苦いスノードロップ
零side
ハンター協会から対象の粛正の指令が下った場合、俺達ハンターは対象が潜伏していると思われる場所に向かって捜索し、対象を発見すれば、人間に極力気付かれないよう注意して速やかに粛正する。
その対象の年齢や性別等、一切の私情を介入させてはならない。ただ引き金を引くだけだ。後は報告書を書いて提出して、その任務は終了する。
「ねえお兄さん、この街にはどうして来たの?」
「……別に」
「お仕事?にしては若いし……観光するような所じゃないしなあ」
通りから離れた、路地裏の木箱の上に腰掛けて足をぶらぶらさせて、彼女は首を捻る。息が白くなる程寒いのに、彼女は薄手のワンピースを着ているだけだった。まあ、腕を擦ったりしている辺り、寒くない訳ではないんだろう。
「それにさ、この辺最近物騒なんだよ?三人も人が死んでさ」
「……だったら、お前はこんなとこで何してる」
「寒いからね、雪が降るかと思って」
彼女は薄暗い雲の浮かぶ空を見上げて、残念そうに真っ白な息を吐く。俺はコートのポケットに手を入れたまま、建物の壁に凭れた。
恐らく彼女が、今回の粛正対象。資料にある外見と一致しているし、他のハンターよりも吸血鬼の気配に敏感な俺が、彼女の気配を"そう"感じる。
「で、お兄さんはこんなところでどうしたの?迷子?」
「別に。……お前こそ、雪なら家で見ろ」
「まあね……。でもちょっと、家はいにくくて。言ったでしょ?"物騒"だって。私、お母さんと二人で住んでたんだけど、お母さん死んじゃって」
彼女は何でもない事のように言うが、拳を作って強く握っていた。空を見上げているのは、雪を待っているのか、涙を堪えているのか。
粛正対象の罪状にあったが、一番初めに、自身の肉親を失血死させたらしい。やはり彼女が"そう"なのだ。
「犯人、早く捕まればいいんだけど」
自分が殺したことに気付いていないのか?
どうにも腑に落ちない。目の前にいる彼女はまともすぎる。<レベル:E>に堕ちていないのか?いや、それならばリストに上がるはずがない。
まあ、犯罪を犯した<一般>の奴らを粛正することもあるが、今回は<元人間>のはずだ。
「……風邪を引く前に、さっさと家に帰れ」
「やさしーね、お兄さん。お兄さんは宿に帰るの?」
「もう少し歩いたら」
「変なのっ」
彼女は楽しそうに笑って、木箱から飛び降りた。よく見ると、手先や鼻が赤くなっていた。これだけ寒いのだから当然だろう。
「……寒いだろ、お前」
「うん、すごく。もう手足の先の感覚ないもん」
「馬鹿か」
「ひどいなあ」
白い息を吐き出して彼女は笑う。目も赤くないし、理性もしっかりしているし……彼女が<レベル:E>?馬鹿だろ。
彼女は、はあっと手に息をかけてこする。こんなに寒いのに外にいるからだ。
「…………」
「え」
「……やる」
コートを脱いで肩に掛けると、彼女は口を開けて俺を見上げる。仕方ない、見ていられないくらい寒そうなんだから。
「お兄さんが寒いでしょ」
「……俺はそれが無くても問題ない」
「高そう。本当にいいの?」
「でかくていいなら」
「全然良いよ!うわーあったかい」
コートの下は、シャツと上着を着ていたから[血薔薇の銃]が見えることも無かった。適当にコートを引っつかんで出てきた甲斐があったな。
彼女はだぼだぼのコートに腕を通して「あったかい」を連呼していた。初めから何か着ていればいいのにと心底思う。
彼女は一通り興奮し終わったのか、妙に真剣な顔で俺に言った。
「このご恩は一生忘れませんよお兄さん」
「……忘れろ、くだらん」
「だってあったかいし。……あ、私世利っていうの。お兄さんは?」
小首を傾げて無邪気に覗き込んでくる彼女に、俺は一瞬息を詰まらせた。
粛正対象に名乗る……?いや、彼女はーー世利は、"そう"じゃなかったのかもしれない。きっと調査員のミスだ。
「……錐生、零」
「零って呼んでいーい?お兄さん」
「好きにしろ」
「うん、零。良い名前だね、零って」
今度は俺の名前を連呼して、世利は何が楽しいのか笑う。中々見ないような、無邪気で、曇りも無く、鈴を鳴らしたように世利は笑う。
その様子がなんだか可笑しくて、つい頬を緩めると、世利は更に楽しそうに笑った。
.
