LAST


デフォ:魔白癒杖(ましろ ゆえ)
癒杖



 わたしには二人の幼馴染がいる。その片方は、本当に怪我が絶えなかった。彼が単にどんくさかったというのと、もう一人の幼馴染の気性が荒かったからだ。
 どんくさいほうは出久(いずく)/いーくん、すぐに手が出るほうは勝己(かつき)/かっちゃんと言う。
 きっかけが思い出せないくらい小さな頃から一緒にいたので、いくら出久が転んでも鬱陶しいとは思わなかった。勝己が吼えても怯えたりはしなかった。わたしが泣きながら右往左往する役だったのは、幼いながらに感じていた関係のねじれへの対処が分からなかったからだ。
 確か、わたしの個性が発現したその日も泣いていた。勝己が出久を突き飛ばした直後だ。何を見たわけでもないのに<出久の○○が減った!>という感覚が沸いて、見知らぬ人の家の垣根に手を突っ込んで枝を折り、そのまま振るった。

「どうして!」

 おそらく泣きながらそのようなことを言っていた。何に対する「どうして」なのかはわたし自身も分かっていなかったと思う。
 勝己と出久の、言い争いとは違う声に涙を拭うと、出久の擦り傷がきれいさっぱり消えていた。

「今のお前がやったのか!?」 
「怪我を治しちゃう個性なの!?」

 個性というどこか他人事だったそれが自分の身に起こりパニックだったわたしは、詰め寄ってくる二人に涙の勢いを増していた。
 わたしは普段から泣いているので二人も慣れたもののはずだが、そのときは勝己が狼狽えるほどべしょべしょに泣いていた。
 泣きすぎて呼吸まで怪しくなってきたころに、脳裏を大きなひよこが走った。その背に誰かが乗っていたような、インフルエンザでもないのに意味不明な光景が鮮明に浮かぶほどわたしは混乱していた。
 記念すべき、個性発現日の記憶である。



 わたしは普通の公立高校に進学したかった。
 進学、したかった、のだ。
 であるというのに、わたしは何故か彼らと同じ高校にいる。ヒーロー育成といえば真っ先に名前があがる<雄英高校>に。
 これは自分でも不思議なのだが、わたしは小心者のクセに<何かをしなければ>という意識が人一倍強いらしく、意識を逸らそうとしてもヒーロー科のある高校のパンフレットがいつの前にか部屋に揃っていた。公立高校に進学するつもりで、基礎体力など一切鍛えず机に座って英語長文と向き合っていたはずなのに、腹筋をしながら英単語帳をめくっていたりした。
 中学三年に上がってからは腹をくくったが、雄英は超名門校だ、どうせ落ちるだろうと高をくくっていた。入試の実技が戦闘だったこともあり、戦闘能力のないわたしは落ちるだろうと安心してのんびり応急手当に回った。一体として大きなロボットとは戦わなかったし、なんなら背を向けて逃げもした。
 なのにどうして受かるのか。
 幸いだったのは――幸いだったのか?――ヒーロー科そのものには落ちたことだ。わたしは普通科に在籍している。
 あくびを噛み殺しながら入学式を終え、絶えず配られるプリントを片付けたり教科書に名前を書き続けたり、そんなこんなで入学式は終了した。
 帰り際、保健室に呼び出されたことで大方の事情を察した。
 保健室には<リカバリーガール>という治癒能力持ちの保健医が待ち構えていて、わたしの能力を伸ばしたいだとか放置するには危険な域にあるとか、そういったことを話してくれた。わたしは揚げせんべいを遠慮なくいただきながら頷いて、保健委員になることと、リカバリーガール先生の事実上弟子になることを了承した。このために高校を合格までさせられているのだ、了承する以外になかった。
 数少ない治療個性持ちの運命を受け入れてのんきに学生生活をスタートさせたのだが、そう穏やかにはいかなかった。



 数学の授業中、臨時の校内放送が入った。いわく、学校施設内に侵入者があったらしい。前回、昼にも似たような騒動があったが今回は本当らしかった。一部の教員が呼び出され、生徒たちは体育館に避難せよ、と。
 生徒たちは身を寄せ合って不安そうだった。わたしも例にもれず手汗がひどい。雄英高校生というだけでブランドがつきがちだが、ヒーロー科を除けば大半が普通の高校生だ。単なる不審者ではなく教師の招集がかかるほどの侵入者と聞いて、落ち着いたままの生徒など稀だ。
 友達と小声で不安を吐き出しながら移動している最中、再び放送が入った。

『一年魔白癒杖、今すぐ保健室へ向かって下さい』

 リカバリーガール先生だけでは手が回らないほど、怪我人がいるらしい。
 万が一のために持ち歩いている木の枝を握りしめて保健室に向かった。


 早歩きで保健室に到着すると、あれよあれよという間に車に乗せられた。雄英高校の敷地は広い、徒歩数分の距離ではないのだろう。
 道中、端的にリカバリーガール先生が説明してくれた。

「一年A組の実習中に、ヴィランからの襲撃があった。怪我人も出ているそうだよ。重傷者が最低二人……わたしだけでは手が回らないかもしれないと思って、来てもらうことにしたの。まだ学生の癒杖の力を借りるのはと躊躇われたけど、その個性を使いこなしていることは、入試のときに分かっているからね」
「頑張ります。人命第一ですし、わたしの個性は傷を悪化させるようなことはありませんから」
「頼もしいね。枝を持つ手が震えているけど」
「すごい血の気が引いてます」
「……大丈夫?」
「やらなきゃいけないことは分かっていますし、わたしに出来ることがあるならしなければなりません。ただひたすら緊張しています」

