わんこ、腹をくくる2


 緑谷から洸汰を託された相澤は、補習組とB組担任のブラドキングがいる合宿所施設まで戻った。そこでまた、青い炎を使う土製ヴィランを倒す。強力な個性だが肉体的に脆いそれを倒すことは容易だった。

「俺達はとりあえず、全員無事でいることが勝利条件だ」

 相澤が、自分たちも戦わせろという補習組をそう宥めた直後のこと。ドォン、と隕石でも落ちてきたかのような音と振動が二回した。一度目は大きく、二度目は小さい。「近い」ブラドキングの呟きに頷いて、教室の窓から外を見た。
 氷塊が砕けていた。大きさからして、一度目の衝撃はこれだろう。氷塊イコール氷火だ。相澤は緑谷から氷火の戦闘開始を聞いていたので、個性行使についてはさほど驚かなかった。問題は、なぜ氷火の個性で出来た氷がこんなところで砕けたのか。疑問の答えと二度目の衝撃の原因を探そうを周囲を見回し、地面に倒れ伏す氷火本人を発見した。おそらくバイタルチェックチョーカーから、不細工な電子音が聞こえている。

「轟妹!」

 名を叫んで窓から飛び出す。
 強個性複数持ちで、おそらく"ルール"がなければA組内最強とも言える氷火が、倒れている。心臓が嫌な音を立てたのが分かった。四肢に力が入っていない。顔も声も上げない。普段飄々としている分、ショックは大きかった。
 相澤の声につられて外を見る生徒らを、ブラドキングが制する中、相澤は教え子を仰向けにさせた。掴んだ肩の熱さに驚くも、薄らと目を開けた氷火に知らず詰めていた息を吐き出す。

「せんせ?」
「意識ははっきりしているか?お前熱が、」
「っ見て!」
「おいこら起きるな――」

 はっとしたように体を起こした氷火が、夜空を指さす。「見て!」必死の形相で繰り返された言葉に渋々空を見上げて、

「逃がさねぇよ、轟氷火!」

 地面を揺らして、大男が空から降って来る。地面をひび割れさせるほどの衝撃でもって着地した男は、義眼を爛々とさせて氷火を見据えていた。相澤は咄嗟に、氷火を庇う位置に移動する。筋線維が体を覆っているような、異様な姿をした大男だ。疑うまでもなくヴィランの一人、緑谷が交戦し、氷火がバトンタッチしたという男だろう。体中にある火傷跡は、氷火との戦闘で負ったものだろう。
 氷火の言葉を意味を理解した相澤は、個性を発動させて男を睨む。するとみるみる男の体は小さくなり、鍛えている一般男性と同等程度になった。急激な変化に驚いている男に捕縛布を伸ばそうとし、それより早く男が倒れ込んだ。倒れ込んで、動かない。そばに氷塊が落ちていたので、宙から落ちてきた氷塊に頭を打って気絶したのだろう。相澤は、這う這うの体の氷火を振り返った。氷が見えなかったことは気になるが、暗闇に紛れてしまっただけだろう。

「判断の速さ、恐れ入るな」

 いつも通りの能力の高さに、少しだけ安堵する。

「今しか隙がないと思って。死んだかもしれないけど、ともかくあいつ拘束しないと……ああそうだ、ミノル!」
「お前がやりたいことは分かったから、大人しくしてろ。熱は……四十度超してるじゃないか!」
「ミノル!」
「え、なにおいら呼ばれてる!?」
「大人しくしてろ、お前目の焦点合ってないだろ!」

 氷火はうつろな目をして、口の端には泡がついている。さっきは焦って確認できなかったが、左腕の方向もおかしい。そんな状態で「ミノルを」「あいつを拘束」とぶつぶつ繰り返す。時折「殺す」と物騒な言葉も混ざる。
 相澤は、このままだと匍匐前進で止めを刺しに行きそうな氷火を慎重に抱き上げ、教室内にいるブラドキングに渡す。生徒たちからは悲鳴が上がっていた。代わりにへっぴり腰の峰田を呼びよせて外に出し、気絶したままの男の足の間と胴体と腕の間にモギモギを押し込む。その上から捕縛布も巻く。ひとまず、これでヴィランは無力化出来ただろう。
 相澤は、床に寝かされている氷火を見た。意識をぎりぎり保っている状態だろう、こんな状態で戦闘をしていたとは恐れ入る。熱が高すぎるので、まだ予断は許さない状態だが。早急な処置が必要だ。
 "全員無事"が、いかに難しいかを正面からぶつけられた。

