屍未満2


 
 廊下を進みながら、バーボンが声を潜めて問いかけてくる。

「泊めるんです?」
「わたしの部屋を二人に変更したわ。とりあえず話を聞くのが先ね」
「僕も同席しますよ」
「好きになさい」

 子どもはおとなしくベルモットとバーボンについてきた。ベルモットの宿泊する部屋でどことなく物珍しそうに見回す様な仕草はしたが、表情が変わらない上に喋らないので心境は不明だ。
 ベルモットはローテーブルをL字に囲っているソファに腰かける。バーボンも間隔をあけて座った。子どもはふらりと歩いて、一脚だけのハンギングチェアに座った。
 子どもはおもむろにナイフを出した。バタフライナイフの扱いに相当長けているのだろう、二股に割けた片方の柄を握って、ぐるぐると振り回しながら刃の出し入れを繰り返す。刃が光を反射して、その殺傷性を主張する。
 ベルモットは顔をしかめたが、ため息をついて足を組んだ。

「今更なんの用なの? 本当にあの男の復讐でもしに来たの?」

 子どもが、ナイフを振り回したままベルモットを見る。ほんの小さく口を動かして、ぽつりと言葉を落とした。

「……なまえ」
「名前? わたしの?」
「<これ>の名前。もらいに」

 <これ>と子どもはナイフの刃先を自分に向ける。
 ベルモットは意味を理解して鼻で笑った。

「名付け親になれと? それだけのために五人を殺したの?」
「あのひとには<おい>と。でも、それは名前じゃないって」

 少ない言葉から、言いたいことを推測する。

「あの男のことかしら。ええ、そうね。<おい>は名前ではないわ。で? 施設でそれを否定されたの? ちょうどいい名前くらい、ああいう場所なら与えてくれるでしょうに」
「出てから、気づいて。もらい忘れたと」
「名前が欲しかったんなら、なぜ早々に施設を出たの」
「<これ>は、あれをきもちのわるいことだと理解している」

 <これ>は一人称。<あれ>は何か言動や行為だろう。施設で何かよほど嫌なことがあって衝動的に飛び出し、名前をもらい忘れたことに気付いた。戻るわけにも行かず、あの男も既に死んでいる現状、ベルモットしか親になりそうな大人を思いつかなかった、と。
 ベルモットは深く深くため息をついた。

「名前くらい、自分でつけたらよかったでしょう」
「<これ>はかわいそうじゃない」
「あなた、もう少し言葉を増やせない?」
「……名前を、もらえないことは、かわいそう」
「自分で自分の名前を付けたら、<かわいそう>になるからってこと? 馬鹿馬鹿しい」
「まあまあ、落ち着いてください」

 静観していたバーボンに宥められる。笑顔で宥めすかしてくるのには多少腹が立ったが、言いたいことがあるならどうぞと促した。

「ベルモット、あなたがこの子に名前を与えさえすれば、この子は満足して連続殺人も止まります。名前を与えるだけですよ。何も、養子になろうってわけじゃありません。いいじゃないですか」
「……はあ」
「ね? 人助けですよ」

 ベルモットは足を組み替えた。子どもが虚ろな目でこちらをうかがっている。
 髪をかき上げて、ついでにため息も挟んでから言った。

「<クロー>。名乗りたいなら好きに使いなさい」

 名前をもらえないのはかわいそうだから、誰かに名前をもらいたかった。だから何だと言うのだろう。この子どもは何にこだわっているのだろう。人探しで連続殺人をするような、とてもまともな感性を持っていない社会不適合者が、社会の仕組みにのっとろうとするのは何故なのか。
 ベルモットが名前を与えても、子どもはあからさまに喜ぶことはなかった。一度瞬きをして、復唱する。

「クロー」
「ええ、そうよ。不満?」
「<これ>はクロー……」

 表情に変化は無いが、なんとなく気に入ったのだろうと思う。静かな水面に小さなさざ波が起きたような、わずかな変化だった。すぐに平坦な水面に戻ったけれど。
 子ども改めクローは再びバタフライナイフを振り回して刃を出す。仕舞う。出す。仕舞う。仕舞った柄をベルモットに向けた。

「ベルモット」

 ベルモットは思わずバーボンを睨んだ。コードネームを知られるくらい何とも思っていないが、あなたがうかつにわたしの名前を呼んだからよ、と八つ当たりをする。バーボンは両手を上げてすかした笑みを浮かべていた。
 ベルモットは嘆息して、クローに、やや乱暴にバーボンを示した。

「用事は済んだのでしょうけれど、せっかく部屋の人数を変更したから今日はこのホテルに泊まると良いわ。部屋は隣よ、バーボンに案内してもらいなさい」
「ちょっと待ってください。クローを僕の部屋に?」
「そうよ。わたしの部屋は二人、あなたとわたし」
「ああ、そういう……」

