LAST2


デフォ:魔白癒杖(ましろ ゆえ)
癒杖




 イレイザー先生が目を開けた。見える限りの傷は癒えている、危険なところは脱しただろう。<とてつもなく減っている>から<減っている>程度の感覚に変わっていた。
 わあ、と先生たちが目を丸くする。イレイザー先生はゆるりと体を起こして、周囲を確認するような仕草をした。
 わたしは、神妙な顔のリカバリーガール先生を顔を見合わせる。

「先生、平気なんですけど、今にも寝そうです」
「それは平気って言わないんだよ。十三号のことはあたしが診てるから癒杖は休みなさい。イレイザー、救急車がくるまで大人しくすること、いいね」

 リカバリーガール先生は早口でそう言って、十三号先生に集中する。イレイザー先生は大丈夫だと判断されたのだ。
 眠いだけなので十三号先生にも同じことが出来るだろうかと考えて、ここでもしわたしが倒れたら先生たちに迷惑をかけると気づいた。これほどの大幅回復は初めてだったのだ。イレイザー先生への回復中にリカバリーガール先生の表情がやや渋かったのもこのあたりが原因だったのかもしれない。
 睡魔と戦う覚悟を決めていると、マイク先生に肩を叩かれた。

「魔白、それ、良かったのか」

 わたしの右手を指さされる。握っていた枝が粉々になっていた。

「家の木の枝なので……こんなことは初めてですが」
「そうみたいだな。十三号はリカバリーガールに任せられるから、魔白はA組と一緒に校舎に戻りな。イレイザーのこと、ありがとう」
「はい」
「魔白」

 移動しかけて、今度はイレイザー先生から呼び止められる。
 イレイザー先生は座ったままわたしを見上げていた。何が起こったのかよく分かっていないような顔をしているものの、わたしが治したことは把握しているようだった。

「助かった。お前は俺のヒーローだな」

 低く気だるそうな声で言われる。
 わたしは粉々の枝を払いながら、光栄です、と小声で返した。



 A組のほうでは、ミッドナイト先生が生徒たちをバスに誘導していた。

「ミッドナイト先生、わたしも」
「ああ、魔白さん。あなたの治療個性ってすごいのね」
「一人が限界でしたけど」
「充分よ、胸を張って。十三号のことは、リカバリーガールに任せましょう。大丈夫よ」
「ふぁい」
「とても眠そうね。戻ったら仮眠室で休むといいわ。鍵の場所分かる?」
「わかりません」
「一緒に借りに行きましょう。さあ、乗って」

 助手席を示されたのでそこに乗り込む。

「さあ、学校に戻るわよ。シートベルトした?」

 バスの中は静かだった。先生方が大怪我で意識を失うほどのヴィランだったのだ、疲弊も当然だろう。バックミラーごしにみるヒーロー科はみんな疲れた顔で、不安そうで、彼らもわたしと同じ高校一年生なのだなと実感した。
 いーくんは自分の手を見つめていた。かっちゃんは窓から外を眺めていた。
 わたしもみんなと同じようにバスに揺られて、何かを思案する間もなく眠りに落ちた。



 体を引きずるようにして仮眠室のベッドに倒れ込む。
 案内してくれたミッドナイト先生は「下校指示が固まるまで休みなさい」と柔らかく笑んで仕事に戻っていった。優しい先生だ、あんな大人になりたいものである。
 靴をはいたまま、中途半端にベッドに乗った状態で目を閉じる。バスから降りてここまで来るのも大変だった。多分、目はほぼ閉じていた。
 仮眠室で丸一時間ほど眠って、目が冷めたときに感じたのは一層響く自然の声と使命感だった。元々あったそれが強くなっていた。
 わたしに出来ることがあるのならば動かねば。何かを成さなければ。わたしには、癒やす力があるのだから。

「どうして」

 理由は分からない。強く個性を使うことで自信がついたのだろうかーーいや、おそらくだがそう簡単なものではない。これはもう強迫観念の域にある。しかしゾッとはせず、それどころか馴染んでいる気さえする。きっと最初からわたしはこういう人間なのだ。自分の個性へのおそれが払拭され、抑えられていた使命感が溢れている。
 わたしがやらなければ。何もしないなどありえない。