 
 
 戦闘に巻き込まれた場合、仲間が来るまで身を守ることを第一としているわたしにとって、敗北はさほど凹む事態ではない。能力者の中では弱いほうなのだ。
 肉団子は強かった。咄嗟に展開した氷壁にもひびが入ってしまうほどの力だった。氷壁に閉じこもればこんな有様――意識不明の重体になぞならなかったかもしれないが、肉団子の標的を動かさないためにはわたしが囮になる必要があって、氷壁に閉じこもるわけにいかず。動き回り続けて相手をした結果、意識不明の重体で合宿所近くの庵木総合病院に運ばれた。
 現在、入院生活二日目。朦朧としていた意識が昨晩ようやく落ち着き、見舞いに来てくれていたショートからその後のことを聞いた。ショートは昨日も見舞いに来てくれたと知って感動した。ショートいわく、ヴィランは三名を現行犯逮捕、カツキが行方不明、トオルとキョウカがヴィランの毒ガスで意識不明のままらしい。モモとイズクも怪我で入院しているという。
 わたしの怪我はあまり心配ない。リカバリーガールの治療のおかげで左腕はあっという間に完治、他の怪我も元々の治癒力が高いので完治している。熱も平熱まで下がった。今回ばかりは、ちょっとばかし死も覚悟したけれど。負傷ではなく、意識不明のまま死ぬのではないかと。医者もそのようなことも言っていたし、リカバリーガールも怒っていた。
 今日は、警察からの事情聴取が午後に控えているので憂鬱だ。警察という名前だけで拒絶してしまうのは、犯罪者の性だろう。わたしはちらりとドアのほうをみる。ヴィランの標的であることを踏まえて、廊下には常に警察官が一人は控えている状況なのも、犯罪集団所属のわたしとしては居心地が悪い。

「今日、クラスの全員で見舞いをすることになってんだ」
「あ、そうなの?わたし動けるし、わたしも行こうかな。心配だし」
「ポチは見舞いされる側だろ」
「もう元気!」
「……」
「何その顔」
「意識朦朧状態を見ている身としてはな……」
「心配かけてゴメンネ」
「まあ病院内だから、大丈夫か。つっても、八百万以外はまだ起きてねぇけど」
「やったー」
「あと、そうだ、預かってるモンがあったんだった」
 
 ショートが、ポケットから折りたたまれた紙を出す。

「合宿所にいた、あの洸汰って男の子から」

 わたしへのお手紙らしい。何事かと思いながら開くと、白紙の紙――コピー用紙だろうか、便箋を用意する間もなかったのだろう――につたない文字で感謝が綴られていた。コウタはヒーローを嫌っているらしいので「余計なことを」とか「身の程知らず」とか書かれているのかと思いきや、純粋な感謝だった。あの戦闘で、何か思う所があったらしい。イズク、満身創痍だったもんな。

「ファンレター第一号だな」
「はは、なぁにそれ。わたし、ヒーロー志望じゃないのに。ファンとかいらないよ」

 感謝されたくて助けた訳じゃないとしても、礼を言われるのが嬉しいのは事実だ。退院したら、自室に飾っておくのも悪くない。直筆の手紙というのは、中々どうして嬉しいものだ。
 それでもあの行いをヒーローとくくられるのは複雑だ。あくまでも自分勝手な戦闘に過ぎない――けれど、そこで助けられた人がいるのならば、紛れもないヒーローである、と。知っていたことに改めて気づいて、やっぱり複雑になった。ヒーロームーヴしてしまったのは事実だとしても、自分がヒーロー扱いされるのはなあ。
 わたしには分からないが、わたしはどうやら百面相していたようで、ショートが首を傾げながら問いかけてきた。

「ポチは、どうしてヒーローが嫌いなんだ?」
「嫌いっていうか……人助け自体は否定しないよ。ただ、なんというか、全てを救えますって豪語するのが嫌なんだよ。どこかの隅っこで、救われてない人は絶対にいるのに」
「『全てを救えます』なんて、言ってなくないか?」

 あまり真面目に考えたことがなかったせいで、返答には少しの間が開いた。そうだ、誰もそんなことは言っていない。オールマイトですら、助けられないことがあると認めた。だから、これはわたしの勝手なイメージなのだろう。
 犯罪集団所属だから正義の味方が気に食わない、という単純な理由ではない。

