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 わたしは、ある研究機関が所有する被験体だ。長い実験の甲斐あって、人として当然の機能と引き換えに、並外れた身体能力を手に入れていた。
 普段は被験体らしい日々を過ごしているが、資金援助を受けているマフィアからの要請で、危険な仕事に駆り出されることもある。
 その夜も、わたしは相棒であるアドルファスとともに任務にあたっていた。ただ、命令された内容がおかしなものだった。歴史的価値の高い古書を狙う犯罪集団を捕獲しろ、というのだ。古書の情報はマフィアによって操作された餌であり、それにおびき出された犯罪集団に応戦しろという。
 幻影旅団という名らしい犯罪集団は、平たく言えば"とても強い"。丈夫な体と高い能力は被験体に最適、ということらしい。
 わたしはアドルと作戦を練り、研究機関が所有している強制"絶"の拘束具を使用し、なんとかその命令をこなしてみせた。
 だが、それは決して、忠誠心からではない。任務失敗のペナルティを恐れているからでもない。

「起きてますよね、知ってるんですよ。ほらほらおはようございます」

 麻酔でぐっすりの旅団員の男をゆする。
 わたしが使用した麻酔針は、捕獲任務にあたって支給されたものだが、麻酔薬は密かに取り換えている。クジラも昏倒するほどの代物だったが、気を失っても三十分程度という、分解性の高い薬物に交換していたのだ。
 研究員に対し「旅団員の監視は戦闘力のある自分たちにしかできない」とごり押して彼を私室へ引っ張り込んで、三十分以上経つ。もう目覚めてもおかしくない時間なのだ。

「おーはーよーうーごーざーいーまーすー」

 床に転がした男を激しくゆするが、気持ちよさそうに眠ったままだ。
 深夜なので眠いのはよく分かる。わたしだって眠いのだ。同行していたアドルも、今はシャワーを浴びているが、稀に見る激しい戦闘で疲労困憊の様子だった。
 わたしは、目を開けない男に頭を抱える。そのまま、床にうずくまるように体を小さくした。

「まじで起きてくれませんか……あの、ほんと、あなたが起きてくんないと話が進まないんですって」

 うんうんうなってダンゴムシごっこをしていたが、衣擦れの音にぱっと顔を上げた。
 手を後ろで拘束され、足も拘束されている男が、器用に長座していた。
 大きな目が印象的な美男子だ。顔だけならば幼い印象だが、長身と鍛え上げた肉体のために、可愛いという言葉は似合わない。にこりとでもすれば大層華やかになるのだろうが、敵地におちているという現状からか、彼の表情は硬かった。
 わたしは、間近で見る整った顔に内心で気圧されながらも、ほっと胸をなでおろす。

「おはようございます。トルテシア=トルディです」
「へえ、トルテね」
「あなたは親しくないので、トルテシアって呼んでください」
「知ってるかもしれないけど、俺はシャルナーク。で、トルテの目的は?」

 さらっと愛称を呼んでくる彼に少しばかり眉を寄せるが、それを一々注意もしていられない。
 わたしはソファからクッションを持ってくると、シャルナークさんとやらのそばと、少し離れたところに置く。それぞれが硬い床からクッションに腰を移動させた。
 わたしはこころもち姿勢を正す。
 
「あの、シャルナークさん」
「……いやさ、優位なのはそっちだし、そんなかしこまられると複雑なんだけど。普通にして、普通に」
「じゃあ、シャル、ナーク、殿……」
「そうじゃないよ。もうシャルでいいから。皆そう呼ぶし。ほら、さんはいっ」
「シャル!」
「よし。で、何?」
「助けてほしい」
「は?」
「助けてくださいシャルナーク様」
「そうじゃなくて」
「冗談はともかく」
「やめてくれる?」
 
 わたしは時計を一瞥した。この部屋はアドルと共有で、わたしはアドルがシャワーを終える前に、この話を終わらせなければならないのだ。
 
「まず、その拘束具の作用は体感してると思う。もし自力で外せても、わたしとアドル……狐面の人、アドルファスね。二人がかりならいつでも捕獲出来る。仲間の救出を待つのもいいけど、乗り込んできた段階で、アドルならシャルを殺せるよ」
「脅しかな?……そもそも、俺が捕まえられた意味は?」
「十中八九、ウチの実験体にするため。研究員が張り切ってるから、夜が明けたら何かしら始まると思うよ。それで……ええと、わたしは事情の説明をアドルが来るまでに済ませなくちゃいけなくて、実験が開始される前にシャルの協力を取り付けたい」
「ああ、話の腰を折ったのか。いいよ、続けて」

 極悪非道の残虐な犯罪者のはずだが、シャルの態度は妙に柔らかい。いつのまにか硬い表情もなくなり、わたしは疑問に思いながらも続ける。

「シャルの仲間に連絡を取って、ここの場所を教える。シャルを救出するついでに、この施設を破壊してほしい」
「理由は?」
「わたしたちは、好きでここにいる訳じゃないよ」
「あれだけの強さがあれば、自分たちで脱走出来るだろ?」
「ここの研究員は優秀でさあ……」

