わんこ、乗り込む
ここまでは考えていた。
食事は、テーブルに鏡を置きながら進める。いつも見張ってくれるショートが不在なので、自分の様子は自分でチェックせねばならないからだ。鏡の中のわたしは、眉を寄せており、とてもじゃないが食事を楽しんでいる風ではない。
病院食は嫌いだ。味が薄い。食べている気がしない。ただでさえ食感がなく食事感が薄いというのに、味まで薄くされたら空気を噛んでいると言っても過言ではない。
それでもなんとか食事を終えて、あとは就寝時間まで一人暇をする。
イズクとモモは今日退院だと聞いたが、外傷による入院だった彼らとは違い、わたしは高熱による意識不明で入院したためか、退院は明日に見送られた。こんなに元気なのに。無痛症もどきであることも一因かもしれないが。
ベッドに座って、部屋にあるテレビを眺める。ニュース番組はどの局も雄英高校の不祥事でもちきりなので、適当なバラエティ番組をつけていた。ただ街をぶらぶら歩くだけの平和な番組だ。
掛け布団と枕を背もたれにして怠惰な態度でテレビを眺めていると、"円"の範囲内でわたしではない誰かのオーラがゆらいだ。ベッドと窓の、絶妙に空いた空間で空気が動く。瞬間、ベッドから跳ね起きて距離を取った。"円"を適切な大きさに広げて、その場所を睨んだ。
現れたのは闇だった。黒いカーテンのようにも見えるし、黒い穴のようにも見えるそれ。黒霧と呼ばれるヴィランの能力だ。人一人が難なく通れそうな大きさのゲートから、人の腕が伸びてくる。誰かが出てくるのかを身構えたが、手は上腕しか出てこなかった。男の人のものらしい手は、大きく開いている。
様子をうかがっているうちに、親指がたたまれた。
よん、だ。
わたしを誘拐したいが強制ではない、ということか。力づくでわたしをどうこう出来ないと判断したのかもしれない。が、どちらかというとわたしに選択肢がないからだろう。
さん。
黒霧のゲートが、黒霧の視界に入っていない場所で開く、ということはUSJ事件ですでにわかっている。そしてわたしの病室を特定しているということは、当然、まだ意識の戻っていないトオルやキョウカの居場所も割れているだろう。わたしが行かなければ、彼女らが攻撃される可能性が高い。
に。
彼女らだけではない、この病院のすべての人間が人質だ。ワープゲートで病院をまるごと飲み込み、真っ二つ、なんてことも出来るかもしれない。わたしは警察官のいるドアを一瞥したけれど、すぐに諦めた。たった一人の警察官がいたところで、病院を救うのは不可能だ。
いち。
結局、わたしはゲートをくぐるしかないのだった。
照明はオレンジがかっており温かみがあった。廃工場かゴミ屋敷を想定していたわたしは、オシャレな照明にまず拍子抜けした。いくつかのテーブルとカウンターがあり、カウンターの中にはずらりと酒が陳列されている。どこかのバーらしい。内装が整っているので、廃業しているわけではないだろう。
バーの中には複数の気配があって、オーラがどれもチンピラよりは上だった。合宿時に見かけた顔もある。ヴィラン連合とやらのアジトであることは確実だ。
「ようこそぉ」
カウンター席に座って頬杖をつく女子高生が、萌え袖で手を振ってくる。何気なく振り返すと、さきほどから隣でわたしを見下ろしている男がため息をついたのが分かった。顔面に手を貼り付けた、奇抜なファッションの男である。USJでも見た。カウントダウンハンドは彼だろう。
「そっちに手ぇ振るより前になんかあるだろ、目の前に拘束されたクラスメイトがいるんだから」
確かに、目の前には椅子に拘束されたカツキがいる。拘束ベルトで椅子にがんじがらめにされた上、両手を厳重に封じられていた。わたしを見て驚いた様子ではあったが何も言わないので、わたしを呼ぶことは事前に知らされていたらしい。
声をかけないのかと遠回しに言われたが、オーラを確認すれば思ったよりも元気だったし、五体満足なことが見れば分かるので、状況把握を優先したのだ。
「カツキは元気そうだし。わたしのことも拘束するの?」
「暴れればな」
「じゃあわたしは自由にしてていいんだ。立ってるのもなんだし座ろうよ」
「ここはお前の家じゃない」
手の男にばっさり切り捨てられる。
「あ、じゃあわたしの隣どーぞ」と女子高生がスツールを示してくれたのでお言葉に甘えた。頭の左右にあるお団子からぴょこぴょこ髪が飛び出し、クマのひどい女の子である。制服姿なので――学校に通っているかはともかく――学生の年齢なのだろう。笑顔が可愛い。