* * *
元々、宿泊の準備はしていたが、あまりこの街に泊まるつもりは無かった。さっさと終わらせて帰ろうと思っていたから。
街を軽く見回って宿に入り、少しの休憩を取る。コートがなくなったが、世利に言った通り大した問題ではない。寒さぐらいどうってことはない。
宿の部屋の窓から見下ろした通りは、この街で一番大きく賑わう所だと宿屋の管理人が言っていた。が、連日の事件のせいか、人通りは少ない。
「…………」
あんな笑顔を向けられたのは、久しぶりな気がした。
その夜、眠るつもりは無く部屋のベッドに寝転んで天井を睨んでいると、不意に血の香りがした。
「きたな……」
すっかり辺りは暗く、人気も無い。街頭だけが所々で光を放っている。雲が月にかかっているせいで、光源はそれだけだった。
窓を開けて血の香りを確認し、その濃さに顔をしかめ、窓から飛び降りた。
濃すぎる血の匂いで、逆に匂いの元が分からなくなりそうだったが、あるアパートの一室からだと分かった。その部屋の開けられている窓を見上げ、一度大きく膝を曲げて跳ぶ。
窓から部屋のリビングに入ると、更に血の匂いは濃くなった。右手で銃を抜き、暗い部屋の中を歩く。
じゅる、と血を啜る音が何度も聞こえる。
寝室と思われる部屋に、"それ"はいた。
俺は寝室の入り口で銃を構える。真っ暗で何も見えない。しかし夜目が効くので、対象がどこにいるのか位は分かった。
「そこまでだ」
「っ……」
血を啜る音が止む。人間の声はしないから、死んでいるのだろうか。
くそ、遅かったか。
「これで終わーーーー」
寝室に窓があったらしい。雲が動いたのか月明かりが部屋に差し込んだ。
ああ、月なんて隠れたままで良かったのに。
「ーーーーやっぱり、か」
四肢を投げ出した若い女の血を啜っていたのは、口元を真っ赤にして、牙をむき出しにして、血色の目を爛々と輝かせる、俺のコートを着た世利だった。
.
「あれー?零だ」
「…………」
「びっくりした?や、ハンターだったなら、元々私が目的か」
寝巻きの上に俺のコートを着た世利は女の死体を無造作に置き、袖で口元を拭う。俺を見てにこりと笑う姿は、昼間と変わりなかった。
ーーーー引き金を、引かなければ。
「私を殺すんでしょ?ハンターさん」
「……ああ。悪いが、これで終わらせてもらう」
「ふうん?あーあ、"私"可哀想だね」
世利の不可解な言い方に、俺は眉を寄せた。世利は笑顔を浮かべたまま、軽い足取りで、銃口を向ける俺の方に歩み寄って来た。
「この子ね、可哀想なんだよ。なあんにも知らないでさ」
「…………」
「自分が運悪く通りすがりの<純血種>に咬まれちゃった事も、自分の親を殺した事も、飢えて仕方ないから、私がこうやって血を飲んで人を殺しちゃってることも、"私"は知らないんだよ」
「…………」
「私は"私"の吸血鬼としての人格。"私"は私の罪で、何にも知らないまま殺されちゃうのかな?」
銃口が、世利の額に当たった。世利は未だ笑顔のままで、小首を傾げて、俺を見上げる。
笑って、笑ったまま、先程と同じ言葉を俺にかけた。
「私を殺すんでしょ?ハンターさん」
* * * * * * * * * * * *
翌日の昼間、深夜に訪れたアパートに行ってみると、野次馬と警察が大勢いた。どの道、政府の秘密組織であるハンター協会が揉み消すだろうが。
「これで四人目よ……家にいても駄目なんて」
「恐くて眠れやしないわ」
俺は野次馬に紛れてその部屋窓を一度見上げ、すぐにその場を離れた。俺がいても何の意味も無い。そのまま街を歩いた。だがまあ、人通りは少ない。
息が白い。寒い時期によく見る、薄暗い雲が空を覆っている。
「あ、零っ。こんにちはー」
「……ああ」
前方から、紙袋を持った世利が駆けてきた。買い物をしていたらしく、中には野菜が入っているのが見えた。
その身は、俺のコートを着ていない。
