それでは来世で4
※「ジウ」のネタバレ含む
『NWO、代表に告ぐ。我々日本国政府が、国内の特定地域に治外法権を認可することは、いかなる条件をもってしても、現状、不可能であると言わざるを得ない』
『あらゆるテロ行為に屈することもまた、同様にありえない』
『ただちに人質を解放し、速やかに投降してほしい』
ぶとうを食べながら会見をみていたわたしは、思わず失笑した。本当に政府としてもどうしようもなかったのだろうとは思うが、それにしても、もう少しマシな対応は出来なかったのだろうか。わたしよりもはるかに頭の良いお偉い方々なのに。
しかも、今は朝の六時前だ。期限までまだ時間はある。あえて早いタイミングで会見をしたことに何か意味があるのだろうか。要求を受け入れられなかったNWOがさっさと総理を殺してしまう可能性もあるはずだ。
何か、わたしごときでは思いつかない策があるのかもしれない。
「どうかなあ……」
ともかく、これで日本政府とNWOとの対立構図がより明確となった。
わたしがジウの肩を持っていることを差し引いても、日本政府は不利だろうと思う。一般市民を守らなければならない状態で強硬手段はとれないし、なにより、ミヤジの存在が厄介だ。ミヤジは、クスリの関係で各業界の上層部とパイプがある。情報を流させることなど朝飯前だろう。
正直なところ、わたしが気になっているのはジウだけだ。ジウがまた帰ってきてくれるのか。わたしはもうお役御免なのか。テレビに放映されてしまったら、もう自由に外を出歩けないのではないか。完全にマークされてしまったのではないか。
テロリストとして、殺されて、しまう、のでは。
可能性は高い。ジウはもう、日本政府/警察側にとってはいい標的だ。明らかに主犯格。
わたしは、テーブルに置いていたバタフライナイフを見た。これから危険になるから、自分の身は自分で守れと、そういうことだったのだろうか。しばらく外に出るなというのも、NWOのことがあったからだろう。
嫌な予感は全て気のせいで、ふらっとジウが帰宅しないだろうか。わたしは手を洗って玄関に向かった。この五年、掃除のときと荷物が届いたときにしか玄関に用事がないので、こうしてあえて見に行くことは滅多にない。
「……なんだあれ」
上がり框に黒いスポーツバッグが置いてあった。運動部の学生が持っているような、大きなエナメルバッグだ。バッグの上には赤い手帳が鎮座している。手帳の表紙には菊の花――パスポートだ。パスポートは、写真こそわたしだが個人情報は見知らぬ女の子のものだった。
はっとして、顔を上げる。
鍵が開いていた。このドアは外に鍵穴が二つあり、一つは元来のもので、もう一つは内側から開けられないものだ。その、追加されたほうの鍵が開いていた。
「うそ、」
手が震えた。ジウが言っていたのはこういうことか。
――もういつでも逃げられる。でも危ないから、しばらくは外に出ないで。
喜びより、信じられないという思いと、もう本当にジウは帰ってこないのだという悲しみが強かった。
泣きそうになりながらバッグを開く。札束が入っていた。
現金は百万ごとに帯封が巻かれており、数えると五十束あった。五千万円だ。およそ五キロ。貧弱なわたしがどこまで耐えられるか分からないが、持って動けない重さではない。数えるために札束を全て取り出した後、バッグの底には小分けにされた白い粉が入っていた。十中八九クスリだろう。どういう分類で、どういう呼び名が正しいのか分からない。使い道もない。売りさばくルートもない上にわたしはこの手のものを使ったことがない。
いっそ全て現金で――そうして気付いた、重さ、かもしれない。詳しくはないが、こういった薬は一グラム単位で値段がついている。数千円から数万円。ここまで成功したミヤジが粗悪品を流すとも思えないので、数万の部類だろう。仮にグラム二万円として、ざっとここに一キロある。二千万だ。もっと高値の可能性もある。
「いや、だから売るためのルートがないんだけど……」
見つかれば終わりなので置いていきたいが、現金五千万も見つかれば終わりなのでどっちもどっちだ。
バックに白い粉と札束を戻す。その上からビニールとタオルをかけて隠し、パスポートと三万円を入れた財布、ジウから貰ったナイフを入れる。現金が置かれているということは、カードを使うのはやめたほうがいいのだろう。万が一ミヤジが逮捕されれば、芋づる式にわたしも見つかる。
ジウとミヤジのことを警察が突き止めているか分からない。この部屋も離れがたい。それでも出ようと思ったのは、ジウがこれを用意したのだという一点だ。ここは危険だ、とジウが伝えているのなら、それに従った方がいいと思った。
駅前のビジネスホテルに連泊しよう。食事代込みでも一泊一万に抑えれば、十年はホテル暮らしが出来る。その後のことは、そのときに考えよう。
生きることに意味は見出していない。だが、ジウがわたしの身を案じてくれているのなら、少なくともこの金が尽きるまでは生きるつもりでいた。
動きやすいようにジーンズをはき、上はタートルネックの薄手のセーター、ジウの白いブルゾンを拝借して玄関に立つ。買ったきりで使っていなかったスニーカーをはく。
「……いって、きま、」
もうここに帰ってくることはない。ジウと暮らすことも、おそらくない。
五年暮らしたこの部屋とは、ここでおさらばだ。
「楽しかったよ、ジウ」
空虚な部屋に声を掛ける。
玄関のドアはあっさり開いた。このマンションは廊下も外気とは遮断されているので、部屋を出てすぐ外というわけではない。一歩踏み出す。ドアが閉まる。鍵は持っていないのでそのままだ。ひとりの外出は五年ぶりだ。ジウはいない。
エレベーターで地上へ下りながら、どのあたりでホテルを取ろうかと考える。ここからの最寄りだと近すぎるだろうか。かといって大きな駅だと宿泊費がかさむ。節約など考えなくても良い気はするものの、さっさと金を使いきってしまうのは気が引ける。
一階へ到着する。エントランスを抜けて外へ出る。
「あっけな……クソミヤジ」
冷たい風に身を震わせる。エアコンに甘やかされてきた身なので、外気はなかなか堪えるのだ。
重いエナメルバッグを持ち直して駅に向かう。駅近物件に住んでいたはずだが、ジウと出かける時より遠く感じられた。
のそのそと路線図の前に立つ。どこまで乗ろうかと視線で路線をなぞり、視線がとまったのは<大久保駅>だった。
百人町にはミヤジの不動産事務所がある。二度ほど、ジウと行ったことがあった。
行ったところで、邪魔だろうか。新宿に向かうことがリスキーだろうか。そもそも、そこにミヤジとジウがいるのか全くわからない。ふたりは歌舞伎町の可能性が高いだろう。
駅員からの視線を感じて、とりあえず券売機の前に立った。切符ではなくICカードを買って、どこにでも行けるように五千円チャージしておく。
とりあえず、不動産事務所に行ってみよう。ミヤジやジウがいれば話を聞いたらいい。いなければそれでいい。当初の予定通り、ホテルに向かうだけだ。
黒煙を見上げる。サイレンの音。悲鳴。熱心にシャッターを切るスマホ。スーツの男たち。防護服。
ミヤジの不動産事務所が爆発炎上していた。
そして梵天へ、みたいなことを最初は考えていた。(ジウにはまったまま東リベにはまったため)
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