わたしたちの世界へようこそ


※すごくIFです※




 飯田君が、学校の図書室で不思議な本を見つけたから借りてきた、と僕に見せてきた。
 背幅が五センチはある分厚い本だった。箔押しで装飾とタイトルが入っている豪華装丁だ。角がすれていて年季を感じるが、まだまだ頑丈そうだった。中身も、小説本よりはしっかりとした分厚い紙で破れているようなページはなかった。
 飯田君と、僕と、轟君とで本を囲む。
 この豪華な古書の不思議なところは、飯田君に聞かずともわかった。

「読めないね……」

 表紙に書かれているタイトルらしきものも、本文も一切読めない。英語ではないどころか、アルファベットですらない。単なる記号のようなシンプルな模様が並んでいる。
 僕は言語学者ではない。読めない文字があることに対しては何とも思わない。おかしいのは、こんな不思議な文字の本が学校の図書室にあるところだ。雄英高校に、こんな言葉を勉強する授業は無いはずだ。

「飯田、これどこにあったんだ?」
「共有のソファのところさ。本棚に直し忘れているのかと思ったんだが……。ちなみにバーコードもない」
「えっ貸出できたの?」
「いいや、手続きせずに単に借りてきただけだ。図書委員もいないようだったから。後で相澤先生に相談しようと思う。図書委員の怠慢も報告する!」
「読めないのもそうだけど、バーコードがないって……誰かの私物なのかな」

 厚いページを一枚ずつめくる。絵や図はなく、フォントサイズの変わらない文字だけが並ぶ。色の濃い文字は印刷なのか、手書きなのか。指先でなぞってみると、文字の部分は紙よりもつるつるしていたが、それが印字なのかインクなのかは分からなかった。
 他の生徒に聞いてみようかと本から顔を上げて教室内を見る。博識といえば八百万さんだ。勢いの良いポニーテールを見つけて声をかけようとしたとき、教室のドアが壊れる勢いで開かれた。
 ポチさんだった。スカートのポケットからハンカチが飛び出している。お手洗い帰りだろうか。

「おいポチ、ドア壊す気か」

 轟君が咎める。鬼気迫る表情のポチさんは、生返事をして視線を走らせ、机の間を縫って僕のところへやってきた。僕?
 ポチさんは、机にある謎の本に釘付けだった。ひったくるようにして本を手に取ると、表紙を確認して、パラパラ漫画を見るようにページを送る。

「ポチさん、この本を知ってる、のッ!?」

 僕は問いかけようとして、急にバランスを崩した。僕だけじゃない、みんな――轟君と、飯田君と、ポチさんだ。どしゃ、と四人で転げて本も落ちる。
 "どしゃ"?
 僕は青空を見上げて目を瞬いた。教室内でコケたなら、"どん""びたん"あたりが妥当な痛みだろう。けれど、聞こえた音は"どしゃ"だった。たくさんの物の上に落下したような、いくつか物を下敷きにした音だった。
 刹那そんなことを考え、僕は顔をしかめる。

「青空……? ぅオエッぐッ」

 呼吸を阻む悪臭に、空を見上げたまま鼻をつまんだ。しかし口からもむっとした不快な空気が入ってくる。鼻をきつくつまんでも逃れられなかった。とてもじゃないが深く呼吸は出来ず、浅くしか息が吸えない。きつい運動の後のように短く息を吸いながら、腹筋で体を起こした。
 ゴミ捨て場だった。
 僕が腰かけているのも、倒れていたのもゴミの上。視界にはゴミしか入らない。一面がゴミだった。ゴミ畑、という言葉が頭をよぎるくらいだった。晴天が悪臭に拍車をかけているらしい。
 轟君と飯田君が、僕と同じように鼻をつまんで座っている。表情は無だ。何が起こったか全く分からない。教室内から外、だけなら移動系個性からの攻撃を疑うが、このゴミの量は一体なんだ。
 僕らが呆気にとられる中、ポチさんだけが違っていた。何度かむせたものの、鼻をつままずに立っている。その場で回って三六〇度を確認すると、両手の拳を空に突き出した。

