屍未満


一緒に部屋に泊まったりはするけど恋人とかまったくそんなことはない、そこそこ仲のいいベルモットとバーボンがいます。
あとオリキャラの若干の外見描写。




 世界的大女優のシャロン・ヴィンヤードは、同時に犯罪組織幹部である。ベルモットというコードネームは、末端構成員ならば聞いただけで背筋が伸びるほどの威力がある。なにせ、ただの幹部ではなくボスのお気に入りときている。付け入りたいが無暗には接触したくはないと、そんな存在だ。
 ベルモットは大女優と犯罪組織幹部という誰にも真似出来ない二足の草鞋をはいている。
 その日は、組織の宿敵がニューヨークにいるという情報をつかみ、ちょうど世間を騒がせていた通り魔に成りすまして襲おうと、ある男に扮していた。さあ行動を起こそうとした矢先、服のすそを引っ張られた。
 視線を下ろすと、おそらく成人男性用のシャツを着た痩せぎすの子どもがひとり立っていた。十歳くらいに見えた。素足だ。骨がうき、頬もこけている。肉が無さ過ぎて性別は分からない。乱雑に切られた髪からは、ハイライトのない暗い目がのぞいている。薄汚れていて、軽くシャワーを浴びただけではきれいにならなそうだ。
 この男にまさか子どもがいたのだろうか。ベルモットは事前に得ていた情報を思い起こすが、そんな情報は欠片もなかった。身近な場所に血縁者はいなかったはずだ。では、この子どもは。男が囲っていたのだろうか。残念ながら、ベルモットが利用するにあたって彼は既にこの世にない。
 構わず歩き出すと、子どもは思ったよりもするりと服から手を離した。



 下着に挟み込んでいたバタフライナイフを握った。



 素敵な少年少女と別れてどこか夢見心地のベルモットを現実に引き戻したのは、あの子どもだった。
 暗闇から生まれたかのように突然、音もなく、瞬きの間に現れた子どもは、勢いを殺さずにナイフをベルモットの腹に突き立てる。不意を突かれたとはいえ、ろくに訓練もされていないただの不健康な子どもだ。犯罪組織幹部で実働もこなすベルモットにとって、回避するのは容易だった。
 標的を失った子どもが転ぶ。

「復讐?」

 そのまま捨ておいても良かった。声を掛けたのは、きっと天使たちと出会ったからだ。なんとなく、自分の中で愛が息づいているような気がした。子どもに対して、かわいそうだという気持ちがほんの少し湧いたのだ。
 転げた子どもが緩慢に体を起こす。それを見守りながら、ベルモットははっとして自分を見下ろした。
 ベルモットは、ベルモットとして声を掛けた。しかし、姿はまだホームレスのものだ。
 この子どもは男の復讐を、男の格好をしたベルモットに対して何のためらいもなく行おうとしたのだ。
 そもそも、姿が同じ男がいたからというだけですぐにナイフを持ち出し殺そうとするあたりから、この子どもは普通を外れている。見間違いだとか、よく似た別人だとか、そう考えるのが一般的だろう。
 ベルモットは顔をしかめた。寒気を覚え、立ち上がる子どもに背を向ける。

「殺されてあげる趣味はないの」

 ざり、と地面を踏みしめる音がして体を横にずらす。また子どもが派手に転んだ。
 見下ろしていると、またナイフを持ってベルモットに向かってくる。避ける。転ぶ。立ち上がる。向かってくる。避ける。転ぶ。
 何度か繰り返し、ただでさえ汚い子どものシャツが一層汚れたところで、ベルモットは深いため息をついた。
 起き上がる体力もなくなった子どもが、それでもバタフライナイフに手を伸ばしている。ベルモットはそれを拾って折り畳み、子どもの前に放った。

「いい加減諦めて帰りなさい」

 子どもは執拗(しつこ)かった。


 ベルモットはソファに座って優雅にワイングラスを揺らしながら、対面でじっとこちらをうかがっている子どもを眺める。図太くもソファの上であぐらをかいている。先に風呂に放り込んでおいて正解だった。表面上の汚れしか落ちていないのだが、何もしないよりはマシだ。
 あんまりにも執拗に後を追ってくるので、とうとうベルモットが折れたのだ。ベルモットが殺した男は、おそらくこの子どもの保護者だったのだろう。今、子どもには頼れる大人がいないことになる。その事実に、ほんの少しだけ心が動いたのだ。やはり、天使たちの影響か。放置すれば第二の通り魔になりそうだなと思ったのも一因ではある。
 睡眠薬を飲ませて、どこかの児童養護施設の前に置いておけばいいようになるだろう。ナイフを振り回さないかまでは保証できないが。
 保護者と同じ格好のベルモットにナイフを向け、ベルモットが変装を解いても軽い瞠目しかしなかった、おかしな子ども。今更児童養護施設にいれたとて、果たしてまともに成長するのかどうか。自分ではない、良い大人に巡り合えるかどうかだ。
 ベルモットは深くため息をついて腰を上げ、子どもの前にグラスに入ったオレンジジュースを出した。

「これでも飲んで、さっさと寝なさい」

 突き放すように言って、晩酌を再開する。時間も時間なので横になりたいが、子どもが眠るまでは起きていなければならない。ナイフはとりあげているが、思い切りの良すぎる子どもだ、寝首をかかれる可能性がある。
 貧相な子どもはしばらくグラスを眺めていたが、ややあってそれを両手で持つと、何度かにわけてくぴくぴ飲んだ。
 そして寝る。

