わたしたちの世界へようこそ2


「一人部屋と、三人部屋かな?」
「ポチを一人にすんのはちょっと」
「なら二人部屋を二部屋か? 轟家と、俺と緑谷君」
「もう四人部屋で良くない?」




 一番風呂をポチに譲ると、ポチは「おやおや!」と言ってそそくさバスルームに入った。服は着替えてもゴミの匂いは体についている、平気そうだったが堪えていたらしい。
 俺たちは何を言っているのか分からないテレビに茶々を入れていたが、シャワーの音が聞こえ始めると、窓際にある二人用の小さなテーブルに集まった。俺は窓側のベッドに腰掛けた。ポチの寝床だ。
 緑谷が革財布を手に切り出す。

「四人分の洋服、ファミレスでの食事、コンビニで着替えも買った。そしてここの宿泊費。財布の持ち主が現金も持っててくれて助かったけど多くはないから、楽観的ではいられないね。日数より、目的地までの距離が問題だ」
「ポチ君は、友人宅を観光地だと言っていた。山にある、と」
「四人で移動となると交通費も馬鹿になんねぇし、ここからどのくらいの距離かを聞かねぇと」
「うん。足りなくなって、またこんなことになるのは避けたい」

 通行人から財布を盗むようなことには。
 しばし沈黙が落ちた。
 俺たちは盗みを働いた。正確にはポチの独断だが、ゴミくさい無一文の状態で宿をとれるはずがないからと、ポチなりに考えて動いたのだろう。ポチは普段から思い切りがいい上、俺たち三人と違ってこの世界を知っている。俺たちの面倒を見なければと、少なからず思ったに違いない。
 ポチひとりなら、別荘とやらに泊まることが可能なのだ。財布を盗む羽目になったのは、俺たちがいたからだ。

「お金を稼ぐ手段も、考えよう」
「そうしてぇけど、出来るのか?」
「ポチさんに聞いてみよう。日雇いのバイトとかさ」
「しかし、緑谷くん。俺たちは言葉がわからないだろう」
「そうなんだよ、それが大問題」

 日中、ポチが財布を盗ってくるとき以外は、俺たちは四人で行動していた。洋服の買い物も、ファミレスでの注文も、なにもかもポチ頼りだった。言葉が通じないということはこんなにも心細いのかと、俺は初めて知った。
 流れっぱなしのニュースも何を報じているのかさっぱりだ。読み書きはともかく、せめて聞くことができれば良かったのだが。

「でもさ、ポチさんは日本語を普通に使うじゃん」
「確かに」
「だから、この言葉が通じる場所もあるってこと……だと思いたい。そこで働くとか出来ないかなあ。もしくはボディーランゲージで」
「課題だな」
「そういや、家が観光地ってどういうことなんだろうな」

 ふと口にすると、飯田が手を叩いた。

「窓口の役割をするような連絡先が公表されていたりはしないのだろうか」

 連絡さえとれれば移動しなくていいだろうと飯田が言う。
 しかし、観光地に住んでるからといって連絡先を公表したりはしないだろう。俺と緑谷が首をひねると、飯田はポチの発言を繰り返した。

「『友人の家が観光地だから』……"家が観光地にある"なら、そう言うだろう。でも、ポチくんは『"家が"観光地』だと言っていた。歴史的建造物かもしれないし、現代アートかもしれないが、"家"に観光客が来るんだ。なら、対応窓口があってもおかしくないだろう」
「そう……かな……?」
「調べてみてもいいんじゃねぇか。ホテルのロビーにパソコンっぽいのあったから。ポチに頼もう」

 髪がびしょびしょのままバスルームから出てきたポチは、飯田の提案に目を輝かせた。

「ロビー行ってくるるるる!」
「おい待て風邪引くぞ!」
「廊下は走っては駄目だ!」
「あっまっみんな行くなら鍵!」

 タイミング良くやってきたエレベーターに乗ってロビーへ下りる。
 文字が読めない俺たちにとって共用っぽいパソコンは、注意書きを読んだポチいわく宿泊者なら自由に使えるとのことなので、ありがたく使わせてもらうことにした。
 椅子にはポチが座り、それを囲む。俺はポチが肩にかけたままだったタオルで、ポチの頭をガシガシ拭いた。