「ぃやった、やったあ! やったぞー! ひゃっふう! 最高!」

 あふれんばかりの喜びを叫んでいる。その場で飛び跳ね、笑い、小躍りする。
 僕は轟君を見た。轟君は首を横に振った。ポチさんの歓喜の理由は分からないらしい。けれど、分からなくても、ポチさんへの突っ込みに適しているのは轟君だ。
 
「おい、ポチ、ここどこだ」

 轟君が呼びかけると、ポチさんは雀躍(じゃくやく)を止めて僕らを見る。鼻をつまんで座り込む僕らは相当まぬけに見えただろう。
 ポチさんはしまったと言いたげな表情をしたが、一瞬だった。こらえきれない笑みを浮かべて、ゴミの中で両腕を広げる。

「わたしたちの世界へ、ようこそ!」



 クエスチョンマークを浮かべて言葉を失っている僕たちに、ポチさんは簡単に説明してくれた。

「ここは、ショートたちの世界とは別の世界だよ。わたしはここの出身なの。あの本に似たもののせいで向こうに行っちゃってね。今やっと帰ってこられたってわけ」

 ゴミの上に胡坐をかいて、ポチさんはにこにこと教えてくれた。
 僕と飯田君が頭を抱えている間に、轟君がポチさんに問いかける。

「それで親父に?」
「うん。ヴィランのとこに出たみたいで、駆けつけたパパ上に保護されたの。そのまま家に行って、あとはショートの知ってる通りだよ」
「なるほどな」
「何もなるほどじゃないだろう!?」

 飯田君が声を上げ、大きく息をしたせいでえずく。なんとか踏みとどまったようだが、顔色が真っ白だった。
 僕は慎重に呼吸をして、喜色満面のポチさんと平静の轟君との会話に入った。

「轟君とポチさんは、きょうだいなんだよね……?」
「ポチは養子だ。親父が拾ってきて、俺の妹ってことになった。俺はポチがどっから来たのかも知らなかったし、親父も知らねぇはずだ」
「そんな状況で引き取ったの?」
「パパ上太っ腹だよねー」
「それで済むんだ……え、じゃあ血のつながりはないんだよね。個性は?」
「それは偶然だよ」
「そんなことある?」
「わたしが一番びっくりしたから」
「俺のセリフだ」

 炎と氷。複合個性が一致していて、血のつながりを疑おうなどと思わない。少なくとも、僕は彼らの血縁関係を疑ったことはなかった。
 嘘だろう。ふたりに血のつながりがないとか、世界が別とか、このゴミ畑とか。
 嘘だと言ってくれ。

「大丈夫。わたしを移動させた本があるはずだから、みんなはちゃんと帰れるよ」

 ポチさんは明るくそう言った後、少し眉を下げた。

「わたしの保護者に合流できれば、なんだけど」

 *

 この世界はゴミしかないのか、とショートに言われて思わず笑った。

「ここは流星街(りゅうせいがい)っていう、世界のゴミ箱なの。流星街の外は、普通に街だよ。みんなの世界とあんまり変わらないかな。馴染みやすいとは思う」

 あんまりじっとしているのも無意味なので、ゴミの上を歩き始める。目指しているのは、流星街にある幻影旅団のホームだ。誰かいれば僥倖。そうでなくとも、壁と屋根はある。寝床としては十分だ。ホームに誰もいなければ流星街から出るつもりだが、前もって色々と話はしておきたい。歩きながら話すのには、ここのにおいはきつすぎる。アジトのほうがマシだろう。多分だが。
 ゴミ山に案内板があるはずないが、円を広げれば建造物の有無は分かるのでそれを目指して歩いた。足元が悪いので進みはゆっくりだが、三人はヒーロー志望で体力もあるので、そう時間をかけずに到着した。

