刀剣より年上の審神者6


 本丸は、審神者の霊力によってまわっている。電気や水なんかは政府施設から飛ばされてきているので審神者が不在であっても供給を受け続けることは可能だが、空気が澄み、植物が生き、虫や動物が現世から出入り出来るのは、審神者の霊力が本丸を巡っているからだ。審神者がいなければ、本丸は死んでしまう。
 しかし、必ずしも四六時中審神者が本丸にいるかと言うとそうではない。演練で空けることもあるし、通いの兼業審神者だっている。それでも本丸が生き、刀剣男士が顕現を保てるのは、本丸そのものが霊力タンクになっているからだ。
 ある獅子王の主は、兼業審神者だった。ただ兼業であるだけではなく、過去から本丸に通っている。審神者制度が始まっていない時代に生きているため、審神者であることを開示することが出来ず、当然、社会からの援助も受けられず、本丸に来る時間は不定期で滞在時間も短い。
 それでも本丸は豊かだ。霊力が豊富なその審神者は本丸の滞在時間がごく短くても、十分すぎる霊力量を本丸に貯めていってくれる。いつでも空気は美味しいし、天気が悪くても陰鬱な気分になることはないし、他の本丸に比べて動物の出入りも多いと政府担当者が言っていた。

「お、来たな」

 ぽん、と鼓の音が本丸に響く。時空間転位装置の起動を知らせるものだ。
 獅子王は屋敷のエントランスにあるソファから腰を上げ、外に出た。日が傾き始めており、敷地は橙色に染まっている。屋敷をぐるりと囲っているアイアンワークを挟んだ所に洋館とはミスマッチな鳥居があり、そこから小さな人影が出てきた。身長は獅子王の腰にも満たない。日傘を片手にぽてぽて歩く女の子こそ、獅子王の主であり、この本丸を生かす審神者である。

「おかえり、錦様」
「ただいま、獅子王」

 審神者を名前で呼ぶのは本人からの要望で、様付なのは先輩にならってのことだ。薬研と静形のみ錦の上と呼び――静形は薬研につられたと聞いた――他は皆、名前に様付で呼んでいる。
 獅子王は首を締め付けてくる鵺を軽くなでてやりながら、錦とともに屋敷に入った。お出迎えは基本的に近侍の静形が行うが、演練や遠征や出陣で不在の際は、当日本丸待機の刀剣が出迎える。

「今日は早く来れたんだな」
「パパの仕事の関係でね」

 錦は小学一年生という肩書があることと、審神者を知らない同居人がいるということで、本丸を訪れるのは基本的に夕方か夜だ。それも一定ではない。来ないと聞いていた日のド深夜に「来れそうだったから来たわ」とひょっこり現れる時もある。
 本丸と錦の連絡は、"目逸らし"の呪いがかかった携帯端末で行う。それで出勤予定の連絡が本丸に入り、こちらからは本日の出陣・遠征予定の連絡がいくようになっている。こんのすけを召喚しての伝言ゲームも出来るが、原則緊急時のみだ。
 執務室に入ると、こんのすけが嬉しそうに駆け寄って来る。錦はこんのすけを撫でると、携帯端末を充電ポートに置いた。

「さて、お仕事をしようかしら」
「錦様、本日は先に大事なお話があるのです」
「そうなの?」
「そうなん?」

 獅子王は錦と一緒になって首を傾げる。事前に刀剣への通達はなかった。こんのすけもかしこまっていないので、大事な話ではあるが深刻ではないのだろう。
 
「錦様、限定転位印を登録しましょう!」
「こんちゃんが万年筆から飛び出てくる霊力刻印?」
「ええ。その刀剣男士様バージョンです。本来であれば審神者学校在学中に登録許可が出るところ、錦様の審神者就任は急でしたので……」
「あ、錦様の護衛の話か!?」

 獅子王は身を乗り出した。それは確かに、とても大事な話である。
 刀剣男士を呼び出すための限定転位印は、何も絶対登録ではない。あくまでも推奨である。審神者は通常、風呂やトイレ以外で一人になることがないからだ。現世への出張で現世施設外へ出るときでも、刀剣男士の同伴は必須である。"刀剣男士が常に一振以上控えている"ことを前提をしての"推奨"扱いだ。
 だが錦は違う。過去へ刀剣男士を伴おうものなら、まず同居人への言い訳が必須だ。周囲の人への説明も必要だ。審神者という職業が存在しない以上、「審神者の護衛の刀剣男士です」という常套句が通用しない。刀剣男士が気配を消し、"目逸らし"をし、物陰から護衛をする案もあったが、"目逸らし"は機械や鏡に映るとアウトという点から却下された。もう一つ、顕現をといた刀に"目逸らし"をして持ち歩くという案もあったが、こちらも機械や鏡に映ってしまえばアウトだ。この時代の携帯端末は誤魔化せるとしても、真剣はまずい。もし見つかってしまえば、それが焼失した刀であったらなおさら、大事件である。
 従って、錦が刀剣男士の限定転位印を登録するのは急務だった。いくら錦が人外だと分かっていても、丸腰の主人が護衛もつけずに一人で歩き回るというのは、刀剣男士的に穏やかなものではない。