 怪我を負っていたことが嘘のような、何の傷も痛みもない手を眺める。
 傷を癒す個性を持つ魔白癒杖は、僕の幼馴染だ。人体に詳しくはないにも関わらず、傷を完璧に治すことができる。治療系の個性は珍しい部類であると気づいてからは人目に付く場所での使用は避けているものの、子供のころから一緒にいる僕やかっちゃんは、癒杖ちゃんの個性のお世話になることが多かった。
 中学に入ってからは、僕はヒーローオタクを極めていて、かっちゃんはやんちゃな男子生徒とつるんでいて、癒杖ちゃんは<ガチ園芸部員>として草花の世話に明け暮れていたので、小学校ほどの接触は無かった。たまに学校内で顔を合わせたら話す程度だ。高校に入ってからは、一層関わりが無くなっていた。同じ学校とはいえヒーロー科と普通科はまず接点がないと聞いていたので、驚きはしなかった。
 以前と同じように、僕の傷を治してくれた癒杖ちゃんを思い起こす。昔と同じように呼んでくれるのが嬉しくて、よそよそしさが無いことに安心もした。
 そして見たことのない強い力で、相澤先生を治療した癒杖ちゃんを思い起こす。僕やかっちゃんがそこまでの大けがを経験していないから目の当たりにしなかっただけで、癒杖ちゃんは、元々あそこまでのことが出来る力を持っていたのかもしれない。
 戦闘力という意味ではない、強い個性だ。相澤先生の治療の後は睡魔に襲われていたので全くのノーリスクではないが、僕の怪我程度ならさらりと治してしまうし、複数人への治療も可能だ。しかも、癒杖ちゃんの治癒は疲労感すら軽減させる。傷を治すものの疲労感を残す、のではない。傷も疲労感も癒す。おそらく相澤先生レベルの大けがでもそれが可能。驚異的な個性だ。癒杖ちゃんがいれば――癒杖ちゃんの体力次第で――戦闘における消耗はない。
 そこまで考えて、僕は頭を振った。
 個性のこととなるとつい考えに耽ってしまう。単に、癒杖ちゃんにお礼を言い忘れたと、それだけだった。
 A組の生徒は後日事情聴取となり、騒ぎを出来る限り避けるため他のクラスの生徒が下校してから可能な限り保護者に迎えに来てもらうことになっていた。僕もお母さんに電話は入れたが、タイミングが悪かったのか繋がらず。時間があるのなら教室で今日襲ってきたヴィランの個性について情報をまとめようとして、癒杖ちゃんのことを思い出したのだ。
 いつもなら、お礼を言うことを忘れない。僕もしっかり慌てて混乱して動揺していたのだ。
 他のクラスは下校が始まっているので帰っただろうか。それとも、事件に関わっているので後から下校することになったのだろうか。とてつもなく眠たそうだったので、もしかしたら保健室で寝ているのかもしれない。
 A組も下校の許可が出ると、既に親御さんが迎えに来ている生徒が教室を出る。それからはぱらぱらと、迎えの連絡が入った生徒が席を立つ。みんな、どことなく足取りが重い。
 癒杖ちゃんへのお礼とヴィラン情報について考え、気づけば僕は最後だった。
 
「お母さん、遅いな……」

 携帯を忘れて出かけている可能性が高い。
 僕は手を握ったり開いたりを繰り替えす。
 ヴィランに襲われ、本物の殺意を浴びて、体ではなくこころが疲れていた。ぽつんとひとり教室に残ることが妙に心地悪い。なんとなく、人恋しい、ような。さびしいような。静かな教室は非日常感があって、今日ばかりは嫌だった。
 迎えはまだだと分かっていたが、教室を出て昇降口に向かう。靴をはきかえながら、ふと普通科の靴箱を探した。
 魔白癒杖の下靴を発見する。と同時に、大きな舌打ちが飛んでくる。

「チッ」
「かっ! かっちゃん」
「うるせえ」
「……ごめん」

 靴箱の影で、乱暴なほうの幼馴染が座っていた。
 教室より居心地が悪くなってしまったが、かっちゃんがいつもより多少棘がないことが察せられて、僕は近くもなく遠すぎることもない位置に立った。多分かっちゃんも癒杖ちゃんが気がかりでこの場にいるのだ。おまけに、かっちゃんは癒杖ちゃんが絡むとほんのすこーしだけ穏やかになる。

「目障りだ」
「こ、ここだと癒杖ちゃんが来たら分かるかなって」
「さっさと帰れや」
「お母さんから連絡が……かっちゃんは?」
「知らねえ」

 かっちゃんのご両親も連絡がつかないのだろう。ついた上で癒杖ちゃんを待っているのかもしれない。
 何を話すでもなく、沈黙を過ごすこと数分。ゆったりとした足音が聞こえてきて、早歩きになって近づいてくる。もしやと思って顔を上げると、満面の笑みの癒杖ちゃんがいた。
 ヴッ。思わず胸を押さえる。僕らを見て嬉しそうなのはとても気恥ずかしい。

「いーくん!?」
「えっと、さっきぶり。お礼を言い忘れてたと思って。治してくれてありがとう」
「どういたしまして。痛んでない? 大丈夫?」
「平気だよ、さすがだね」
「へへ、ありが、エッかっちゃんもいる!」
「うるせぇ遅せぇ」
「待っててくれたの?」
「話聞いてねぇんかよ、ババアが癒杖も拾うって」
「あ、そういえばそんなこと言われた。久々に三人で帰るの嬉しいね!」

 ね、ね、と癒杖ちゃんは笑顔で僕とかっちゃんを見る。 
 僕が首を傾けると、癒杖ちゃんが頷いた。

「三人? 僕も?」
「そう聞いたよ。お母さんが『勝己くんとこのお母さんが、癒杖と出久くんもまとめて回収してくださるそうだから』って。聞いてない?」
「僕、お母さんと連絡ついてなくて」
「そうそう、だからだよ。かっちゃんのお母さんがいーくんとこのお母さんに連絡とろうとしても繋がらなあったから、もしかしたら携帯持ってないのかなーってなったんだって」
「かっちゃんそんなこと一言も」
「うるせぇ。ババアもう来とるっつってるから行くぞ。癒杖はよ靴履けや」
「はーい。あ、そうだ、いーくんとかっちゃんに聞いて欲しいことがあって」

 癒杖ちゃんが革靴を半ば落とすように地面に置く。パコパコン、と軽い音が昇降口に響いた。

「雄英って、ヒーロー科への編入が可能なんだって」

 靴を履いて顔を上げた癒杖ちゃんの口角が上がっている。勇気があってしっかりしている子という認識は昔からあるが、よく泣いていたことやへっぴり腰が多いこともあって、どちらかというと<大人しい>印象が強い。
 溌剌と挑戦的に笑う癒杖ちゃんを、僕は初めて見た。

「わたし、ヒーローになるよ」

 <なりたい>ではなく<なる>と断言した。そうあるべきかのように。そうすることが当然とでも言うように。微塵も揺らがない決意表明はかっちゃんに似ている気がした。
 僕とかっちゃんが呆気に取られているのをしり目に、癒杖ちゃんは鼻歌を歌ってご機嫌だった。

- 81 -

prev(ガラクタ)next
ALICE+