「ただいまあ」

 言いながら入るも、誰もいない。円で感知できない時点で分かっていたが、少しがっかりだ。

「ここが家なの?」

 イズクが無機質な廃墟を見回す。 

「わたしの保護者たちが昔住んでたところだよ。今でもたまに出入りしてるらしい。わたしはあんまり来ないけどね、くさいから」
「その割には平気そうだけど」
「すぐ麻痺する」

 くさくない、とは思っていない。くさい。しっかりくさい。
 飲み物が無いので、一口大の氷を三人に渡した。わたしも氷を口に入れて、溶かすことで水分補給をする。
 ホームは、ガワがあるだけで基本的には何もない。毛布くらいはあるが、食料はない。すぐに腐るからだ。こんなところでは電気もないので、冷蔵庫も用意できない。ポータブルの保冷庫なら持ち込めるが、そこまでしてここで冷たいものを口にしたいとは思わないだろう。
 四人で輪になって床に座った。

「誰もいねぇけど、これからどうするんだ?」
「ショート落ち着いて。それを話すよ。わたしも、みんなと合流しないことには安心できないから」

 目指すのは、わたしの保護者との合流だ。しかし、携帯番号を暗記しているわけがないし、いくつかあるアジトのどこにいるのかも分からない。向こうから見つけてもらうのが手っ取り早いが、そんな手段は思いつかないので、友人宅を訪ねようと考えた。友人自身はどこにいるか分からなくてもその家族とは接触できるし、家が観光名所なので行きやすい。観光バスがあったはずだ。
 ざっくりそう説明すると、テンヤが挙手をした。

「どうぞ」
「点在するというアジト? に宿泊して、その保護者たちを待つのは?」
「わたしだけならともかく、みんなは危ないんだわ。わたしがいないタイミングで保護者たちと鉢合わせたら、どうなるか分かんない」
「そんなに喧嘩っ早いのか?」
「過剰防衛しがち。ちなみに、みんなわたしよりはるかに強いよ」
「……それはまずいな」
「でしょ」

 話を聞いてくれる可能性もあるが、基本的にみんな仲間以外にはあたりがきつい。思いやりの心が無いときのほうが多い。自分たちのテリトリーにいる他人に、親身になって事情を聞く姿は想像できなかった。

「僕も、質問いいかな?」
「うん」
「ポチさんの保護者……たち。何をしている人たちなの? ポチさんより強くて、各地にアジトがある……"アジト"って言い方もなんだか変な感じだし」
「えっと……職業は、世界各地を移動するタイプの自営業。たまに慈善事業。アジトっていうのは、別荘をふざけてそう呼んでる」
「過剰防衛しがちってことは、結構危険なことをしてる?」
「うん、常に命がけ」

 この話題はあんまり掘り下げられるとまずい。ヒーローを目指すこどもたちに「今から頼りに行く友人は暗殺者で、連絡を取りたい保護者は犯罪集団です」とはとても言えない――反発を覚悟で明かしてもいいが、それでわたしから離れて行動をした挙句に死んでしまうのは避けたいのだ。
 わたしは出来る限りさりげなく話を逸らした。

「この世界は、みんなの世界とあんまり変わらないけど、決定的に違うところがひとつある。ここには、個性っていう生まれつきの異能力がない」
「いやでもポチは使えるだろ?」
「これは個性じゃないの。念能力っていう、特別な修行で身につくもの。ひとによって系統も内容も違う、個々の能力なんだけど……とても大事なのが、みんなに分かりやすく表現すると"無個性が普通"で"能力者は表向き存在しない"ってこと」
「個性社会になる前の、僕らの世界の状態ってこと?」

