わんこ、ホームシック


 クラスメイトの忠告を無視する形で爆豪の救出に向かった俺たちは、緑谷の知恵を借りて、病院にいるはずのポチもまとめて二人の救出に成功した。二人に怪我はほとんど無かったが、ポチの様子が見るからにおかしかった。救出直後に理由も言わずぼろぼろ泣いていた。爆豪に叩かれたからではないらしい。勝手をした俺たちに怒るだろうと思ったがそれもない。警察官に保護されても呆然としていて、もう一度爆豪に叩かれていた。
 帰宅してからも変わらずだった。病院から誘拐されたポチと急に家を空けた俺に、気が気じゃなかった冬美に対しては、いつもどおりの調子で接していたが、冬美が離れると思案気にして黙り込む。俺を責めるようなこと言わない。ただ、考え込んでいるらしい。
 俺がポチの誘拐を知ったのは現場に行ってからなので、どういういきさつで誘拐されたのか不明だ。誘拐されるときに、もしくは敵のアジトにいる間に、なにか傷つくことでも言われたのだろうか。爆豪は何か知っているようだった。俺では、相談に乗れないことだろうか。

「なあポチ」

 ただの夏休みである俺はともかく、自宅待機を命じられているポチは家から出られない。出る気が無いのだろう、ポチは獣化したままでいる時間が増えていた。
 庭の木陰で丸くなっているポチの横に座る。地面の冷たさが伝わって心地よかった。冷やそうと思えばいくらでも冷やせるが、今日は風もあるせいか、暑さは幾分ましだった。

「俺を怒らないのか」
「……」
「何があったんだ。調子狂うだろ」

 フン、とポチが鼻で息をする。もぞもぞ動いて、俺のあぐらの上に乗った。全く収まっていない上にとても重い。そして暑い。自分を豆柴だとでも勘違いしているのだろうか。
 無視でないだけ、良しとする。
 何か弱っているらしいということは伝わるので、ポチは分からないだろうが、頭をなでて耳の後ろをかいてやった。相変わらず毛並みが良い。

「気の利いたアドバイスは出来ねぇかもだけど、話相手にはなれる。俺はお兄ちゃんだからな」
「ハフン」
「笑ったろ」

 顔を覗き込むと、ポチは片眉を上げるような仕草をして目を閉じた。このまま昼寝をするらしい。
 ポチが目覚めるのが先か、俺の脚が限界を迎えるのが先か。



「わたしのケジメをつけたら、しっかり怒るからね、お兄ちゃん」

 人に戻ったポチは、ご丁寧にそう宣言してきた。


*

 オールマイトは、電話を取り次いでくれた教師に礼を言って保留を解除した。
 職員室は落ち着きがない。それはヒーロー科一年の合宿襲撃、生徒の誘拐、メディアや保護者への説明、寮生活に向けた準備、と息つく暇もないからーーだけではなく、今オールマイトに電話をかけてきた生徒への興味による。
 雄英高校に電話をかけオールマイトを呼んだのは、渦中の生徒の一人、轟氷火だった。
 オールマイトは視線を感じながら、こころもち声量を落として話しかけた。

「やあ、轟少女」
『こんにちは、オールマイト先生』
「調子はどうかな。家でゆっくりしているか?」
『二足歩行を忘れそうだよ』
「あはは。電話、相澤先生じゃなくていいの?」
『うん』

 氷火は少しの間をおいた。

『せんせえ』

 躊躇いがちに、オールマイトの反応をこわごわとうかがっているようだった。しおらしい、ひいては氷火らしくない様子に、オールマイトは瞬きをしてから柔らかく促す。

「うん、どうしたんだい」
『あのとき、殺そうとしてごめんなさい』

 オールマイトは思わず頭に手をやった。
 ヴィラン連合の拠点にて、オールマイトは確かに氷火に殺気を向けられた。敵意ではなく、純粋な殺気。ゾッとしたのは、学校の演習ではまだ爪を隠していたのだということではなく、本気の殺気の向け方を心得ているところだ。爆豪勝己が氷火を抑えなければ、オールマイトも無傷では無かっただろう。クラスメイトを攻撃しないことにひどく安堵したものだ。
 オールマイトは、もちろんこのことを報告している。しかし、ともすればヴィラン側ととられかねない行為なので、ごく限られた者しか知らされていない。言葉は選ばないとな、と周囲を何気なく確認した。
 黙っているオールマイトをどう受け取ったのか、氷火は早口で付け足した。

『全寮制導入の説明でうちに来るけど、そのとき話せないと思って。ショートもフユミもいるでしょ。ふたりになれないでしょ。呼び出されるかなと思って待ってたのに、それもないから電話した』
「自宅待機の生徒をやすやすと呼び出せないからなあ」
『うん』
「……どうして轟少女は、あちらにつきたいのかな」
『……』
「言いたくない?」
『……』
「そっか」

 それで無視されるかと思いきや、氷火は『あのね』と言葉を選んでいるようだった。
 前々からヴィラン連合に興味を示していたが、その理由については不明だった、のだが。
 オールマイトが緊張して待っていると、氷火はもう一度『あのね』と切り出した。