「時間かかりすぎだろ」
「錦様は色々と規格外故、従来の規定を当てはめて良いか揉めるのですよぅ。審神者業が無い時代で生活する審神者が刀剣を召喚しても良いのか、と」
「出陣と変わんねーじゃん。何が駄目なの」
「錦様がただの人間ではないので……その、妙なことをするのではと邪推する者もおりまして」
「わたくしは、一人でも大丈夫だけれど」
「駄目だろ」
「駄目です」

 呑気な主人の言葉をぴしゃりと切り捨てる。
 限定転位印の登録には手続きが必要なはずだが、と問いかけると、管狐は「現在所有している刀剣男士様分は全て許可が下りております!」と胸を張った。

「錦様。刀剣男士様の召喚には二パターンございます。刀剣本体を召喚し手元で再顕現するパターンと、刀剣男士様を召喚し、刀剣男士様が本体を召喚するパターンです。どちらにされます?両方の登録も出来ますが、限定転位印での召喚は緊急時が想定されますので、とっさの判断を妨げないためにも、どちらか一方をおススメ致します」
「どちらのほうがいいかしら?」
「そうですねぇ……刀剣本体の登録が推奨されています。再顕現させるので、強制的に武装状態に出来ますから。デメリットは、再顕現で霊力がごっそり……本丸内や政府施設といった霊力補助が受けられない現世での顕現は、霊力がごっそり持って行かれることです。……ああ、ですが、錦様にはあんまり関係ありませんね」
「なら、刀剣本体の登録にするわ。こんちゃんがしてくれるのよね」
「はい!お任せください。全刀剣登録させていただきますし、これからも刀剣が増えるたびに登録はさせていただきますが、万が一の際でも登録全刀剣召喚なんてことはしないでくださいね。死んでしまいます」
「何振までなら顕現出来そうかしら」
「政府が出している霊力量の目安からすると、錦様は十二振です」
「あはは、今いる奴らほぼ全員呼び出せるな」
「通常、せいぜい三振が限度なんですよ。刀剣男士様を呼び出すパターンならばともかく」

 こんのすけいわく、政府の目安は"再顕現してから二四時間、霊力援助なしで顕現を維持できる"ことを目安として出されているらしい。
 獅子王は間抜けな声を出した。己の主は、現世という霊的に不安定な環境で十二振の刀剣本体を呼び出し、器を作り直し、丸一日顕現し続けられるらしい。「やべぇ」以外の言葉が出てこない。自分の体がどれだけの霊力で編まれているか、よく分かっているからこそ。化け物級の霊力を持つ主は、褒められていることが分かっているようでご機嫌そうだった。
 こんのすけが空中にウィンドウを表示させると、肉球ですいすい操作する。

「はい、準備完了です。まず、獅子王様の本体を登録しましょうか」
「おっやりぃ。最初ってなんか嬉しいな!」

 つるっと正直すぎる感想が口から出た。なにがしかで持ち主にとっての特別になれるのは、使われる物として誇らしいのだ。"最初の刀剣限定転位印"を錦がどれだけ特別視しているかはともかく、どうあがいても初期刀や初鍛刀になれない獅子王にとっては嬉しいことだった。
 こんのすけが獅子王の本体に触れると、霊力刻印が浮かび上がる。次いで錦の右手の平に触れた。同じ刻印が浮かび上がって消える。

「はい、これで完了です」
「どうやって喚び出すの?」

 錦が右手をぐっぱぐっぱ動かしながら言う。

「霊力を込めて名を呼ぶだけです。右手に喚び出されるので、落とさないよう注意してくださいね。そこで霊力を解く感覚で強制顕現解除し、そのまま霊力をこめて励起します。一連の動作は、慣れるまでは難しいかもしれません」
「早速練習しねぇ?いざってときにもたついてたら困るだろ」
「そうですね。本丸内であれば霊力消費も少なくて済みますし」
「じゃあ俺、移動していい?いや、駄目じゃん、錦様一人になるもんな。ここでするか」
「せっかくなら移動しましょう、マジックみたいで面白いもの。内番の……みかちゃんを呼びましょうか」
「では、こんのすけが本丸内放送いたしましょう」