「どこかで誰かが救われても、どこかでは誰かが救われてない。その現実を知らないふりをしてるんじゃないかと思っちゃうの。綺麗事は所詮綺麗事で、成せはしないんだよ」
「そうか、お前は、怒ってるんだな」

 そう、怒っているのだと思う。わたし自身が"知らないふり"をされたことを、怒っているのだ。だから、一つの現場を救っただけで"世界を救いました"と言わんばかりのヒーローの笑顔や報道が、心の底から気に食わないのだろう。
 わたしがオールマイトよりパパ上を慕っているのも、このあたりに理由があるのだろうな、と自分のことながら今更気が付いた。衣食住の提供があったから、だけではない。ただ全てを救いたいと動くオールマイトより、ナンバーワンヒーローになりたいというパパ上のほうが――怒られるかもしれないが"ついでに人助け"をしているパパ上のほうが――理解できるからだろう。本心はともかく、振る舞いが。
 つまるところ、わたしの心情は恋する乙女よりも複雑なのだ。綺麗事を実践することに憧れながらも、救われなかった自分は怒っており。ついでで人助けをすることに人間味を感じて共感しつつも、もっと頑張れよと思ってみたり。
 一言で言えと言われても難しい。気持ちなんて、そう簡単に言語化できるものでもない。
 
「うん。色んな事に、怒ってるんだと思う」
 
 丁寧に畳んだ手紙を弄んでいると、廊下から賑やかな声が近づいてきた。



 緑谷の見舞いの最中、切島が爆豪救出についての提案をした。八百万がヴィランに発信機をつけているので、受信機さえ作ってしまえば、自分たちにも追跡は可能だという。しかし飯田を筆頭に、反対意見が多かった。皆爆豪のことは心配だけれど、ここはプロヒーローに任せるべきなのだと。
 沈黙を貫く生徒も多かった。友達を助けたいという切島の気持ちも分かるからだ。切島は補習組で、襲撃時、合宿所施設での待機を命じられ、クラスメイトの一部が戦っているという状況に歯がゆい思いをしていた。だから余計に、自分にもできることに飛びついてしまう。皆、それも分かるのだ。
 賛成派は、現時点では轟のみ。目の前で爆豪を奪われた轟の心境もまた、皆理解していた。
 蛙水は反対派だった。爆豪を救出したい切島の意見と飯田の意見がぶつかる中で、冷静になるべきだと言った。どれほど正当な感情であろうと、ルールを破るのならば、それはヴィランと同じだと。

「わたしは、テンヤとツユちゃんの意見に全面的に賛成」

 病室に嫌な沈黙が落ちる中で、静観していた氷火がそう言った。援護を受けた蛙水は、いつもより真面目な顔だけれど口調は普段通りの氷火を見た。現在入院中の身ながら緑谷の見舞いに訪れた氷火は、最初、切島の提案に驚いた顔をしていた。兄から聞いていなかったのだろう。たった今聞いて、そして出した結論が"反対"なのだ。
 A組において氷火の意見力は高い、と蛙水は考える。なにせ、入試の実技一位、脳無と渡り合い、体育祭では総合三位、常に冷静沈着だ。

「行くべきじゃない。わたしやイズクがボッコボコにされたことからも、ヴィランの実力は察せられるでしょ」
「何も、正面切ってかちこもうってんじゃねぇよ」

 落ち着いた調子で反論したのは轟だった。

「戦闘はしない。ようは隠密行動だ」
「戦闘ナシで、爆豪を助け出す。ルールを破らずに出来る、俺ら"卵"ができる、爆豪救出作戦だ」

 轟の言葉に切島がのるも、氷火は表情を歪めただけだった。

「戦わないって判断は懸命だけどね……隠密行動って簡単に言うけど、プロ相手に素人が"息を殺す"程度じゃ通用しない。わたしだって数秒しか出来ないよ。標的でもない生徒は殺されるのがオチだね。逆に言うと、標的であるカツキはすぐに害されない。わたしたちがどうにかしなきゃって案件でもない」
「っポチは悔しくねぇのかよ」
「悔しいって一言で動いていい話じゃないと言ってる。それともう一つ。ツユちゃんも言ってたことだけど」

