Cry, Cry, Cry.


※注意※
こちらは池弦様配布シナリオ「緋色の毒薬(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8442939)」を舞台にした小説です。
ネタバレを含みますので、プレイ予定のある方は閲覧に注意してください。
また、小説にするにあたって一部改変を含みます。(NPCのヒロイン利用に伴うもの、病気の幸村を元気にするため、シナリオに記載のない詳細部分)

死体・微グロ・※特に虫※の描写があります。苦手な方は注意ください。

当初、複数のシナリオをお借りしての連載を予定していたため、中途半端なところで終わります。かつ、ラスト以外は幸村視点です。ガラクタにてちょっとだけ設定も公開します。

シナリオ詳細について気になった方は、是非元シナリオを読んでみてください。







 ほんの数時間前に互いに励まし合った女性が、血まみれで倒れていた。彼女は何かを握っており、それは半分ほど彼女自身の首に埋まっている。自分で首を刺したのだろう。鮮血が壁から天井にかけて飛び散っており、出血量からも彼女が息絶えていることは明らかだった。
 わたしが天井を見上げていると、乾ききっていない血が頬に落ちてきた。
 別の部屋からは、醜い叫び声や争う音が聞こえている。それは日に日に激しさを増しており、わたしの正気を摩耗させていた。
 足元に転がっている彼女は、唯一、話が出来る人間だった。まだ理性やら正気やらを保っていたのだ。少なくとも、数時間前までは。
 正気を保とうとしていただけで、とっくに限界だったのかもしれない。

「……心臓のポンプ機能って、ほんとにすごいんだなあ」

 こんな場所でこんなことを考えるわたしも、相当キているに違いないのだろう。





 幸村精市は、寝衣の上に羽織ったカーディガンを握りしめた。
 カサカサ、と何かが這いまわる音は耳の奥にこびりつくようで不快だ。鼻腔をつく濃い悪臭も不快極まりなく、床は赤黒いペイントが施されている。点滅する蛍光灯が、"それら"と呆然と座り込む幸村を照らしていた。
 "それら"――大して広くもない部屋の片隅で、折り重なるように積み上げられている死屍累々。腐り落ちかけた人間の残骸だ。
 かつては息をし、動き、生き物らしい活動をしていたはずのそれらは、今ピクリともしない。おびただしほどの虫に覆われ、むさぼり食われていた。
 あまりにも衝撃的すぎて、幸村は目を逸らすことが出来なかった。
 今にもきれてしまいそうな蛍光灯の弱弱しい光を甲羅に反射させ、虫たちは人間だったものの集まりをうごめく。数匹、数十匹ではおさまらないほどの虫たちは、幸村に反応することなく、腐りかけの肉を食べていた。
 バチ、と蛍光灯が不格好な音を立てて点滅する。
 幸村はやっと体の自由を取り戻し、口元を覆って床を睨んだ。

「……っぐ」

 せり上がって来る胃液を飲み込む。深呼吸しようにもどろどろした悪臭しか吸い込めず、カーディガンを口元にあてた。悪臭はいくらかマシになり、慣れた香りに少しだけ冷静を取り戻す。
 車いすからベッドに移ろうとして細い何かが体に引っかかり、転倒を確信し、目を閉じたところで意識が途切れている。やや足がしびれていたので、踏ん張れないと苦々しい心境で確信していたのだが、こんな訳の分からない事態に巻き込まれるのならば、目を閉じたりはしなかった。
 この場所は、夢で片づけるにはあまりにもリアルだ。

「はやく……戻らなきゃ」

 ここがどこで、戻れるのかも定かではないが、何もしない訳にもいくまい。
 幸村は己を奮い立たせ、顔を上げた。死体の山を見ないようにしながら、部屋を見回す。
 この部屋自体は、そう広くないようだった。カーディガンを口元にあてたので、少しだけ肌寒いような気がする。本当に室温が低いのか、雰囲気がそうさせているのかは分からない。全体的に埃っぽく、あちこちにクモの巣が張っている。コンクリートの壁には血しぶきと思しきものがこびりつき、甲虫たちが這っていた。【呪われろ】という赤黒い文字は、この空間にぴったりすぎていっそ皮肉のように思えた。
 めぼしいものと言えば、幸村の右と背後にある扉だ。右手の扉は酷く痛んでいるのに対し、背後の扉は頑丈そうで銀行の貸金庫を思わせた。

