のんきな奴らのアフタヌーン


 きっかけはどうでもいい。きっと些細なことだった。黄昏種(トワイライツ)はそうやっていつも理不尽な目に遭うが、黄昏種である時点で仕方がないことだった。
 ニコラスは、健常者(ノーマル)に絡まれてやり過ごそうとした所、わざわざ入手したらしい抑制剤(ダウナー)を打ち込まれてしまい、意識が朦朧としていた。幸い、黄昏種は健常者よりも丈夫で怪我の治りも早いので、リンチされたところで死にはしないだろう。健常者たちが本気なのか度胸試しなのかくらい、分かっていた。
 ニコラスはアジアの血が濃いせいか、年齢の割に小柄で舐められる傾向にある。さっさと級(カテゴリ)を上げてしまいたい、と視界に入っている自分のタグを睨んだ。C級では、恐れる人は恐れるが、怖いもの知らずの健常者もいるのだ。せめて、B0級にはならなければ。
 されるがまま殴られていると、裏路地に第三者が加わった。

「この辺りで喧嘩されると、うちの嬢たちが怖がるだろ」

 少女は躊躇いなく裏路地に入り、リンチ現場の前で足を止めた。ニコラスを囲む健常者が体を固くしたのがわかった。
 少女はどこを見るでもなく視線を動かした後、健常者らに体を向けた。ニコラスを庇うように立ち、親指でタグのチェーンを引っかける。
 上級(ハイカテゴリ)黄昏種の間で行われる"掲げ"だ。相手への挑発の意味もあるが、今は健常者が相手だ。実力差を示すための行為だろう。
 ニコラスは今にも閉じそうな目で、タグの刻印を確認した。

「私とも喧嘩する?」

 ニコラスよりやや年下に見える少女は、《A/1》のタグを掲げていた。紛れもない上級、健常者はどうあがいても太刀打ちできない。
 蜘蛛の子を散らすように健常者たちが逃げていく。
 残ったのは、自分のタグをもてあそぶ少女と、地面に伏したニコラスだけ。

「どうした、兄弟。健常者に好きにさせるなんて、よほどの低級(ロー)?」
「……」
「……うん?生きてるよな?ニオイ的にも黄昏種……」

 立っている少女と倒れているニコラス。ニコラスが少女の言葉を読唇しようとしても見えにくいし、何より口の動きが小さい。声が小さいらしい。
 少女が、生きているが動けないニコラスのそばにしゃがみこむ。ニコラスは必死で意識をつなぎとめ、少女の口の動きに集中した。

「立てない?ひどい出血ではないと思うけど」
「だ、ぅあ」
「は、なに?」
「ッだ、う、あー」
「……ダウナー?抑制剤を投与されたのか」

 少女の足元には抑制剤のインジェクタが転がっている。ニコラスは、視線の合わない少女を見上げて心の中で舌打ちをした。
 耳の聞こえない自分と、目の見えない少女。コミュニケーションを取るのは大変だ。

「とりあえず、うちの娼館に連れて行くよ。放置も出来ないし……」

 少女はペタペタとニコラスの体に触れて、ひょいと担ぎ上げる。タグにも触れていたので、ニコラスのカテゴリも把握したらしい。
 ニコラスは、放置されそうな己の獲物だけをなんとか握っていた。



「私とニコの馴れ初めはこんな感じ」

 ラウドミアが思い出を語ると、ニコラスとウォリックがため息をついた。
 年上の弟分らの拠点に足を運ぶと、新しい電話番の女性・アレックスが彼らちの関係を問うてきたので、きっかけを話したのだ。
 
「それからも、何だかんだ関わることがあって。二人はエルガストルム入りたてだし、よく喧嘩するし絡まれるし……」
「やーめてよ姉さん、若気が至ってたんだよぉ」
「ふふ、だからウォリックもニコラスも、あなたに頭が上がらないのね」
「テオ先生の次にね」

 喧嘩を仲裁したり、ボロボロになっているところを回収したり、食事や薬を与えたこともある。ラウドミアは彼らより年下だが、彼らより先にエルガストルムに収容されていた。仕事にも就いていたし、A級まで昇給するのもはやかったのだ。
 ラウドミアは、隣で大人しく座っているニコラスにもたれかかってドヤ顔をする。
 二人ともいつの間にか背が伸び、体格も良くなり、ラウドミアより遥かにガッシリ鍛え上げているが、今でもラウドミアの弟分である。

「昔の話は置いといてさ。ミア姉、あのきっつい眼鏡はどうしたのよ?」
「さっき、ギルドに顔出しに行って壊した」
「……ってことは、ラウドミアさん、今ほとんど見えてないの?」
「うん。んまあ、眼鏡あってもあんまり見えないけどね」
「もったいないなあ。アレッちゃんのおっきいオッパイと素敵なお尻を、」
「ウォリック」
「あん」

 ぽこ、と間抜けな音がした。ラウドミアは何が起こったかを察して笑う。
 すると、ゴツゴツした手に片手を取られた。もしかしなくても、隣にいるニコラスである。ニコラスは指で、ラウドミアの手のひらにアルファベットを書く。
 ニコラスはラウドミアを読唇し、ラウドミアは手の文字を読む。ろくに目の見えないラウドミアと、耳の聞こえないニコラスとのコミュニケーション方法だ。たまにニコラスも声を出すが、疲れるからと滅多にやらない。

『今日は本当に暇つぶしに来たのか?』
「うん。休みもらったけどすることもないから。ギルド行ってからこっち来た」
『店も休み?珍しいな』
「改装してんの。配達のとき楽しみにしてて」
「改装祝いとかいる?」
「いる……あーでも、せっかくならうちのお嬢様の相手してあげてよ。ウォリーは大人気だから。……」
「へーへー、考えとくよ」
「良かったらアレックスも連れてきなよ。ずっとここで電話番するのも退屈でしょ?……」
「え、でも」
「今度一緒に行こっか。ミア姉んトコ、おかかえのシェフがいて飯がすっげーうめぇのよ」
「二人にご飯代もらうから、アレックスは気にせずおいで。……」
「姉さんそこは奢りじゃないのー?つか、目の前でイチャつくのやめてくれません?」

 ラウドミアの手のひらにメッセージを書き続けていたニコラスの動きが止まる。衣擦れの音がするので、ウォリックに手話を示しているのだろう。見えないので内容は不明だが、放っておけとか、ひがむなとか、そんな所だろう。
 ラウドミアは、なんとなくアレックスが困惑している空気を察知して、アレックスがいる方に笑いかけた。

「ただの茶番だから」
「そう、なの?」
「ウォリーはニコの主人だから、ここまで気安く出来ないだけで」
「さみしいこと言うなよぉ、姉さん」
「黄昏種(わたし)が健常者(ウォリー)を弟分って言うのも、良く思わない人多いんだ。私もわきまえてるんだよ。外じゃ、ウォリーも私のこと姉さんって呼ばないだろ」
「今は中じゃん?」
「……イチャイチャする?」
「んじゃベッドにごあんなっイテテ冗談だってアレッちゃん!」

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