09:03


(ここまで)


「やっぱり自分で動けるって快適!」

 肩や首をゴリゴリ鳴らしながらシャルナークが言う。鼻歌交じりでずいぶんと上機嫌だ。
 アドルファスはシャルナークについて歩きながら、朝の街中を見回す。施設を出ても自由に街中を歩いたことはない。解放されたこと実感が、ようやくじわじわと沸いて来ていた。

「腹減ったって言い出しっぺは僕だけどさ、お金持ってないよ?」
「へ?俺らみたいなのが普通に金払うと思う?」
「……あー」
「必要があればするけどね。大抵は、モノを奪うか、コレ」

 シャルナークは黒い長財布を持っていた。アドルファスの肩を数度それで叩くと、中の紙幣を確認し始める。慣れた様子で紙幣を数えると、それだけをポケットに入れ、軽くなった長財布を道端のゴミ箱に入れた。
 アドルファスは一連の動きを眺め、手早いものだなと感心する。シャルナークが財布をスったことにも気づかなかった。

「ちょっと飯調達するだけだし、これで足りるだろ」
「手品みたいだった」
「感想がそれかあ。アドルファスもなんかズレてるよね」
「そうか?普通だろ」
「普通の奴は、ノブナガに気に入られたりしないって」
「力は普通じゃないけど、中身は普通で善良だよ」
「はいはい」
「で、さっきのどうやるの?」
「……そういうとこがなあ」

 アドルファスは両手をわきわきと動かしながら、シャルナークに問いかける。己もトルテシアも無一文なのだ、生活基盤を整えるために、汚い手段を取ることに躊躇いはない。人殺しは御免だが、"財布をする"のは候補の一つだった。アドルファスの道徳観はすこしばかりゆがんでいた。
 覚悟があるとはいえ、アドルファスは手先が器用な方ではない。戦闘スタイルとして、単純に腕っぷしは強いが、盗みの技術はまた別だ。なのでシャルナークにコツを教わろうと思ったのだが、シャルナークはおかしそうに笑うだけだった。

「アドルファスくらいの腕なら、いくらでも雇ってくれるところあるよ」
「財布をスる方法なんてどこで教われば」
「だから別にスらなくても。本当に必要になれば、嫌でも身につくさ」
「シャルナークはプロだろ」
「まあ盗賊という意味ではそうだけど……財布をスるプロとか嫌だよ、俺」

 アドルファスは仕事のなくなった手をポケットに突っ込んだ。
 職を探すといっても、アドルファスは学歴がない。戸籍もどうなっているのか怪しい。そんな不審者を一体どこが雇ってくれるのだろうかと口にすれば、「どうとでもなるでしょ」と無責任な答えが返って来た。
 
「それより、今は飯だろ?そこのスーパー行こう」
「なんか、こういうのが全部懐かしくて新鮮だ」
「へえ」

 シャルナークに促され、開店したばかりのスーパーに入る。時間的なものからか人は少ないが、明るい照明と軽快なBGMと笑顔の店員が、活気を演出していた。
 シャルナークがカゴを持って、陳列棚の間をすいすい進む。アドルファスは見たことのない商品や様々な謳い文句に目を引かれつつも、シャルナークを追った。

「俺と、団長と、フェイとマチとノブナガ」

 ぽいぽいと弁当をかごに入れる。アドルファスも目についた弁当を四つ、シャルナークの持つカゴに入れた。

「……トルテのじゃないよね?」
「僕の。なあ、栄養剤とかってある?こう、食べやすくて栄養補給できるやつ」
「ゼリー飲料とか栄養食品でいいならあるよ。トルテ、そんなのでいいの?」
「普通の食事を摂ることのほうが珍しかったから、今日はとりあえず食べ慣れてる物のほうがいいと思って」