 到着したのは、学校敷地内にあるUSJという施設だった。ウソの災害や事故ルーム、らしい。一体誰が命名したのだろう。大きなドーム状の施設なので、略称と相まってテーマパークのようだった。
 普通科とは無縁そうだ。
 リカバリーガール先生に続いて車から降りる。ドームの出入り口付近にA組生徒や先行していた先生たちが集まっていた。

「どっどうして」

 ざっと視線を走らせただけで、焦燥感でいっぱいになる。<減ってる!>何が。未だにこの感覚はよく分からないが、怪我人を見ると<減っている>気がするのだ。

「リカバリーガール! こっちです!」

 一層<減っている>ほうから声がする。わたしは思わず一歩踏み出して、固まった。あくまでわたしは補助要員だ、重傷者はプロに任せたほうがいい。

「癒杖、とっさの判断は任せるよ。軽傷者を頼むね」
「分かりました。そちらも手が必要でしたら呼んでください」
「本当に頼もしいねえ、震えてるけど」

 先生が穏やかな保健医から最前線の医療者の顔になって<すごく減っている>ほうへ向かう。重傷は、生徒だろうか先生だろうか。気にはなるが、わたしはわたしの仕事をしなければ。
 軽傷者のほうへ向き直ると、好奇の目が向けられていた。A組の生徒たちだ。やりにくい気持ちに使命感が勝り、しかし小心者なのでおっかなびっくり、集団へとかけよった。
 すると、耳に馴染んだ声がした。

「はあ?! 癒杖?!」
「癒杖ちゃん?!」
「ウオ?!」

 真っ青な顔のいーくんと、眉間のシワが絶好調なかっちゃんがいた。みんな服装が個性的なのでーー後で聞いたらヒーロースーツらしいーー遠目では分からなかったのだ。二人のクラスは把握しているので、会うだろうなとは思っていた。
 幼馴染みの登場に、小心者の背筋が伸びる。

「応援で呼ばれたの。リカバリーガール先生は重傷者を診るから。えっと、こっちで回復最優先は……いーくんだ! どうして!」
「ご、ごめん」

 いーくんはわたしの個性に慣れているので、何も言わずとも私の正面に立ってくれる。わたしの個性は、触れなくてもいいが離れすぎると届かない。あと視認が必要だ。
 枝を振るうと、いーくんが一瞬だけ淡い光に包まれる。

「傷を治す個性?!」
「爆豪と緑谷の知り合い?」

 いーくんの回復完了確認を見守っていると、生徒から声が上がった。かっちゃんの舌打ちも聞こえた。誰に返答すべきか迷って、そもそも自己紹介をしていなかったことに気づいた。

「一年普通科の魔白癒杖です。リカバリーガール先生の弟子みたいなことになってます。爆豪くんと緑谷くんとは幼馴染みです。他に治療が必要なひとはいますか? 見た感じ、急を要する怪我はなさそうだけど」
「はい! ここに!」

 元気良い声に視線を下げると、ボールのような形容し難い髪型の男子がいて、なぜか瞬時にかっちゃんにヘッドロックをお見舞いされていた。
 目を丸くしていると、かっちゃんが「気にすんなほっとけ」と手を振る。わたしの感覚でも重い怪我はなさそうだった。ただ、全員が多少なりとも<減っている>のは確かだ。
 
「ちょっとごめん」

 集まっているA組に混じって、枝を空に掲げる。すると、いーくんにしたような光がきらきら降って一定の範囲内にいるひとを少しだけ回復する。

「なんか体が軽い……?」
「さっきまですげえ疲労感だったのに」

 ふむ。これで大丈夫だろう。頷いて枝をもてあそぶ。わたしの仕事はこれで終わりだろう。
 リカバリーガール先生の様子を見に行こうかとしたとき、ちょうど重傷者のほうから焦った声で名前を呼ばれた。
 重傷者は二名だと聞いている。思わしくないらしい。
 先生たちの輪の中心では、十三号先生とイレイザー先生が倒れていた。ふたりとも<ひどく減っている>どころか<ほぼ無い>。
 十三号先生の怪我はわからない。<減っている>ことしか分からない。見えないのだ。個性社会は人間の構造を複雑にする。十三号先生は、実体が希薄なのだろう。
 イレイザー先生は分かりやすかった。骨折と打撲痕と出血。
 二人とも意識がない。
 リカバリーガール先生は、その二人の間に座って険しい顔をしていた。

「救急車を待ってられない。癒杖、手伝える? ひとりにつけるかい?」
「はい」

 即答したわたしは、多分ちゃんと頭が働いていなかった。リカバリーガール先生が頼んだのは付き添いと応急処置的治癒。わたしの個性からそうすることが適切だと判断したのだろう。
 しかし、わたしはそれ以上が出来た。出来るのだとそのときに気付いた。
 薄いガラスを割ったような、細い糸を一本またいだような感触があって、自然の力が体に流れ込む。
 震えがとまる。緊張はあるものの、ちゃんと地に足がついている。
 わたしは、理をひっくり返せる自分自身の力をおそれていたのかもしれない。


- 80 -

prev(ガラクタ)next
ALICE+