わたしが腰を落ち着けると、何も聞かずとも手の男が喋り始めた。わたしに話しているのではなく、カツキや他の仲間に説明しているような口調だった。
「爆豪勝己の勧誘理由はヴィラン向きの個性と性質だけど、轟氷火は違う。こいつは元々こっち側なんだ。……約一年半前、ヴィラン同士の抗争に出現。記憶喪失だということで、出動したエンデヴァーが保護、養子に迎えてる。調べればすぐに分かったぜ」
「それが何でヴィラン側ってことになるの?」
サングラスをかけた、たらこ唇のヴィランが言う。合宿所の広場でマンダレイたちと戦っていたヴィランである。女言葉だがガタイが良いので、オネエというやつだろう。
答えたのは、カウンターの中にいる黒霧だった。もし上手いタイミングがあれば、この人とは話がしたい。能力について、是非とも聞きたい。
「"記憶喪失"に強い疑惑があります。保護された際、『国籍も戸籍もないから忘れているようなもの』といった旨の発言があったそうです。つまり、国籍や戸籍がないだけで記憶はあるのではないかと。ヴィランの抗争で保護されたそうですが、そもそも抗争原因のヴィランなのではないですか。巻き込まれた一般人ならば、記憶喪失を装う意味もありませんしね。どうなのですか、轟氷火さん?」
「ノーコメントで。あとポチでいいよ、そう呼ばれてるし」
「ここでの黙秘は、記憶喪失が虚偽ということの肯定にもつながりかねませんが」
「何言っても都合のいいようにしかとられない気がするから、ノーコメントで」
両腕でバツを作って黒霧に示してから、視線をグサグサ指してくるカツキに声をかけた。
「びっくりしてるね」
「するだろ。あんだけ半分野郎と個性が似通っておきながら?養子?」
「うん。特別隠してるわけじゃないんだけどね。能力が似てるのは百パー偶然なんだなあこれが」
カツキはまだ何か言いたそうだったけれど、睨んでくるだけだった。
そんなことより、と。隣の女子高生が無邪気に挙手をした。
「ポチちゃんは、仲間になるんです?」
「なりません」
「えー!来てくれたのに、仲間になってくれるんじゃないんですか」
「ここに来たのは、病院の人間が人質になったからだよ。仲間にはなりません」
「そんなこと言っちゃって、殺されちゃうとかは思わないんですか?」
「さらっとこわいこと言うなあ。身は守れるし、ヒーロー側の捜査も進んでるし大丈夫大丈夫」
「わあ、弔くん、わたしたち喧嘩売られてますよ!」
女子高生が手をパタパタと動かす。わたしが言うのもなんだが、彼女はヴィランっぽくないなあ。わたしの犯罪集団頭目のほうの飼い主もそれっぽくない男だったけれど。
女子高生に呼ばれた手の男・トムラクンの反応はといえば、激昂することもなく「説得の余地はありそうだな」と前向きだった。
「オトモダチを呼んでみるか。来るかどうかは、向こう次第だけど……馬鹿じゃなければ、来るだろうな」
死柄木が、黒霧のゲートに腕を突っ込む。その数秒後、舐めプツインズの妹がひょっこり現れた。入院着にスリッパという出で立ち。合宿襲撃時で犬っころがどういった立ち回りをしたのかは知らないが、入院中の身であるらしい。包帯やギプスはないものの、何らかの懸念があるから入院しているのだろう。
標的が己と犬っころであることは合宿襲撃時にテレパシーで聞いているので、それ自体には驚かなかった。本当に来るのかよと思ったことは確かだが、苛立たしいことに俺自身も人質であるという現状、現れたことにそこまで驚きはしなかったのだ。
だが、犬っころに声をかけなかった理由はそこにはない。驚きすぎて絶句したわけでも、驚かなかったから話しかけなかった訳でもなかった。
ゲートをくぐって来た犬っころは、まるでコンビニに入ったかのように平常だった。俺だってヴィランの本拠地に拘束されて緊張と警戒をしているというのに、自ら足を踏み入れた犬っころは、「あーこんな感じなんすねー」と思っていることが透けて見える。そのままあろうことかヴィランの隣に腰を下ろした。実力のあるこいつのことだ、きちんと警戒はしているにしても、それにしても馴染んでいる。
犬っころがヴィランであると疑ったことなどないが――雄英に通う生徒、まして同じクラスの奴を疑うなどあるわけがないが――聞かせられた死柄木の言葉に納得してしまいそうなくらいには、犬っころはここの空気に溶け込んでいた。