昨日とは違うワンピースを着て、世利は手先を赤くしていた。
「……また寒そうな格好して」
「う、あ、あのね、あのコートね、失くなっちゃったの。ごめんなさい」
世利は泣きそうな顔でぺこりと頭を下げた。別に構わないと頭の上で手を弾ませると、泣きそうな顔のまま頭を上げる。
上着をやりたいが、生憎銃を晒して警察に連行される訳にはいかない。
「折角手に入れた防寒具だったのになあ……」
「……上着持ってないのか」
「持ってた。私、今警察の人が借りてくれた部屋で寝てるんだけど、暖房器具壊れててね、直るまで上着着て寝てるの。あ、今朝やっと直してくれたけど」
世利は、コートをなくした申し訳なさからか、昨日のように笑ってくれない。
「……朝起きると、上着を着てないの。借りてる部屋には上着二枚しか持ち込まなかったんだけど……この一週間で二枚とも無くなるし、コートも無くなるし……」
本当に、覚えていないらしい。
「家に取りに行くのも、気が引けるから」
「……コートの事は気にすんな」
「……ありがと」
世利はその借りている部屋に向かうらしく、何となく送る事にした。物騒だから、と言えば簡単に納得してくれた。
「そう言えば零って何歳?学生さん?」
「十七」
「……学校サボってるの?」
「この街に私用があったから休んでる。……お前は?」
やめろ、聞くな。粛正対象の私生活に深入りしたって、何も得はない。昨夜逃がした事だって、許されることじゃないのに。馬鹿は俺だ。
「零と同い年!」
「…………」
「何その顔、童顔だって言いたいの?」
「何も言ってない。お前こそサボりか」
「違います。今はこの辺の地域は一番寒い時期でしょ?休暇中なの」
世利はようやく、ころころと笑い始めた。お前はそうしていないといけないんだ。笑っててくれないと。
二人で歩きながら、世利はふと空を仰ぐ。宙に白い息を吐き出して、降らないね、と呟いた。
「雪、好きなのか」
「うん、綺麗だもん。降り始めを見てみたくって。借りてる部屋さあ、窓開けても隣の建物の壁で、空がちゃんと見えないの」
大袈裟ともとれるくらい口を尖らせて、世利はまた空を見上げた。
.
* * * * * * * * * * * *
四人目の被害者が出てから、俺は世利が寝泊まりしている部屋の近くで夜を明かす事にした。二、三日に一度というペースで飢えを満たすために行動しているようだから、直ぐにはないだろう。
「馬鹿が……」
昼間以上に寒い中で、俺は世利の部屋のある建物の隣の建物の屋上で、世利が出て来ないようにと願いながら、夜を明かす。
凍えるような寒さで夜を過ごして三度目、あいつが建物から出て来た。出てきてしまった。
俺はすぐに世利を追い、民家に入ろうとしていた世利に銃を突き付けた。
「あ、こんばんは零」
「……お前は、どっちだ」
銃口を向けられても、世利は変わらず笑うだけ。いっそ血に狂ってくれたなら、一思いに引き金を引けるのに。
そんな笑顔で、俺を見るな。
「分かってるくせに。言ったでしょ?"私"は何も知らないってさ」
「お前は本当に、<レベル:E>なんだな」
「さあ。"私"は人間かもしれないけど、こんな風になってる時点でもう<レベル:E>って言えるんじゃない?」
撃て。引き金を引け。
世利が自分のした事に気付かない内に。
「ねえ零。撃たないなら、私、喉乾いてるから行きたいんだけど……あ、それとも零の血をくれる?」
「っお前は……」
「冗談だよ。じゃあね」
世利は笑って小さく手を振って、その場から跳躍する。
「俺の、馬鹿が」
瞬時に離れた世利の気配は追えなくなる。いや、多分、俺はわざとここで突っ立ってるんだ。
引き金を引くだけなのに、それがどうして、こんなにも重い?
世利の為にも、早く撃たなければならないのに、もうこの街に着いて何日経った?世利と知り合って何日経った?