「とりあえず、ここから出よう……」

 スリッパを履いていたことは幸いだった。血まみれで虫が這う床を素足で歩く気にはなれない。
 ふらつきながら立ち上がり、迷った末、背後の頑丈そうな扉に手をかけた。鉄製らしく、ひんやりとしている。しかし、開けようとしてもうんともすんともいわない。鍵がかかっているのか、さび付いているのか。なんにしろ、そう簡単に空きそうにはなかった。 
 ならば、と痛んでいる扉の前へと移動する。あちこちが凹み、ひっかき傷だらけでドアノブは今にも外れそうだ。ボロボロの木製の扉は、鉄製のものよりも格段に気味が悪いが、あちらが開かないのでは仕方がない。
 幸村は意を決して、慎重に扉を開けた。ぎぃ、と軋む音がして、やや心拍数が上がる。
 悪臭は相変わらずで、幸村はカーディガンを口元に当てたままゆっくりと足を踏み入れた。
 部屋の広さは同じくらいだろう。向かいには、今幸村が開けたようなボロボロの木の扉があり、右側には鉄扉がある。空いたままの冷蔵庫やガラスが割れた食器棚があるので、ここは調理場だったらしい。 
 ぱ、と蛍光灯が強く点滅し、部屋の中央にある調理台に横たわる女性を見つけた。生きているのかもしれないと思ったのは一瞬だった。女性の胸には、深々と包丁が刺さっていたのだ。
 ちらりと脚や腕を見たところ、まだ死んでからそう経っていないように思える。幸村は、ふとその場で振り返り、吐き気をこらえながら死体の山を見た。積み重なった上のほうにあるものは、まだ新しい――死体に対して新しいという表現が適切なのかはともかく――ように見える。
 
「なんなんだ……?まさか殺人鬼がいるとでも、」

 がさり、と虫が這う音とは異なる音に肩をはねさせた。弾かれたように振り向き、薄暗い部屋に目を凝らす。
 調理台の影から、のそりと何かが動いた。幸村は一歩退き、いつでも扉を閉められるよう身構える。
 現れたのは化け物でも巨大な虫でもなく、一人の女性だった。長く伸びてぼさぼさの髪の間からは、光のない目と、長い間日光を浴びていないような白い肌がのぞいている。制服らしいスカートとジャケットを着ているのはなんとなく分かるが、どちらも赤黒く汚れ、ほつれてぼろぼろだった。
 髪の間から無遠慮に幸村を見ているものの、不思議と敵意は感じられない。より正確に言うならば、人間らしい感情を感じられなかった。
 意を決して、問いかける。

「…………ここは、どこ?」
「調理場」

 間髪入れずに答えが返って来た。幸村は幾分肩の力を抜いて、さらに問いかける。

「君は?」
「望月冴永」

 彼女は爪の伸びた指先で、さらさらと宙に漢字を書いた。知性はきっちりあるらしい。

「望月さん、か。俺は幸村精市。幸せな村に、精神の精と市場の市」
「幸村くん」
「うん」
「誰かとちゃんと話すの、久しぶり……」

 やわらかい声で言いながら、望月が軽く髪を触る仕草をした。長い間手入れされていないであろう髪は、あっという間に乱れた。ぼさぼさの髪が更に鳥の巣のようになる。
 幸村は、退いた足を戻し、ゆっくりと彼女に歩み寄る。いくらなんでも失礼か、と口元を覆っていたカーディガンを外して羽織る。鼻が麻痺してきているのか、最初ほど悪臭は気にならなかった。
 望月は幸村の行動を観察している。幸村が愛想笑いと浮かべると、かすかに首を傾けた。
 
「ここから出たいんだ。どうすればいいか、分かるかい?」
「知らない。知ってたら、とっくに出てる」

 凛とした声で斬り捨てられた。
 アテがないのは痛いが、望月が望んでここにいる訳ではないことがはっきりした。調理台で息絶える女性や、積み重なっていた死体も、幸村のように訳が分からないまま理不尽な事態に巻き込まれたのだろうか。
 望月の姿を見る限り、数日ここに監禁された程度ではない。数か月、もしくは数年という単位で、この狂った部屋にいるのだろう。
 己も、そうなってしまうのだろうか。幸村は、一瞬過った考えを振り払う。

「望月さんの他に人はいる?」
「いない」
「何故、ここに監禁されているのか知ってる?」
「最終的に蓋をされたのは、怒らせたからかな」
「……誰が、誰を」
「多分、わたしたちと魔術師たちが怒らせた。アトラック=ナチャを」

 魔術師という到底非現実的な言葉が出てきたが、現状が十二分に非現実的なので、とても掘り下げられなかった。

「あとらっくなちゃ?」
「アトラック=ナチャ。なんなのかは、わたしも良く知らない。けど、知らない方がいいと思う」
「それは……ここにいるの?」
「多分いない」 

 いないけど、出られない。望月は淡々と付け足した。そこに悲愴はなく、ただ事実を幸村に教えてくれているだけだ。彼女はとっくに、この状況を諦めてしまったのだろう。 
 しかし、それを咎めることは幸村には出来なかった。ここで何があったのかは分からないが、こんなに薄暗く、虫が跋扈し、死体が山積みの環境に閉じ込められれば、抗う気力もあっという間に削がれるだろう。
 幸村は、一歩望月に近づいた。望月が諦めていても、幸村は絶対に諦めない。望月が見落としていることだってあるかもしれない。
 なんとしてもここから出て、さっさと部活に復帰して、テニスをするのだ。そう自分に言い聞かせる。

「俺は、この場所を探索しようと思う」
「うん」
「俺よりも望月さんの方がここに詳しいだろうし、良かったら一緒に行こう」
「うん、行く。幸村くんと一緒に行く」

 望月が大きく頷き、握っていた何かを手放した。
 幸村は、ゴトン、と重く鈍い音に驚きつつ、自然と視線をやる。点滅する蛍光灯が照らしたのは、錆びついた肉包丁だった。

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