「友達の家って、本当に家が観光地なのか?」
「正確には、その家族が、かな。ほら超有名人の自宅ってちょっと見てみたくなるじゃん。友達は都市伝説みたいな一家でさ」
「全然分かんねぇな」
「家もでっかいよ。山が庭」
「どこにあるの? ここから遠い?」
「遠いよー。あ、地図出すね」

 ポチは、模様の書かれたキーボードを叩いて画像検索する。地図を出すと言ったが、どういう言葉を使って検索しているのか分からない。
 緑谷や飯田と普通に話せるから実感は薄いが、ここは確かに未知の場所で、ポチはこの世界の人間なのだろう。

「これがここの世界地図。今いるのはヨルビアン大陸。目指すのは、パドキア共和国のククルーマウンテン。いっそ、ジャポンに出てたほうがみんな的には良かったのかもしれないなあ」

 馴染みのある言葉に目を瞬く。

「この島国がそう。ほぼ日本だよ。言葉も同じ。わたしは幸いにもジャポンの出身だから、向こうに行ってもコミュニケーションには困らなかったの」
「形も似てるな」
「びっくりだよね。ただ、名前の雰囲気は違うかなあ。日本の名前は割と古風に聞こえる。多分、ショートたちには外国人っぽく聞こえるよ、ジャポンの名前」

 じゃあ、ポチの本名は何なんだ?
 口を開いたものの、声にならず閉じた。俺にとっては、ポチはポチだ。なんとなく、今名前を聞いてしまうと距離が開く気がした。
 緑谷と飯田がどう思ったかは分からないが、ふたりもポチに名前を尋ねはしなかった。
 ポチが検索する言葉を変えてページを開いたり閉じたりして、情報を探す。

「あっこれかな? ククルーマウンテンツアーしてる観光会社の連絡先かな? 直通電話って設けてるのかなあ……」

 思考を口に出し、時折俺たちには聞き取れない言葉も口にしながら検索する。
 ややあって、ポチが両手を突き上げる。両脇からパソコンをのぞいていた緑谷と飯田がのけぞった。
 モニターは真っ白だった。



『はい、こちらゾルディック家使用人採用窓口でございます』
「お忙しいところすみません」
『どなたからのご紹介ですか?』
「ネットです。全部念字という凝ったページを見つけまして」
『ありがとうございます。ある程度の実力はお持ちということですね。では、試験の日時ですが、』
「違うんです、就職活動ではなく。ゾルディック家の方になんとかご連絡をとっていただけないでしょうか」
『お仕事のご依頼でしょうか』
「いえあの……イルミ、さんの、とも、知り合いなんですが。込み入った事情で知り合いに連絡がとれなくなってしまいまして……イルミさんになら、お家の窓口を使えば連絡がとれるかと……」
『申し訳ございませんが、そのようなお取り次ぎはいたしておりません』
「なんとかお願いできませんでしょうか。あの、イルミさんに聞いていただけたら……多分わたしのことは覚えてらっしゃると思います」
『お知り合いという確証が無い以上、なんと言われようとも、お取り次ぎは出来ません。それでは、』
「じゃあ、ほら、イルミさんの外見を当てますから、それでなんとか。姿や武器を認識して生きているのはイコール知り合いということになりませんかね……」
『例えば?』
「黒髪美髪ロングで色白って言うと美女みたいですけど、同時に筋肉質で身長高くて、あと目が猫みたいに大きいのにハイライトがなくて、表情も乏しくて、武器はがびょ……って言うと怒られるんです、針ですね。武器であり変装道具。あとなんだろ、知ってること……三男が好きすぎるとか」
『あなたは?』
「え?」
『あなたのことをイルミ様にお伝えするとき、なんとご説明すれば?』
「あ、えっと、じゃあ……団長の犬、と」