 バーボンが顔に<面倒くさい>と書く。そうだろうとは思うが、あまりにも物騒な子どもと同室は遠慮したいし、バーボンも嫌がるだろうし、こうするしかないのである。


 入浴を済ませてハンギングチェアでまどろんでいると、わざとらしいほど恭しく手が差し伸べられる。ベルモットに続いて入浴を終えたバーボンが、ガウンを緩く着て笑っていた。

「眠るならベッドに。抱っこしましょうか?」

 ぺち、と手を払って立ち上がる。背伸びをしながらベッドルームに向かうと、後ろからバーボンも着いてくる。元々一人で泊まるような部屋ではないため、広いベッドも二つある。何も問題ではない。そもそも、そこまでうるさく言うようならば同室での宿泊など許していない。
 向かって右のベッドに腰を下ろす。足を下ろしたままで仰向けに体を倒した。静かに動いても、スプリングの反発が体を揺らす。妙に疲れたなと天井を見上げていると、ベッドがさらに深く沈んだ。

「バぁボン。あなたのベッドは向こうでしょ」
「おや」

 顔にかかった髪を優しく払われる。甘ったるい仕草を鼻で笑った。

「ご指名かと思ったのですが」
「そういう気分じゃないわ。疲れたのよ」
「再会を喜んでいたのでは?」
「眼科に行ったら?」
「少なくとも実際に会う前までは、少し楽しそうでしたよ」

 目一杯息を吸って、全て吐いた。寝転がったまま、隣に座っているバーボンを見上げる。

「あなた、未調教のライオンと同じ檻に入っても平気なタチ?」
「なるほど。想像するのと対面するのとは別だと」
「わたしの偽物を殺すだけなら、本物と対面する必要もないでしょう。大体なんなのあの子……わたしを殺したら元も子もないでしょうに、まずナイフを向けるなんて」
「……僕らは、勘違いをしていたのかもしれませんね」

 バーボンが意味深に腕を組む。ベルモットが投げやりに促すと、にこやかに続けた。この男は、大概お喋りが好きだ。早朝でも深夜でもよく喋る。ベルモットが生返事でもご機嫌に喋り続けるので、扱いやすくて何よりだ。

「僕らは最初、クローはあなたの偽物を殺していると思っていました。理由は不明ですが、一晩の寝床を用意したあなたを次の保護者だと思ったのかもしれません。最初の保護者は、偽物が現れて殺された。だから、次はあなたを喪わないように、あなたに似た人間を殺していた……そんな健気な理由かもしれません。ですが、あなたの言うように、これだと本物を殺してしまう可能性もあります。そこまで考えが及んでいなかったのか……いえ、クローには目的がありました。あなたに名前をもらうという目的が。つまり、クローは初めから<偽物を殺していた>のではなく<ベルモットを探していた>のではないでしょうか」

 ベルモットは顔をしかめて肩をすくめた。

「わたしを探しているのに、わたしを殺す様な真似をするの?」
「殺人は、偽物と本物を見分ける手段なんですよ。出会ったとき、あなたはクローに殺されなかった。クローにとって、<自分に殺されない金髪碧眼の女性>が本物だったのでしょう」
「普通に声を掛けなさいよ」
「まったくです」

 バーボンが頷いて腰を上げる。空いているほうのベッドに移動して、ヘッドボードのスイッチをいじりはじめた。言いたいことを言って満足したらしい。
 ベルモットも一拍置いて、中途半端な体勢からベッドに入りなおした。枕に頭を預けると、ぐっと眠気が強くなる。
 明日、クローはどうすべきだろうか。自分たちの立場的に、警察に突き出すことはできない。だが、バーボンの言が事実ならば、本物を見つけて目的を達成した今、これ以上の殺人は起きないと思われるので良しとしたい。
 いっそのこと。

「組織への勧誘は考えないんですか?」

 間接照明だけになった寝室で、バーボンが問いかけてくる。

「……考えない、わけではないわ」
「その様子だと、考えた末に止めたんですね」

 殺人への抵抗がないことはもちろん、自身やバーボンの不意を突くくらいだ、アサシンとしての素質は十分。何件もの殺人を重ねて警察に捕捉されていないので、逃げ足も速いと思われる。教養は心配だが、任務内容さえ把握出来るならば最低限の仕事はこなせる。
 しかし、組織は組織だ。ベルモットは、クローに首輪をかけられる気がしない。考えていることの一ミリも分からない相手を、自陣に入れることには抵抗があった。
 根っからの犯罪者か他組織からの潜入者か、そういった次元ではなく。そもそも人間か動物かすら怪しいのだ。

「どうせ、またすぐにいなくなるわ。飼いならすのは無理よ。説得したいなら止めないけれど」
「御免ですよ」

 「良い夢を」それを最後にバーボンは眠る体勢に入ったようだった。
 ベルモットも目を閉じたが、バーボンはクローを部屋に連れて行ったときも同じことを言ったのだろうかと思うと、おかしくなって少し笑った。



 翌朝、隣室を訪ねるとクローは既にいなかった。
 その一か月後、またひとり、ニューヨークで金髪碧眼の女性が殺された。

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