わんこ、選ぶ


視点も場面もごりごり変わる。



「お前が興味津々な、黒霧との対話を好きなだけさせてやる」

 わたしは、この生活を楽しんではいるけれど、帰ることは諦めていない。犯罪集団のペットに戻ることを望んでいる。自分で移動系能力を作ろうとも考えているし、移動系個性の人間がいれば詳しく話を聞きたいと思っている。トムラクンの言葉は非常に魅力的だった。この状況でこのお誘いだ、次にかけられる言葉に予想もつく。わたしは、わたしとカツキを背にかばうオールマイトを視線だけで見上げた。

「"こっち"に来い。この状況を打開しろ」

 不意をついて一撃で沈める。今この瞬間なら、できるかもしれない。
 巨体の頭目掛けて軽く跳ぼうとしたものの、体が思うように上がらなかった。何かに引っかかったのだろうか。まさか、軽く跳びあがるという単純な動作に必要な力を見誤ったのか。これでもうは不意をつけない。
 体を見下ろすと、腰に鍛えた腕が回っていた。
 カツキだった。



「"こっち"に来い。この状況を打開しろ」

 その瞬間、目の前の犬っころが殺気立ったのが分かった。足元の感覚が無くなり、内臓が浮遊しているような不快感を覚える。息が出来ているのは、その殺気の矛先が己ではないからだ。俺はかろうじて息を吸えたし、冷静さを吹き飛ばすこともなかった。
 オールマイトも殺気に気づいて振り向きかけているが、すでに体を浮かしかけている犬っころのほうが早いと思われた。今ここにルールはない。犬っころは体育祭のように手加減はしないだろう。
 犬っころを止めなければオールマイトが殺される。
 実際にそうできるのかはわからないし、オールマイトが犬っころに負けるとは思えないのだが、目に見えそうなほどの殺気はオールマイトの死を想像させたのだ。
 俺は咄嗟に、犬っころを捕まえた。腕をつかむのではなく体を押さえたのは、腕を一本封じたところで犬っころが止まるとは思えなかったからだ。この殺気の中で動けた自分に拍手を送りたくなる。
 俺の体重がおもりになって、犬っころは完全に浮き上がることはできなかった。地面に足をつけて、自分の体を見下ろしている。
 犬っころが俺を振り向いたときには、殺気は霧散していた。

「カツキ?」

 殺気をこめたまま振り向かれなかったことに悔しいが安堵する。犬っころにとって、敵方に寝返った時の脅威はオールマイトであり、俺ではないのだ。
 ただのクラスメイトに戻った犬っころは、不思議そうな顔をしていた。行動を封じた俺に敵意を向けることもなく、ただ、驚いたようだった。

「なんで」

 なんでもくそもあるか、止めるのは当然のことだろ。クラスメイトが人を襲おうとしているのも、クラスメイトが敵方に寝返ろうとしているのも、殴ってでも止めるのは当然のことだろ。
 そう怒鳴ってやりたいところだったが、俺たちはまた別の能力によってその場から移動させられた。



 一度はカツキに止められたとはいえ、ヴィラン側につく機会はいくらでもあった。殴りこんできたオールマイトから"先生"とやらを守れば分かりやすい寝返りにだっただろうし、悪役らしくカツキを拘束することだってできたし、壁の裏でコソコソしているクラスメイトを引きずり出しても良かったし、カツキを放置して進んでわたしだけクロモヤさんのゲートに入ってしまっても良かった。
 だが一度、カツキに止められたのだ。ショートが来ていることも分かっていた。だからわたしは、そのどれも行動に移さなかった。
 六人のヴィランの手から逃げるカツキを援護し、わたしも適度に応戦した。半ば心ここにあらずで半端になったことは認めるが、それでもヴィランに敵対したのだ。

「なんで……」

 空を飛びながらつぶやく。わたしは、カツキにおんぶされるような体勢で空を飛んでいた。

「ハァ? なにが『なんで』なんだ黙ってろ舌噛むぞ犬っころクソが」
「ひどない?」

 わたしたち救出のために空に飛び出したテンヤとイズクとエージローたち。加速のための氷の土台を作ったのはショートだ。もう一人いたはずだ、昼間のやり取りを思いだすにモモの可能性が高い。ショートとモモは空にいなかったので、イズクたちが派手に飛び出したすきに地上から離脱したのだろう。
 カツキがエージローの手を取って、カツキとテンヤの個性で空を進む。が、二人の個性で五人を飛行させるには無理があり、安全な距離を取ってからビルの屋上に着地した。
 わたしもカツキの背から降りる。
 イズクとテンヤとエージローは作戦の成功を讃えていた。カツキはエージローに「決して助けられたわけじゃない」とか「脱出の成功率を考えて最も高いものを選んだだけ」だのと突っかかっている。イライラしているようでいて、安心しているのは見ていて分かった。バーにいるときのカツキは気の毒なくらい緊張していたから。

「ポ、ポチさん? 大丈夫? どこか痛い?」

 なんとなく彼らしくない格好をしたイズクが顔を覗き込んでくる。

「無傷だし、そもそも痛いのなんて分からないよ」
「でも……涙が」

 言われて、指先で目元をこする。指に水滴がついていた。

「……泣いてる? わたしが?」
「そう見えるけど……あ、そりゃそうだよね、怖かったよね。あ、かっちゃ、かっちゃん!?」

 そばに来たカツキに頭を叩かれる。軽く視界が揺れただけで痛みはない。当然ながら。なにしてんだよ、とエージローとテンヤが間に入り、イズクに慰められた。とんだいじめられっ子の絵面である。
 顔を上げると、どこか不満そうな顔のカツキがーーいやいつものことか。通常運転のカツキが、まっすぐわたしを見ていた。
 わたしを止めたときと同じ、逸らすことを許さないような視線だ。
 だって、まさか、止められると思わなかったのだ。わたしだって念能力者のはしくれで、殺気や圧力を素人とは比にならないくらい扱える。オーラを練り上げるとそういう空気になると知っている。あの時のカツキには相当こたえたはずだ。そんな中で、まさか引き留められるなんて。
 わたしはそれを振り払えなかった。
 わたしは帰りたいのに、それは本当なのに。

「おうちかえりたいよぉ」
「あっ爆豪がポチを泣かせた」
「謝りたまえ爆豪君」
「あんで俺のせいになるんだよ違ぇよ」
「あ、ほら、ポチさん、轟君と電話繋がったよ!」

 おうちかえりたいよぉ。


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