殺したいとか、殺したくないとか、そう言う問題じゃないだろう。これが俺の仕事で。
「……世利の為だろう」
しばらくして漂って来た血の匂いを追うと、首に牙の跡をつけた少年が、何とか息を保っていた。
* * * * * * * * * * *
翌朝、俺は初めて世利に会った場所に足を向けた。部屋にいなければ、大抵ここにいるとこの数日で知っていた。
知るな、聞くな、と何度も警鐘は鳴っていたのに。
まだ朝だから、流石にいないだろうと思いつつも、いるだろうという妙な確信があった。朝日が眩しく、正直俺も少し苦痛だ。
「あ、零。早いね」
世利は木箱に腰掛けて、足をぶらぶら揺らしている。もう見ているこちらが寒くなるような格好ではなく、俺が買ってやった上着を着ていた。
「お前こそ」
「まあね。あ、そういえばさっき部屋の管理人さんに会ったんだけど、五人目の被害者が出たんだって。死にはしなかったみたいだよ」
「……そうか」
世利は、死ななくて良かったよね、としみじみ呟いて空を見上げる。白い息が空気に溶けていく。俺は世利の前に立って建物の壁に凭れ、白い息を吐き出して遊ぶ彼女を見つめた。
もう、駄目なんだ。これは俺の仕事なんだから。
世利の為にも。彼女が何も知らない内に、終わらせないと、いけない。
こんな風に話すのは最後だから。
「……世利、今日はーーーー」
「あのね、零。私の部屋、暖房器具直ったって言ったでしょ?」
世利はおもむろに、以前俺にした話を始めた。世利の部屋の暖房器具が直ったって話は、前に聞いてる。
「だから眠るときに上着着なくてよくなったの。寝やすくてさ、やっぱり暖房器具って大事だよね。……だから、この上着、眠るときは着てないの」
「……ああ」
「眠るときに着てないからかな、これ、ちゃんと失くなってないでしょ?嬉しくって」
「……良かったな」
世利は一度大きく息を吐いて吸った。
「でも、上着着てないせいなのかな、今日、起きたらね、服にね、血が付いてたの。なんでかな?」
「…………」
「それに、お母さんが死んだ日、私その隣で眠ってたの。部屋を変えて、初め上着が無くなった日、二人目が死んだって聞いた。二着目が無くなった日、三人目が死んだって聞いた。……でね、零のコートが無くなった日、四人目だって聞いた。それで、服に血が付いてたら、五人目だって、聞いたの。あははっ……おかしいよね、こんな偶然ってないよね」
俺がもたもたしてるから、こんなことになるんだ。何で世利は泣きそうに笑ってるんだ。何でこっちを見ないんだ。
あの笑顔で、どうして、俺を見ないんだよ。
「零、ねえ、知ってるんでしょ?だから私に声を掛けたんでしょ?」
「……世利」
「最初から、知ってたんでしょ?私、私が、人を、殺してるって」
「世利、お前は」
「ねえ、零、私、何でかな、何でなのかな、分かんないや」
「世利、お前はーーーー何も悪くないんだ」
[血薔薇の銃]を世利に向けると、彼女は力ない笑顔で俺を見た。その目は、夜に見たときと同じ色に染まっていた。
「……ねえ零、何で、私、こんなに"欲しい"って思ってるんだろ。おかしいな、"牙で奪いたい"なんて、なんで思うんだろ」
「世利、お前は何も悪くない。すぐに終わるから」
「……ほんと?」
「ああ……だからもう、泣きそうな顔すんな」
銃口を向けるのは他でもない俺。向けられるのは、紛れも無く世利。
もう寒さなんて感じない。あとは、指先に力を入れるだけ。それでもう、仕事は終わる。
何もかも終わる。
「うん、零がそう言うなら」
世利は赤い目を細めて笑う。初めに会った時と同じように、無邪気に笑って俺を見る。やっぱりお前はそうじゃないと、笑ってないといけないんだ。
終われ。
終われ、終われ、終われ。
ーーーーさっさと終わらせろ。
「あ、そうだーーーー私、零の事、結構好きだったよ」
「馬鹿が、畜生……」
積もった灰が、風に流れていく様を眺める。早く離れて協会に連絡しないと、銃声で人が集まってくると分かっているのに、俺はそこから動けない。
木箱に、爪を突き立てた跡があった。世利は、こんなに、吸血衝動に抗って、俺に笑ってくれていたんだと。
「……なんで、なんでだよ、なんでお前が、おかしいだろ、こんなの……ッ」
あんなに笑顔で笑う世利が、人懐っこくて、明るくて。あいつがどうしてこんな目に遭わないといけないんだ。
俺がもっと早く、最初から仕事を優先していれば。変なことを考えなければ。世利が泣きそうな顔をすることも無かったのに。
灰を呆然と眺めていると、視界に白く煌く物が映った。
真っ白な、雪。
「…………なんで、今なんだよ」
あいつがあんなに待ってたんだぞ。なんで今になって降るんだよ。世利が、降り始めが見たいって、寒い中ずっと待ってたのに。
「遅ぇよ、降るのが……」
世利が、何日も、時間のあるときは空見上げて、降って来ないかなって、楽しそうに、待ってたのに。
ひらひら空から舞う雪は、俺の手に乗ると溶けて消える。次から次から降ってきて、次から次から消えていく。一つさえ、残りやしない。
「くそ、馬鹿が……ッ」
もういない。世利がいない。残ったのは、硝煙の匂いと、白い灰と、あいつがずっと待ってた白い雪。
もう、あんな笑顔は、見られない。
世利がずっとずっと待ちわびた雪の降り始めを、なんで俺が見てるんだよ。雪が好きって言ったのはお前だろ。
「…………畜生、なんで……ッ」
世利に出会ったのは俺。世利の笑顔を求めたのも俺。世利を苦しめたのも俺。世利を殺したのも俺。
世利が、好きだったのも、俺。
世利を、好きだったのも、俺。
緩い風に舞う灰が、舞い落ちてくる雪に混じって消えていった。
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