『うちに帰りたいの』
「……本当の家に?」

 氷火は轟家に引き取られているだけだ。元の家があるはず。ーーしかし氷火は記憶喪失ということになっている。
 彼女は、その記憶喪失説を捨てようとしている。
 襲撃、誘拐、救出される中で心境の変化があったのか。よほど弱っているのかもしれない。

『みんなのところに帰りたい。ここ、嫌いじゃないけど、絶対帰ってみせるから。だから、移動系個性のことが知りたい』
「飛行機では帰れない?」
『それで帰れるなら、もう帰ってる』
「よほど辺境なのか」
『そうかも』

 彼女の声は、はじめて聞くくらい穏やかだった。
 自力では帰れない場所となると、彼女ははじめから何か事件に巻き込まれている可能性がある。それならそう言わないことに違和感はあるが、周りを信用出来なかったとも考えられる。事実、彼女はエンデヴァーを威嚇している。

「みんなって、家族?」
『家族みたいな、仲間みたいな。わたしを助けれくれたひとたち』
「そうなんだ。……?」

 つられて優しく相槌を打ったものの、以前の彼女の言葉を思い出して固まった。

「……この前言っていた、盗みも殺しもするっていうのは、その人たちのことか?」
『駄目?』
「いや駄目というか」

 大罪人ではないのか。ヒーローが追う側の人間ではないのか。そんな集団を慕っているのか。
 信じがたい気持ちでいながらも、同時に、道理で彼女はヒーローに対して懐疑的なのかと納得もする。以前、彼女はその犯罪者たちに助けられたと言っていた。だから自分にとってヒーローなのだと。どれだけ悪行をしていても、自分に害がなければそれでいいのだ。自分さえ良ければ、それでいいと。
 オールマイトは絶句していた。ストックホルム症候群という言葉が頭をよぎるが、彼女と彼らとの関係性が不透明ゆえに断定も出来ない。冷静な精神状態で、犯罪者たちを慕っている可能性もある。
 校長は、なんという爆弾を生徒に迎えたのだろう。

『あはは、言葉を失ってるね』

 調子を取り戻したように笑う。

『わたしには優しいよ。美味しいお店連れてってくれて、一緒に洋服を見て回って、なんでも教えてくれて、絶対にわたしを守ってくれる。みんなが、わたしにとってのヒーローなんだよ』
「……誰かを殺しても?」
『何人殺しても……何百人殺しても』
「……」
『ああ、すっきりした。これでショートを怒れるよ。じゃあね、オールマイト先生』

 そっちはすっきりしたかもしれないが、こっちはモヤっとしている。オールマイトが質問を重ねる前に、氷火は一方的に電話を切ってしまった。
 オールマイトは頭を抱えた。
 組織名や有名な事件の名前は挙がらなかったが、非常に凶悪な犯罪集団の出だということを本人が認めてしまった。
 氷火は、ヴィラン連合に勧誘されながらそれに乗らなかった。雄英高校に向き合おうとした結果のカミングアウトなのだと思われるが、「明かしてくれてありがとう」と簡単に口に出来ない。いっそ黙っていてくれたほうが、記憶喪失のままのほうが良かった気さえする。
 いや、生徒の決意を教師がないがしろにする訳には。

「……ヴィラン予備軍として扱われても文句が言えないぞ……」

 それも覚悟して、話したのだろうが。もしくは、ヴィラン予備軍扱いされることをなんとも思っていないか。――後者な気がする。
 元々犯罪集団の所属だとすると、日本に連れてこられたのは捕まって連行されたか、敵対組織との争いか。連行ならば自分の所属をこうして明らかにすることもなかっただろうから、犯罪集団と犯罪集団の争いによるものだと思われる。数百を殺すような犯罪集団が日本に来てしまったという情報が、もしやどこかにあるのだろうか。
 おおごとだ。
 氷火の実力を考えると、とても楽観的ではいられない。氷火は仲間のことをヒーローと呼び、自分を守ってくれると言っていた。つまり、その犯罪者たちは氷火よりも実力が上だということになる。A組で実力が抜きんでていて、脳無と渡り合い、マスキュラー相手に渡り合い相澤の前まで誘導してみせ、オールマイトに殺気を向けた、轟氷火よりも実力が上で人殺しに躊躇がない集団。そこらの犯罪者とは格が違う。
 自席で項垂れていると、相澤が名簿を片手に声をかけてきた。ヒーロー科保護者への全寮制導入説明の打ち合わせだろう。

「あ、ああ、ごめんね相澤くん。もう時間だったのか」
「いえ……轟妹からだったようですが、何かおかしなことでも言われたんですか」
「……うん」
「……殺害予告でも?」
「いや、それに関してはむしろ謝られたよ。多分、轟少女はもうヴィラン連合とつるもうとはしないだろう。誠意のある、姿勢を、みせてくれた、けど」
「はい」
「……ふたりで話そう。ここでは無理だ。仮眠室へ」

 相澤の目が鋭くなる。その鋭さが困惑に変わって頭を抱える様子が想像出来て、オールマイトは乾いた笑みをこぼした。ともにこの問題に苦しんでほしい。
 
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