 こんのすけが執務机の放送機で三日月宗近を呼び出す。錦の護衛一時代理ということで、戦装束に着替えた状態で執務室にやってきた。獅子王もいる状況に首を傾げたようだったけれど、獅子王は説明をこんのすけに任せて執務室を出た。
 時間は一分間。「できるだけ、執務室から離れてね」そう主に言われたら、全速で離れないわけにはいかない。
 執務室は本館の二階にある。執務室前の廊下はメインの廊下とドアで区切られているので、霊力センサーを通してメインの廊下に出た。本館のど真ん中に位置する吹き抜け階段を駆け下りるとエントランスだ。本館を正面に見て右側に鍛刀部屋、左側に応接室がある。獅子王は少し迷って、正面扉から本館を出た。中は防犯上の都合でドア(区切り)が多いので、移動するには少々時間を食う。
 本館を出て、屋敷を囲うアイアンワークからも出る。普段獅子王らが生活しているエリアは本丸空間の中心にあるが、屋敷と畑の配置の都合上、本丸空間限界との距離は屋敷正面ではなく裏側のほうが広くなっている。畑が屋敷の裏手にあるからだ。獅子王は正面から屋敷を出て、全速力で裏側に回る。畑にいた小烏丸に手を振って、屋敷から離れ、森に突入した。
 本丸空間限界の正確な位置はわからない。反対の位置に出てしまう寸前で立ち止まれば、執務室から最も離れた位置にいることになる。行き過ぎてしまえば逆に屋敷に近づいていくことになるが、限界を超えた際に生じる違和感さえ無視しなければ大丈夫なはず。
 獅子王が立ち止まるよりも、腰が軽くなるほうが早かったのだが。

「お!」

 喚ばれた!とテンションが上がった瞬間、体がほどかれたのがわかった。早い。意識を持ったまま刀の中にいるってこんな感じなんだな、としみじみする間もなく、霊力の奔流に飲まれた。早すぎる。さすが錦様、練習の必要などない。
 最初の励起と同じ、多すぎる霊力に笑いがこぼれる。多すぎるんだよ、こんなになくても俺たちは顕現できるぜ。そう思いながらおそらく誰一人としてそれを言わないのは、単純に嬉しいし心地良いからだ。錦の生命に直結するのならばともかく、潤沢すぎることもある。
 最初の顕現は多すぎる霊力量に驚き、目の前の人外に驚き、鵺の唸り声に驚き、とどこかの白い刀剣男士のような反応をしてしまったが、二度目とあって多少の余裕がある。桜まみれの執務室で心底楽しそうな錦を見る余裕もあったし、単純に感心したような三日月を見ることもできる。こんのすけの口が大きく開いているのは、太刀の喚び出しから再顕現までの流れにタイムラグがほとんど無かったからだろう。鵺の反応の変化もわかった。錦を前にすると獅子王の首を締めてきた鵺が、再顕現で力を抜いたのだ。鵺にも、警戒以外のことができる余裕があるに違いない。霊力を流し込んできた人外がいくら恐ろしくても、その温かい心を感じ取れたのだろう。

「よう錦様、さっきぶり!」
「どこまで行っていたの?」
「本丸限界の手前まで。瞬間移動すげぇな」

 不意に肩が軽くなる。
 獅子王の肩を定位置にしている鵺が床に降りた。のそ、とどこかこわごわ動き、錦の手に顔を押し付けている。
 獅子王は感激のあまり言葉を失った。あんなにこわがっていた鵺が。あんなに首を締めてきた鵺が!この感動を誰かに伝えたいと三日月とこんのすけを見ると、ふたりも似たような表情をしていた。鵺が錦をこわがっていることは、皆知っていたのだ。
 顕現時の桜はおさまったというのに、また桜が出る。

「ぬーちゃん」

 錦が呼んで、鵺が鳴く。小さな錦は笑いながらもふもふに埋もれていた。
 
 






錦本丸の間取りはざっくり決めてますけどざっくりなので、変更する可能性もあります。


▽目隠し
 特定の存在に、特定の存在を視認させなくする。何を目隠しするかは限定するほど効果が強くなる。ただし窓や鏡にうつったもの、写真や映像にうつると認識できるようになるため注意が必要。
 例)景光に薬研藤四郎を目隠しすると、薬研藤四郎の刀剣や刀剣男士を認識できなくなる(刀剣か刀剣男士か特定の刀剣男士か限定しないと効果は低い)。

