★★酒★★


どうしても何か書きたくなった。つっこむならガヴィしかいないと思った。




 公演後、ステージ袖で待ち構えていたのはケイだった。フロアスタイルのケイは、何故か晶をじっとみすえている。視線で呼んでいるのだ。
 晶はうげえと顔をしかめた。声にも出した。一点集中で呼ばれるとは何事だろうか。今夜のステージには手ごたえがあっただけに謎だ。正直行きたくないが、ケイを無視するわけにもいかない。晶は黒曜に鼻で笑われ、軽めの肩パンを返した。
 ケイのことは嫌いではないが、ショーが成功して上機嫌なだけに、真っ先に目に入るのが野郎というのが残念極まりないのだった。

「なに。袖で待ってくれるなら可愛い女の子がいいんだけど」
「すぐに着替えてフロアへ行け。制汗剤を忘れるなよ。ここの連中は客前に出る自覚が足りんからな」
「フロア? なんで?」

 ケイがくっと口の端を釣り上げる。いつもの尊大な笑い方だ。これで年下など詐欺である。

「十分すぎるチップを貴様に積んだお客様がいらっしゃる。相応の対応は必要だろう」
「えっマジで? どんだけ?」
「とても一晩で積む量ではない、とだけ告げておこう。急げ」

 ケイに急かされてバックヤードへ走る。その客がいつ帰るか分からないので、シャワーを浴びる時間もない。言われた通り制汗剤で汗のにおいを飛ばしてステージ衣装から着替えた。乱れた髪を軽く整えて、フロアへと出る。
 ケイがああいって笑うほどなのだ、中々お目にかかれない数のチップが投げられたのだろう。それだけ、自分の歌が――自分たちのステージが認められ、誰かの心に響いたということだ。素直に嬉しかった。少しだけ、物好きだなとも思うけれど。
 フロアに出ると、吉野が気づいて駆け寄ってきた。例の客の場所を問うと、バーカウンターの近くのテーブルを示される。そこには一人の若い普通の女性が座っていた。
 晶は拍子抜けした。年齢性別はともかく少なくとも派手な容貌を想像していたからだ。

「ほんとに? あの女の子?」
「本当ですよ。新規さんです。よほど、晶さんの歌が気に入ったんでしょうね」

 女性は酒に強いようで、ちょうど、ウイスキーのグラスをぐっと傾けて飲み干したところだった。



 久々に来た日本で、ガヴィが酒を飲む場所に選んだのはショーレストランだった。なにかこだわりがあったわけではなく、たまにはバーでなくてもいいかと思っただけだ。酒が飲めればどこだって良かった。
 予想外だったのは、そのショーが思いのほか完成度が高かったこと。アングラな場所にしては、良い指導者がいるのだろう。
 たまにはこういう場もいいものだなとショーを眺め、気まぐれにシンガーにチップを積んだ。本当に気まぐれだった。近頃立て込んでいたから、ストレス発散に散財したかったというのもあるのだろうと自己分析をする。
 すると、そのシンガーがテーブルまでやって来た。ガヴィの横の椅子をひいて座る。

「こーんばんは。俺のこと気に入ってくれたの?」

 ステージとは違い、軟派な笑顔と態度だった。キャストに夢を見ている乙女ではなくただの酒飲みなので、幻滅することもない。このギャップが女性ウケするのかもしれないが、そういう普通の女性でもなかった。
 ガヴィは、素直な賛辞を口にする。

「いいステージだった」
「ありがと。すっげー応援してくれたって聞いたよ。嬉しいけど、破産しないでよね」
「自由に使える金しか使っていない」
「うひゃーすげぇや。ぜひまた来てよ。出来れば俺らの公演のときにさ。もっと楽しませて見せるから」
「日本に来たときは、顔を出してもいいかもな」
「普段は海外?」
「仕事柄な」

 とても人には言えない職業なので濁す気満々だったが、彼はそれ以上踏み込んでこなかった。こういう場所にいる人間は、同業ではなくとも距離感をわきまえているので話しやすい。どこぞの好奇心の塊探偵とは大違いである。
 彼はテーブルに肘をついて、笑顔で顔を覗き込んでくる。物理的な距離の近さは、こういう店らしいものだった。心理的距離の置き方が的確なだけに笑えた。ふっと鼻で笑うと、彼も笑みを深める。

「まだ時間あるなら、一杯奢らせてよ」
「じゃあ、今きみが飲みたいものをくれ。僕は何でも飲める」
「いいね、その注文の仕方。オーケー、ちょっと待っててよ」

 彼は腰を上げかけるが、ガヴィが「そういえば」と呟くと中途半端な体勢で制止した。
 ガヴィは彼を見上げて、首を傾ける。

「きみ、名前は?」
「えっ知らずに推してくれたの!? 晶です!」


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