 例えば、シャルを拘束している手枷。これは、被拘束者を強制"絶"――つまりいかに実力のある者でも、念能力という切り札を奪うものだ。攻撃、防御、索敵の為に練り上げたオーラを吸収することで被拘束者を"絶"状態にするという厄介な代物。
 わたしは、度重なる実験の成果でオーラの量が増加している。拘束具開発に協力し、死ぬギリギリまでオーラを吸い取られたことも多い。そのたびに拘束具はオーラの吸収上限を突破して壊れ、研究員は改良版を作り続けた。
 そうして完成したのが、今、シャルの戦力を削いでいる手枷だ。

「その手枷みたいに、研究員は変態的に優秀で。幻影旅団を捕まえろなんて大胆なことを言いながら、備えをしっかりしてる。手枷じゃないけど、わたしも、アドルも、自分たちでは逃げられないようになってるの」
「具体的には?」
「……アドルは、この施設とか研究員に対する反抗とか、敵対とか、そういった明確な意思が持てない。逃げたいと漠然と思っても、具体的な計画を立てたり、話したりすることが出来ない。しかも、わたしが"そう"しようとしたのを見逃すことも出来ない。だから、アドルがいない間にわたしが話をするしかない。今みたいにね」
「狐面の男がトルテを裏切る可能性はないの?」
「研究員に報告をする、という意味ではあり得る。でも、アドルもここから離れたいのは一緒なの。さっきのは、抵抗しまくった末に付与された制限だから。研究の支援者にマフィアがいるせいで、流星街まで逃げてもあっさり見つかるけどね」
「ああ、マフィアンコミュニティの関係か。というか、彼、その制限あると逃げられなくない?」
「崩壊する建物からわたしを逃がすとか、幻影旅団からの逃亡とか、そういう形でなら移動出来るはず。ここの関係者がいないところまで移動出来れば大丈夫だと思うけど……追手もあるだろうから、幻影旅団の手を借りたい」
「トルテの制限は?」
「……。わたしは、生きている人間に対して、直接攻撃が出来ない」

 シャルが「それは大変だ」と軽い口調で頷いた。
 わたしの大きな弱点だ。アドルの制限とは違い、わたしはたとえ研究機関に関係のない人間に対しても、攻撃をすることが出来ない。もちろん、アドルのように幻影旅団と戦うことも出来ない。
 弱点を晒すことに、躊躇いはある。だが、あえて伏せて勘繰られるのは御免だった。残虐な犯罪者相手に誠意も何もないが、こちらまで犯罪者ぶって喧嘩を売られたくはない。

「二人で異なる制限が課せられてるんだ」
「うん。アドルは手枷で強制"絶"に出来るけど、わたしはオーラ量が多すぎて難しいからね」
「だから"攻撃出来ない"っていうアドルファスよりもキツイ制限なんだ」
「そうそう。でも『この施設を爆破する』なら行動出来るよ」
「すればいいじゃん」
「そうしたら、アドルに取り押さえられちゃうってわけ」
「だから幻影旅団(俺たち)をアテに、ねえ……。もし、俺が協力を断ったらどうするのさ」
「幻影旅団の悪名高さに賭ける。ここの人たちを皆殺しにすることを祈る」
「うわあ、ひどいね。自分たちが殺される可能性については考えてないんだ?」
「アドルは強いから。わたしは攻撃手段が持てない代わりに、防御に極振りしてるし……というか、『もし』って言った?」
「あはは」
「協力……」
「助けてあげるよ。ま、団長次第ってとこはあるけどさ」

 シャルがアイドル顔負けの笑顔を浮かべる。拘束されたままなのでいまいち格好はついていないが気にしない。
 わたしは笑顔を咲かせた。死亡宣告ともとれる命令をこなして本当に良かった。幻影旅団を信用するのは不用心だが、シャルにも告げた通り、身を守る術ならあるのだ。研究所を壊しつくしてくれれば、それで十分だ。
 感謝のハグでもしたいところだが、シャワールームの動きを察知する。わたしは興奮をなんとか落ち着かせ、小声でシャルに告げた。

「アドルと入れ替わりでわたしもシャワー行くね。わたしの動きで何かを察しても、決定的な言葉とか行動がない限り、アドルは動かないはずだから、その辺は気負わなくても大丈夫だよ」
「具体的な策は?」
「後で話そう」

 シャルは"絶"状態で、"凝"も出来ない。つまり、オーラによって作り出す"念字"が読めない。
 ハイリスクだが、直接話すのが効率的だ。シャルが実験計画に組み込まれてしまうと、一緒に過ごせる保証もない。時間がなかった。
 わたしがクッションから腰を上げると同時、シャワールームへ続く扉が開いた。
 茶髪の青年が髪を拭きながらやってくる。左目が茶、右目が緑のオッドアイだ。

「え、何で仲良さげなの……」

 アドルが驚きつつ苦い顔で呟く。
 シャルが「どうもー」と呑気に挨拶する横で、わたしは双方に手を向けた。

「こちら、幻影旅団のシャルナーク。こっちは狐面してたアドルファス」
「つか何で起きてんの?朝までぐっすりの薬じゃなかったっけ」
「仕込む薬を間違えたんじゃない?じゃ、わたしもシャワー行ってくるから」
「おー……?」

 わたしは追及される前にと、そそくさシャワールームに向かった。
 大事な作戦なので口を滑らせるつもりは微塵もないが、わたしは言葉ではなく表情での嘘が付けない。痛覚やら触覚やらを落としてしまったせいで、表情のコントロールが難しいのだ。
 シャワールームで一人になり、鏡をのぞきこむ。すました顔がみるみる笑顔になった。ようやく訪れた機会なのだ、表情に締まりはなかった。

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