「はあ…………」

 何度目か分からないため息をついて、片手にワイン、片手に携帯を持って、児童養護施設の場所を調べた。



 ナイフを突き立てる。女が死んだ。



「子どもね……そんなことがあったとは」

 夜の大都会を上機嫌に運転をするバーボンが、上っ面だけの言葉を口にする。愛車に向ける愛情の一割も興味が無さそうだったが、表面上だけでも人懐っこく振る舞ってくるのは不快ではない。ベルモットとて、この話題でバーボンを気を引こうだなんて微塵も思っていない。
 異様な子どもの思い出話をしたのは、ニューヨークを中心に世間を騒がせている事件についてバーボンが話を振ってきたからだ。
 金髪碧眼の美女だけを狙う殺人鬼。現在、犠牲者は五人に上っている。いずれもナイフで腹を深く刺されて死亡。所持金が無くなっていることから強盗連続殺人とされているが、外見で標的を選んでいるので様々な憶測を呼んでいる。警察が情報統制していたもののメディアに漏れ、報道が始まったのが一週間前。犠牲者は五人どころではなく、昨年発生した三件の金髪碧眼女性殺害未解決事件も一連の殺人と同一犯ではないのか、という報道が出たのが今日の昼。
 「あなたもターゲットになりますね」バーボンはそう言って笑っていた。ベルモットは鼻で笑ったが、今まで忘れていたことが嘘のように不思議と子どものことを思い出したのだ。

「あの子だと思うわ。きっとね」
「なぜです?」

 共通点はナイフのみ。それでも確証めいたものがあった。
 あの子どもは、保護者が死んだことで同じ格好をしたベルモットを犯人だと思い復讐しようとしていた。子どもがベルモットに対して何を思っていたのかは分からないが、金髪碧眼を執拗に狙っているのは、まるでベルモットの偽物を殺しているように思えたのだ。
 今度はバーボンが鼻で笑う。

「うぬぼれでは?」
「それでもどうしてか、あの子だと思うのよ」
「もしもその子どもだとしても、行っているのはあなたの偽物殺しではなく、復讐だと思いますが」
「復讐なんて人間的な行為を、あの子が延々続けるとは思えないのよね」
「置き去りにしたことの後悔は?」
「それこそまさか。後で調べたら、あの子、三日で施設からいなくなったそうよ。そんなに元気な狂った子どものことなんて心配していないわよ」

 組織の仕事のためにとっているホテルのロータリーに入る。車のキーをホテルマンに渡し、ロビーへ向かう。「あなたのチョイスはいつも華美ですが、今日はマシですね」「野宿でもしたら?」軽口を叩いていると、バーボンがぐんとベルモットの腕を引いた。優男の癖に力が強い、ベルモットはたたらを踏む羽目になる。良い度胸ね、とピンヒールで足を踏みつけてやろうとしたが、バーボンの視線は別の方向へ向いていた。
 子どもがいた。
 バーボンが、ベルモットを引いたほうとは逆の手で子どもの腕を取っていた。
 子どもは大振りなバタフライナイフを握っている。ベルモットを狙って向かってきたナイフをバーボンが防いだようだった。
 例の殺人鬼だと考えるのも、子どもの顔に既視感を覚えてあの子だと確信するのも早かった。

「わたしが気付かないなんて」
「僕もギリギリでした」

 身長がずいぶん伸びていた。一五〇はありそうだった。細身の黒いズボンにゆったりした白いTシャツ、グレーのパーカー。あのときぼさぼさだった髪は手入れされており、筋肉もついているように見えたが、相変わらず中性的ないで立ちだ。少女にしてはクールで、少年にしては女顔。性別がどちらにせよ、端正な顔立ちには違いなかった。
 バーボンが手首を締め上げると、子どもは大きなナイフを落とす。金属音が響く。ホテルマンが振り向くが、それより先に子どもはグリップを踏んでナイフを蹴り上げ、バーボンに拘束されていないほうの手で回収していた。
 ホテルマンが不思議そうな顔をする。ベルモットは笑顔を向けた。

「どうかされましたか?」
「なんでもないわ」

 子どもそのものは、幸い、優男に隠れて見えなかったらしい。現時刻が夜であったのも幸いした。
 しかし緊張は解けない。いくらナイフを持っているとはいえ子どもだ。対してこちらは荒事にも慣れた大人がふたり。組み伏せるのは簡単だが、騒ぎにしたくないと言うのが問題だった。
 ベルモットは、未だナイフを手放さない子どもに声を掛けた。ベルモットの偽物を殺しているのならば、本物だという証拠を見せれば。もし復讐だとすれば、組み伏せるのも止む無しだ。

「オレンジジュースは美味しかった?」

 バーボンと対峙していた子どもが、ベルモットを一瞥してバタフライナイフを収納した。緩んだバーボンの手を振り払って、その場に棒立ちする。一応目線はベルモットに向いているが、焦点が合っていないような、見ているこちらが不安になる視線だった。

「どうします?」
「このまま放置も出来ないわ。とりあえず連れて行くしかないわね」

 追い払ってすんなり帰るとも思えない。ベルモットはカードを出しながらレセプションへ向かった。
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