 トルテシア用の食事もかごに入れ、あとは水のペットボトルと缶ビールを持ってレジへ向かう。客が少ないのでレジで並ぶこともなかった。
 レジ係がバーコードを読み取っている間、アドルファスは次々変わっていく数字を眺める。シャルナークが盗んだ金で足りるかと少し心配にもなったが、笑顔のところを見ると余裕らしい。盗賊が所持金不足でレジを通れないという事態にはならないようだ。
 シャルナークが、いささか多いように見える紙幣をレジ係に渡す。アドルファスは商品をレジ袋に入れながら、「残りは募金しといて」という爽やかな声を聞いた。

「打ち上げの飯と酒とこんな平和に調達するのなんて、いつぶりだろ……」

 スーパーを出ると、シャルナークがしみじみとそう言った。
 アドルファスは右手に弁当、左手に飲料の袋を持って、シャルナークに続く。

「……シャルナーク」
「なに?荷物?」
「別に重くないからいいけど、そうじゃなくて。幻影旅団の、」
「蜘蛛でいいよ。聞かれるとまずいしさ」
「じゃあ、その蜘蛛の中で、トルテと面識ある人って結構いる?」

 シャルナークがアドルファスを振り向いた。口元は笑っているが、アドルファスの真意を探るように目を細めていた。
 アドルファスは、内心でやはりと思いながら視線を逸らす。団長やシャルナークが好意的なのはトルテシアに対してであり、自分はおまけなのだ。ノブナガはその限りではないが、それはともかく。

「そのトルテが、俺らとは初対面って言ってたと思うけど?」
「トルテは、流星街に行ったこと自体は覚えてるんだ。僕も覚えてる、色々印象的だったから」
「……アドルファスは残ってた?」
「うん。トルテがいないことでパニックになって、暴れたりしてた。研究員に殺されてしまったんだと思って。シャルナークたちの言い分は、その時のトルテと流星街で会ってるってことなんだろ?トルテ、どきつい"纏"のせいで外見あんまり変わってないし」
「アドルファスはそのトルテの言うことより俺らの言葉を信じちゃうんだ」

 シャルナークがからかうように肩をすくめる。
 アドルファスは、そういうつもりじゃないと首を振った。初対面の犯罪者兼恩人と、長い間ともに過ごした姉のような人。信頼しているのは圧倒的に後者である。
 わざわざ口を出すのは、トルテシアのことが気がかりだからだ。
 トルテシアは何も、被験者となった時から触覚や温度感覚を失っていたわけではない。実験の副作用であり、実験の成果でもあるそれは進行性だった。
 初めに痛覚。一定以上の刺激を何も感じなくなった。
 次に触覚。何をしていても、目視しない限りは何も分からない。
 次に温度感覚や味覚。
 それらが代償だとでも言うように、トルテシアのオーラ量は底上げされていった。
 そして、次は。

「トルテは、記憶障害が始まってる」
「記憶障害……」
「あの施設に来る前のことはまだ覚えてるみたいだけど、それ以降のことはかなり忘れてるよ。ずっと顔を合わせてる僕のことは覚えてるけどさ」
「トルテは自覚してる?」
「うん。脱走するの急いでた理由もそれだと思う。トルテが探したい友達は、施設に来る前の人だからまだ覚えてるけど、のんびりしていると忘れるからさ。……だからシャルナークたちに会ってたとしても、トルテは覚えてないんだと思う。もう、忘れたことも分からないんだ」

 研究員が新たな被験体を求めた理由も、おそらくそこにあるのだろう。視覚や聴覚にまで異常をきたして動けなくなれば、トルテシアは完全に用済みだ。

「そういう理由があるから……その、トルテが薄情だとか、わざと知らん振りしてるとか、そういう風には思わないで欲しい」
「蜘蛛に言うことじゃないね」
「僕もそう思う。でも、トルテを助けるくらいには蜘蛛にも情があるんだろ」
「……」

 シャルナークが複雑な表情を浮かべる。アドルファスの言葉を否定も肯定もせず、深いため息とともに頭をかいていた。

「……何かきっかけでもあれば、思い出してくれるかなあ」
「流星街に行ってみる?」
「いいかもね」

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