 蛙水は名前を出されて小さく鳴いた。ケロ。

「ヒーローにはルールがある。それを破るならヴィランと同じ。ショートたちには前にも言ったことがあるけど、私欲で力を奮うのはヴィランのすることだよ。それでも、どうしても、どーしても勝手な行動をとりたいって言うんなら――退学届けを出して行け」

 最後の一言は、ぐっと温度が下がっていた。直接的な言葉に、何人かがつばを飲み込む。切島と緑谷が口元を引き結んだのが分かった。
 蛙水は、冷たい一言を放った氷火をうかがう。飄々とした態度はどこへやら、どうやらひどく苛立っているらしかった。『前にも言ったことがある』内容は分からないが、氷火と、少なくとも轟にとって、このような展開は初めてではないのだろう。
 氷火は兄とクラスメイトに向かって、厳しい言葉を口にする。

「ヒーローになることは諦めて。他の高校に入っても、身勝手な行動の前科はついて回る。バレなきゃいいっていうのは、それこそヴィランの発想だよ。……わたしも、合宿の時は戦闘許可下りる前に交戦状態だったけど、もちろん退学を覚悟してやった。イズクがどうかは知らないけど。いくら命の危険があったとしても、強力な個性を行使するっていうのは、常にルールに縛られるべき事なんだよ。それが出来て、プロのヒーローを名乗れるんでしょう。感情に振り回されて学校のルールすら守れないなら、ヒーローなんて目指すのを止めろ」

 切島がやろうとしていることは、ヒーローの行いではない、と。氷火は鋭い意見を述べた。
 蛙水も思わず震えたけれど、至極真っ当だとも思った。
 ヴィランとヒーローは、個性を行使する、という一面においてやっていることは変わりない。私欲で好き勝手に力を奮うか、限られた範囲で限られた事柄にのみ力を使うか。個性行使の違いなんてそんなものだ。おまけに、ヒーローはヒーローたるために個性の訓練も当然行っている。それを好きに使えばどうなるか、悲劇だろう。だからこそ、ヒーローは一般人より厳しいルールが課されるのだ。
 氷火の言葉に、誰も反論ができなかった。蛙水は内心で頷く。彼女の言っていることは、厳しいけれど間違ってはいないのだ。反論できるはずがない。
 凍り付いている空気に気付いたのか、氷火はバツの悪そうな顔をした。

「プロヒーローが手をこまねいて、他に手段がないなら別だけど。現状、プロヒーローに任せていい状況なわけでしょ。生徒が出張る場面じゃない。下手をすれば、エージローもショートも死ぬ。人間って、結構簡単に死ぬし、殺せるんだよ」
「……だからって、爆豪をそのままには出来ねぇだろ」

 切島が声を絞り出すも、氷火は冷たかった。

「するんだよ。プロヒーローが助けてくれると信じて待つことが、ヒーローを目指している"だけ"の生徒に出来る唯一だ」
「お前は爆豪が心配じゃねぇのかよ!」
「やめろ切島!ポチも、あまり煽るようなことを言うな」

 掴みかかった切島を常闇が止める。他のクラスメイトも間に入り、ポチと切島に距離を取らせた。
 そのとき、緑谷の主治医が診察のため入室したので、爆豪救出作戦についての話し合いはお開きになった。
 蛙水は、皆とともに未だ意識の戻らない葉隠と耳郎の見舞いに向かう。ぞろぞろと大人数で移動しながら、最後尾にいる轟と切島を振り返った。轟は考え込んでいる様子で、切島の表情は険しい。氷火はというと、珍しく轟から離れて――離されて――いた。
 空気は、氷火の見舞いに向かったときとは比べ物にならないほど重い。

「ポチちゃん」

 蛙水は、苛立ちをおさめた氷火にこそりと話しかけた。氷火は、なーに、といつも通り笑う。

「あなたの言葉のおかげで、きっと思い直してくれるわ」
「だといいんだけどね。もし、これだけ言っても現地に向かうなら、さすがにわたしも怒ろうと思う」
「ふふ、きょうだい喧嘩ね」
「うん。向かった人を、ボッコボコにする」
「ぼ……」

 生きて帰ってこられたら、だけれど、思いの外物騒なことになりそうだ。そもそも切島らが行かなければ、それでいい話だ。
 シュ、と氷火が軽く繰り出したジャブが、前を歩く上鳴に当たった。


- 67 -

prev(ガラクタ)next
ALICE+