それでもヴィラン連合の勧誘に乗る気はないようで、死柄木からの言葉を適当にかわしている。
「こうしてヴィランを前にして呑気に肘をついている姿勢からして、お前どう考えても元々ヴィラン側だろ」
「特別ヒーロー志望じゃないってところは認めるけど、あれだよ、図太いだけ」
「寝返っちまえよ。好きに個性を使えるぜ」
「一緒に頑張りましょうよ、ポーチちゃん」
「パパ上を裏切る理由には足りないかなー」
「パパ上ってエンデヴァーですか?かあいい呼び方ですね」
「止めろって言われるけどね」
「ポチさん、オレンジジュースでも飲みます?」
「氷ナシで」
何しに来たんだこいつ、と思わずにはいられない。犬っころは黒霧からグラスを受け取ってストローに口を付けた。さては、俺が捕縛されてるってこと忘れてるな?手を借りるつもりはないが。意地でもしないが。
睨んでいると、犬っころが俺のほうを向く。飲みかけのジュースをそのままにしてこちらに歩いてきた。やめろ来なくていいジュース飲んでろ。
「特別隠してる訳じゃないんだけど、言うとややこしいから、一応わたしとショートに血のつながりがないってことは伏せててね」
適当な椅子を引き寄せて俺の隣に移動してきた犬っころは、ひらひら手を振りながらそういう。完全に教室での世間話のテンションだが、何度も言うがここはヴィランのアジトである。
「てめぇん家の事情なんざ興味ねぇわ。つか馴染んじゃねぇぞ犬っころ、ほんとにヴィランなんかよ」
「カツキまでそんなこと言うの。いいじゃん、現状悪いことするつもりないんだから」
「否定はしないんか」
「何言っても信用してもらえなさそうだから、まあどっちでもいっかなって」
そう言う犬っころの顔は少しばかり面白くなさそうだった。決して悲しそうではないし、憤ってもいなかった。
犬っころが表情を繕えないらしいことは知っている。
こいつは多分、嘘をついている。
ヒーローの突入を許した死柄木は、大きな舌打ちを一つした。黒霧も気絶させられて使えない。腕の動きを封じられては、シンリンカムイの拘束を崩すことも出来ない。
苛立ちのままにオールマイトを睨む。壁をぶち壊して入ってきたオールマイトは、人質である爆豪と氷火を背に庇い、腹の立つ笑顔を浮かべている。
成り行き窺うように、オールマイトの背から氷火が顔を出した。氷火はカウンターのほうを一瞥すると、またオールマイトの背に隠れる。緊張感のあるこの場で一際呑気だ。ヒーローの突入に驚いている様子もなかったので、接近に気付いていたのだろう。知らぬ顔をして、オレンジジュースを飲んでいたのだろう。
イライラする。こんなところで終われない。こんなにあっけなく終わるなんて許されない。
打開策を探すも、仲間は全て捕らえられている。移動系個性が最初に抑えられたことも大きかった。この場で自由に動けるのは駆けつけたヒーローと人質だけで、もう死柄木らに行動はとれない。
ふと、死柄木の脳裏に数分前の会話が蘇った。
「轟氷火」
呼ぶと、本当に呑気なことに「なに?」と返事が返って来る。オールマイトが庇い、爆豪が肩を叩いていた。
氷火は勧誘に無関心だった。怯えもせず、爆豪のように煽り合うこともなく、本当に無関心なようだった。それでも、氷火は言っていたのだ――個性を好きなように使うというメリットだけでは『裏切る理由には"足りない"』と。
「お前が興味津々な、黒霧との対話を好きなだけさせてやる」
氷火が目を見開いたのが分かった。どういった理由があるのかは知らないが、USJ襲撃時から氷火は黒霧に興味をみせていた。ワープ個性の詳しい発動条件を知りたがっていた。
黒霧が逮捕されれば、一生徒である氷火が接触することは難しくなるだろう。面会は出来たとしても、監視の目がある中でやりたいように質疑応答をすることも難しい。黒霧も、素直に答えるとは思えない。
けれど仲間になれば、死柄木はそれをさせてやれる。黒霧に、氷火に付き合うよう命令が出来る。
聞きたいのなら聞けばいい。個性を体験したいのなら飽きるほどすればいい。
仲間になるのであれば、それが出来る。
「"こっち"に来い。この状況を打開しろ」
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