 イズクの言葉に頷いた。
 厄介なのはここからだ。

「それでね、みんなは意識してないっぽいけど、能力者は能力者の気配がある。念能力者的に表現すると"オーラの流れが違う"んだ。だから、念能力者は、相手が念能力者かそうでないかを見抜ける。見抜いたうえで戦いを挑んだりする。この世界において、能力を持つってことはハイリスクなの。身を守る術にはなるけど、熟練していないとなめられて喧嘩を吹っ掛けられて殺される」
「そこまで!?」
「念能力者は戦闘狂が多いんだ。もちろん、そうじゃない人もいるけどさ。ほら、どうせ戦うなら、か弱い一般人よりなにかしらの能力を持ったそこそこ実力のある人のほうがやりがいあるでしょう? わたしは戦闘狂じゃないから分かんないけど」
「じゃあポチさんはなんで念能力ってのを身に着けたの?」
「成り行きで」
「成り行きでそこまで強くなるの……?」
「わたしはちょっと特殊でね」

 イズクが首を傾けるが、それに関しての説明は追々必要になればでいいだろう。まずは、この世界について把握してもらうほうが先だ。わたしの話は夕食時の歓談でもいい。
 またテンヤが手を挙げた。

「ポチくんの保護者たちというのも、戦うことが好きなのか?」
「好きな人も……まあみんな、どっちかというと楽しんでるかな。でもみんなも、生きる手段として身に着けたって感じだよ」
「なるほど。だから狙われてしまい、常に命がけなんだな」
「ウン」

 彼らは一般人に擬態できる上、基本的には襲うほうだが。
 大まかに能力者であることのリスクを把握してもらったところで、ようやく本題に入る。

「つまり、わたしが言いたいのは」

 語気を強めると、イズクが背筋を伸ばした。

「テンヤは足を隠すこと。個性は極力隠すこと。念能力者との戦闘は、逃げられるなら逃げること。この世界にヒーローはいません」

 ブラックリストハンターはいるが、彼らは人助けというより骨のあるやつと戦いたいという厄介者が多い。オールマイトのような、根っからの善性人間はまずいない。警察組織はあるが、ただの警察官が念能力者に対抗できるはずもない。
 三人が神妙な面持ちで頷く。危機感を持ってくれて何よりだが、この世界における能力者については最上の警戒をしてほしい。 

「あと、そうだ。わたしのでたらめな運動神経と、やたらな頑丈さと、千里眼って言われてる能力は、念能力者の標準装備であることが多いよ」

 三人の眉間にしわが寄る。

「だから『わたしは弱いほう』だって、普段から言ってるでしょ」

 わたしは肩をすくめる。
 三人は空気の重さに耐えかねたように項垂れた。




 頭の整理の時間がいるだろうと一晩ホームで過ごすつもりだったが、空腹に耐えかねた。わたしが。よってさっさと流星街を出ることにした。幸い、抜け道は覚えていた。
 スラムを走り抜けて、小さな町も走り抜けて、繁華街まで走った。ハンター語の看板を物珍しそうに見る三人を不良よろしく路地裏に待機させ、わたしはすべての指に豪奢な指輪を付けたご婦人から財布をスッて戻った。
 
「お金もらってきた」
「財布ごと?」

 すかさず突っ込んできたのはテンヤだった。さすが委員長である。

「有り余ってるみたいだったよ」
「ポチくん、カードも入りっぱなしなんだが」
「いらないっぽかった。とりあえず、そこの大型スーパーで服を買いに行こう。ゴミ臭いでしょ。そんでファミレスでご飯して、近くのホテルを探そう」
「ポチくん、ちょっと待て」

 テンヤに止められる。ショートもイズクも物言いたげだった。
 その気持ちは、分からんでもないのだが。
 わたしはヒーローではない。正論だけでは生きられないと知っている。他人より自分が大事だし、他人の死より仲間の命のほうが大切だ。名前も知らない女の財産より、クラスメイトの生活のほうが。

「あそこの銀行に殴りこんだほうが良かったなら、そうしよう」

 意地悪を言っている自覚はあった。だが、ヒーローである彼らを正面から説得できるとも思えなかった。「必要だから」と言ったって、「盗みは駄目だ」と拒まれるだけだ。
 三人は悲しそうで悔しそうだった。彼らも、なりふり構っていられないことは分かっているのだ。
 いい子たちだなあ、とわたしはぼんやり思った。

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