▽目逸らし
 不特定多数に、特定の存在を視認させなくする。ただし窓や鏡にうつったもの、写真や映像にうつると認識できるようになるため注意が必要。
 例)刀剣男士は現世に出る際、本体に目逸らしの呪いをかけるor呪いのかかった刀袋を使用する決まりがある。刀剣本体にほどこした呪いは、そこから生じた刀剣男士にも作用する。→ドッペルゲンガー大量発生や銃刀法違反通報頻発を防ぐ。蜂須賀虎徹が十振そろっても「綺麗な人がいっぱいいるなあ」程度にしか認識されない。本体は見えない。ただし刀剣男士への"目逸らしおこぼれ"は、審神者や霊力の高い者には作用しないため、「蜂須賀虎徹が十振いる」と認識できる。目逸らしがかかっている本体の場所は認識できない。




▽常世(とこよ)、現世(うつしよ)
 この世。世界の中心。実体。

▽隠世(かくりよ)
 あの世。霊体。

▽空世(うつろよ)
 時間軸を超越した世界。本丸が設定されている。本丸位相とも呼ばれる。
 時間の対義語、空間から。

▽位相
 隣り合っているが、通常、決して干渉できない世界のこと。
 観測できているのは現世位相と空世位相のみ。

▽異世界
 観測できないが存在は否定できない世界。別位相と呼ばれることがある。

▽神域
 隠世に近い性質をもつ。隠世とは違い、空間の軸になる存在が必要で、その存在が認知している範囲にしか存在しない。

▽本丸
 空世にある。時間を超越しているので現世に出るときも時間設定は必須。2205年10月2日に本丸に来て一時間過ごしたとしても、装置で時間を設定しないと2205年10月2日には戻れない。ただし出陣以外の出入り時間も自由に操作できると(人間の時間移動は禁忌とはいえ)時間旅行が出来てしまうことになるので、「今」の現世出入りについては政府が一括管理している。
 空世の一定範囲に「座標」を設定し「本丸」にしている。「本丸」という言葉は建物を指すのではなく、「空世の内の一つ」を指している。
 現世の性質をコピペすることで人が生活できる空間にしている(動植物もコピペされるので、虫からすれば世界線の分岐にあたるが、本丸は本丸内で完結し他に影響しないのでギリギリ許されている)。時間を超越した空間で天気が変わったりするのも現世の性質をうつしているため。ただし動力源である審神者の体調によっては晴天でもヒョウは降るし、豪雨を快晴を数分単位で繰り返すこともある。
 本丸領域には限界があり、敷地外に向かって歩き続けると、いつの間にか反対方角から敷地内に戻ってくる。
 電気や水道は政府施設から常に転送されてきている。
 建物は霊体ではなく実体でただの建築物だが、一時的に現世からの影響を切ることで超短時間での建立や改装が可能(現世の性質をはがす際、実体への影響が不明なため荷物はすべて運び出し、人間は立入禁止、作業は式神が行う。無機物に関しては影響がない場合が多いが、喪失することもある。建築材料の増減もあり、ある本丸では木材が足りずに改装が完了せず、ある本丸では改装後に現世性質を戻す際に道場が消えた)。普通に時間を持たせたままの改装が推奨されている。式神が行うので、時間をもったままでも人間とは段違いの速さで作業することが可能。
 時間軸がない一方、物質が経年劣化する/人が年をとるのは、そのものの根源が現世に属しているため。
 現世から虫や動物の出入りもある。現世でも霊的に安定した場所や、霊力が高い動物、霊的に相性の良い場合に限られる。審神者の霊力が高いほど本丸の現世性質は濃くなるので、高霊力審神者の本丸は自然が豊かな場合が多い。
 本丸は霊力を貯めることができるので、審神者が不在でも活動は可能。多くの刀剣男士が顕現を保てるのも、本丸自体に霊力が循環しているため。ただ長く審神者が不在にすると相応に荒れ、刀剣男士は顕現を保てなくなる。(審神者が在籍している内は政府からの霊力補助があるので、それが切れない限りは荒廃しない)。
 本丸は霊的に安定した空間なので、霊的行為の難易度は下がる(刀剣男士の顕現や呪術行為など)。一方、天気しかり、霊力源の審神者によって現世性質は乱れやすい(審神者が体調を崩しているとき、居間に入ったら風呂だった、など)。

▽政府施設
 現世にある。単に「中央」とも呼ばれる。
 各部署、万屋(ショッピングモール)、各国の演練場エントランスなどがある。本丸から現世に出る際は、必ず政府施設を経由する。

▽演練場
 エントランスは政府施設にあるが、実際の戦闘会場は空世にある。
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