわ。ポチでいいってポチで。それかタマ」
「動物好きなの?」
「そんな感じ。それより、これ(ココア)、トオル持ちだよね?わたし無一文なんだけど」
「え、ええ、僕が払いますよ。ココア、嫌いでしたか?」
「なんで?」
「混ぜるばかりで、飲まないので」
「甘いもの好きだよ。えっと、氷もらってもいい?」
「氷火お姉さん、猫舌さんなんだね」
「ポチです」
「アイスココアにしましょうか?」
「それはそれで困る」
「困る?」

 三人からのキョトン顔。コナンとトオルからは観察じみたものを感じた。初対面の相手にずけずけ物を言うので、根掘り葉掘り聞きたいタイプなのだろう。
 
「わたし皮膚感覚が死んでて。触覚と痛覚と温度感覚が皆無なのね。体温調節とかも出来ないから……ほらこれ、ブレスレットっぽいけどバイタルモニターなんだ」
「そ、それって……無痛症ってこと?」

 大人二人はともかく、小学生には分からないだろうと高をくくっていたが、コナンはしっかり理解しているらしい。「もどき、だけどね」と一応訂正をいれ、頷いてみせた。
 トオルが慌てて熱いココアを引っ込めて、なにやら作業を始める。なんだよ、良い人かよ。
 アズサは理解したもののピンとこないようで、「大変ですね」と月並みな感想を述べた。普通の人の反応はそんなものだ。雄英のクラスメイトだって、あまり深刻に捉えていないだろう。悲劇のヒロインごっこがしたいわけじゃないので、わたしとしては百点のリアクションだ。
 
「なんで"もどき"なの?」
「後天性だし、まあ、色々あったんだよ」
「火傷しちゃうから、熱いもの飲めないんだね」
「興味津々だね、コナン?」
「ご、ごめんなさい。珍しいから、つい」
「いーよ、気にしてないし。便利なこともあるから、悲観もしてない」
 
 次にトオルが出したココアは、湯気もなく、水滴もついていなかった。お湯と氷で調節してくれたらしい。「ぬるくしました。飲めますか?」優しい声音に気も緩む。礼をいいつつ口をつけた。
 
「"ぞるでぃっく"、でしたか」

 美味しくココアを飲んでいると、トオルが何気なく口を開いた。タイミングを計っていただろうから、何気ない風を装って、が正しい。
 どうせ「聞き覚えがありません」とか「一体何なんですか?」とか追及されるのだろう。存在しないのだからわたしが何を言っても戯言だ。知ってる。ヒーローのいる世界で一度経験しているし。寂しくないし。
 異世界レベルでの迷子が二度目ともなると、驚きはするがショックは小さい。

「ゾディアック、ではなくて?」

 トオルからの問いかけはわたしの予想外だった。目を瞬くわたしをよそに、コナンとアズサも頷いた。

「わたしも思いました!語感が似てますよね。アメリカの……凶悪犯でしたっけ?」
「連続殺人鬼(シリアルキラー)だよ。サンフランシスコで五名が殺害されたんだ。真犯人についての情報は多いけど未だに逮捕に至っていない、未解決事件なんだ。……って、テレビで言ってた」
「いわゆる劇場型犯罪と言われるもので、マスコミや警察に犯行声明文を大量に送りつけたんです。その中で『私はゾディアック』と名乗ったことから、一般的にもゾディアックと呼ばれているんですよ」
「はえー……」
「その様子だと、憶え間違いではなさそうですね」
「うん、ああいや、どうかな。わかんないなー」
「ゆうえい高校はどこにあるの?」
「エヘヘ秘密ぅ」

 笑って誤魔化す。まさか、別世界の高校で、出身はさらに別の世界、など言えるわけがない。伏せきってみせる。
 アズサを除く二人の、白状させる気満々な目がおそろしい。

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