 昨日買っておいたコンビニ弁当を部屋で食べて朝食を済ませる。そして部屋の電話で外線をかけ、目的を果たした。わたしが親指を立てると、ショートたちはほっと胸をなでおろしたようだった。
 同時に、フロントに電話をして、わたしへ電話がかかってきたら取り次いでほしい旨を伝える。声が渋かったので、即座にフロントに出て高額紙幣を二枚渡した。満面の笑みに変わった。横で見ていた三人には引かれたっぽいが、こういう交渉術もあるのだと覚えておいてほしい。
 いつ電話が来るかわからないので、わたしは部屋から出ないことにする。ショートたちも、あまり動く気はなさそうだった。外を出歩くことに興味はありそうだが、言葉が通じないことと、いざというときにわたしとの連絡手段がないことを危惧しているらしい。それでいいと思う。

「電話に出てくれた使用人さんの言葉にイルミが耳を傾けてくれれば、こっちの勝ち!」
「誰と勝負してんだ」

 ショートから冷静に突っ込まれる。しいていえばイルミと勝負している。使用人さんからの連絡をとってくれたとしても、わたしを助ける気になるかどうかは賭けなのだ。他人に興味がない彼の気まぐれな好奇心に期待するしかない。

「イルミさん? はどんなひとなの?」

 イズクから、当然の、けれども答えにくい質問をぶつけられる。

「イルミはね……あの……背が高くて髪がきれいで目が死んでる」
「目が……」
「会話は成り立つし、ギリギリ常識はあるから大丈夫」
「ギリギリなんだ」
「でも、もし直接会うようなことになれば話しかけないほうがいいよ」
「友達なんだよね?」
「わたしはそう思ってる。けど……」

 人殺しに躊躇いがないからさ、とはとても言えない。
 中途半端に言葉を切ったせいでイズクが不思議そうな顔をする。わたしは「ともかく連絡を待とう」と強引に話を切り上げた。
 連絡は思いの外早く来た。テンヤとイズクがホテルの売店でお菓子を調達してきた直後だった。
 三人が興味津々なので、会話内容は分からないだろうがスピーカーにする。保留を解除する手は少し震えた。

「はい」
『お前、俺に連絡してる場合じゃなくない?』
「開口一番……。久しぶり、イルミ。疑うとかないんだ」
『偽物だったらあいつらに殺されるだろうから、俺が気にすることじゃない。なんでクロロに連絡しないの?』

 ごどん、と脈絡のない音がスピーカーから聞こえた。人の声も足音もないのに、重さのあるものが倒れるような音だけがした。嫌な予感がする。イルミは、まさか仕事中では。
 ショートたちと目を合わせないように電話を睨んだ。
 あのイルミに限ってヘマはしないだろうが、どうか、今回ばかりは断末魔を上げさせないことに全力を尽くしてほしい。

「け、携帯番号覚えてないもん」
『アジトは』
「不可抗力で連れがいる」
『ああ、そういう……。念で消えたって聞いたから死んだと思ったけど、おまけつきで戻ってきたんだ』
「で、クロロの連絡先教えてくれない?」
『もう俺が連絡しといた。あいつ、血眼でお前のこと探してるからすごい食いついてきたけど』
「けど?」
『ホテルの名前伝えたら、やっぱりって言ってたよ』
「なんでだろ」
『直接聞けば。俺の役目は終わったし、あとは知らない』
「あ、うん、ありがとう、イルミ。すごく助かった」
『クロロに恩を売るいい機会だったよ』
「それは良かった……?」
『じゃあね』

 またね、と言い終わらないうちに電話が終わる。
 受話器を戻して大きくため息をつくと、成り行きを見守っていた三人もわたしと一緒になって息を吐いた。
 どういう内容だったかを説明しようとしたのだが、先にショートが口を開いた。

「イルミさんって男?」
「うん、そうだけど」
「髪が長いとか、ポチの友達っていうから、てっきり女だと」
「あーそっか。髪は長くて綺麗だけどイルミは男だよ。いくつだっけ……にじゅう……二十歳超えてた気はするけど」
「それで、ポチさん。連絡先は?」

 イズクが白紙のメモを指さした。頼れる連絡先を聞けなかったことの落胆と、それでも変わらない調子のわたしへの困惑がみてとれる。

「それがさ、イルミが連絡つけてくれたらしくて」
「そうなんだ! 優しい人だね!」
「恩売るって言ってたけど」
「友達なんだよね?」
「わたしはそう思ってる、だけ。ああ、それで、『やっぱり』って言われたんだってさ」
「どういうこと?」
「分からないけど……ここのホテルを知ってるのかなあ」
 
 彼は大体なんでも知っているので、把握されていても不思議ではない。イルミの話に食いついたということなので、わたしがここにいる確証はないが可能性としては考えていた、とそんなところだろう。
 あの本を持っているから、だろうか。テンヤが持っていた本を思い起こしてそう考える。
 あのとき、わたしは頭の中がジャポン語だったせいでうまく読み解けなかったが、あそこには"高校""体育祭"の文字があった。
 こちらの世界で、戦利品として手に取った古書は小説だった。
 例えば、だが。あの本には世界を移動した人の記録が残されているのではないだろうか。こちらの世界にある本は、今、ショートたちの行動が記録されているのではないか。
 考えながら、出番のなかったボールペンで白いメモ帳に丸を書く。もう一つ、すこし小さい丸をつなげる。そこからぴょこぴょこ線を伸ばす。

「ポチ君、それは?」
「マスコットキャラクター。可愛いでしょ」
「可愛いのか?」
「可愛いじゃん、リアルの虫は嫌い……だ、けど……」

 反論しながら、三人のうち誰でもない声に振り向いた。
 黒髪で、ラフな黒の上下を着て、額に包帯を巻いた男がわたしの"円"に入らないギリギリで立っていた。
 臨戦態勢に入るショートたちをよそに、わたしはボールペンを握ったまま呆然としていた。
 言いたいことがありすぎた。
――久しぶり。ない頭で考えてイルミに連絡をとったんだ。このホテルのこと気付いてたの。来るの早すぎない。近くにいたの。わたし、ヒーローの卵なんだよ、ウケるよね。話したいことがたくさんあるんだ。
 口をはくはく動かして、ようやっと出たのは素朴な疑問だった。

「ドアは……?」
「鍵を借りた」
「いくら積んだの……」

 クロロが笑って腕を広げる。

「お前を迎えに来るためなら、いくらでも」

 ショートたちそっちのけで、クロロにタックルする。びくともしない。正直、五体満足で現れてくれただけで安心した。自業自得になるのだろうが、彼らはいつでも命を狙われている。抱き着いたまま深呼吸をした。

「俺を吸うな」

 クロロの声は笑っている。

「それに、ほら、友達が困っているぞ」
「ショートイズクテンヤー。この人がわたしの飼い主だよ。聞いての通りジャポ、日本語話せるから大丈夫だよ」
「クロロ・ルシルフルだ、よろしく」

 クロロとショートたちが名乗って自己紹介をする間も、わたしはクロロを吸っていた。そして泣けてきた。絶対に戻るつもりだったけれど、もう会えないかもしれないと思う瞬間だってあったのだ。不意の移動は、パパ上やクラスメイトに申し訳なくもなるけれど、わたしはクロロとまた一緒にいられることがなにより嬉しい。
 わたしは、やっぱりここがいい。クロロと一緒に、みんなと一緒にいるのがいい。

「さあ、ホテルから引き上げよう。少し距離はあるが、俺の家のひとつがあるんだ。君たちもおいで」

 クロロがわたしを抱き上げながら言う。存分に甘えることにして、わたしは感動の再会にひたった。

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