雲に還りて、


→舟追佳駆(フナオイ カケル)




 わたしは、どこにでもいる普通の個性持ち高校生だ。
 個性のはじまりは中国軽慶市、"発光する赤子"が云云かんぬん。今となっては人口の八割が個性を持っているので、やはりわたしはどこにでもいる普通の高校生なのだが――ほんの少しだけ、他と違うところがある。というのも、幼い頃から思い出があったのだ。
 肉料理が好きで、教えられてもないレシピを知っていた。存在しない材料があったので、両親は創作料理(ままごと)だと思ったらしいが、わたしにとっては思い出だった。それがどんな形で、どんな香りで、どんな味なのかを覚えていた。
 覚えていることは他にもある。名前や人や空の旅や、大きな化け物――龍のこと。朧気ではあるけれど、これは自分の出来事だなと断言できる程度には覚えている。ありていに言ってしまえば、前世の記憶というやつだ。
 そんな、肉料理を愛するわたしの個性は"龍"である。ただし、大衆が想像するような龍の姿ではない。龍、と言われて大抵の人は日本昔話に登場するような蛇の上位互換を想像するだろう。実際、医者や両親もわたしの個性の判断には困ったようだった。わたしが幼いながら「龍だ」と言い張っても、頷いてくれなかった。
 頭には立羽(たっぱ)があって、背中には細長い三対の羽が伸び、尻尾はないけれど、背中を中心に皮膚が硬い。最初、蛾だと言われていたらしい。十中八九、立羽が触覚ぽいせいである。羽が三対生えそろった四歳のころ、必死で「りゅうだよ! ガじゃない! これはりゅうなの!」と言い張った覚えがある。
 わたしがわたしの個性を龍だと判断できたのは、偏に思い出のお陰だった。思い出の中で、わたしたちは龍を殺して解体して肉や油を売り、料理して食べる。そういう職業だった。わたしの個性は、龍を殺してきた業なのだろうと思っている。
 ところで、個性というのは、日常生活で役に立つものだと得をした気分になるものだ。例えば、鱗があり衝撃に強い父はヒーローショーのプロ怪物役でよくボコボコにされているし、ちょっと浮遊できる母はお気に入りの靴を水たまりで濡らすことはない。異形型ではない母が日常生活で個性を使うのはギリギリだけれど。幼馴染はどこにでも強力にくっつくゴムボールのようなものを活用して、よく壁を上っていた。
 対してわたしは、個性関係で困ることが多い。空が飛べるのでそれでトントンと言ったところだが、着られる洋服が少ないということはともかく、歩くのが遅く走ることがほとんど出来ないということは本当に困る。
 寝坊してしまった朝、母は、時計を見て笑顔で頷いた。

「遅刻確定ね。仕方ないわね」
「そもそもお母さんが寝坊するからぁ」
「人のせいにしない! ほらおにぎり持って。行ってらっしゃい」

 強引に送り出される。
 遅れるくらいならいっそ休みたいが、サボる度胸もない。今から家を出て、学校に着くのは一時間目が終わったころだろう。中途半端に距離のある学校にしてしまったせいでもあるが、一番近い雄英高校に入学するなんて頭も実力も志もなかった。
 
「しゃーない、飛んでいくか」

 羽を広げてそのまま浮遊する。あまり高度飛行すると目的地を見失うので、地上を目視できるが地上からは見つかりにくい高さまで上がった。
 SHRまであと十分。高校まで歩きと電車で一時間ちょっと。直線距離を最速で飛べば数分で着く。
 
「見つかりませんように」

 ヒーロー免許がない者の個性行使は、基本的に私有地に限られる。人様に迷惑をかけないものやささいなことでは見つかっても大して咎められないが、良いか悪いかで言えば悪い。してはいけないことなのである。わたしは異形型なこともあり、その場を浮遊することは大目に見てもらえるけれど、高高度飛行は見つかると怒られる。実際、何度か空中警邏のヒーローに見つかって叱られた。
 いやでも仕方なくない? と、ほどほどの速度で飛行しながら考える。龍が地上を歩いているほうがイレギュラーだろう。龍は空に生きるものだ。

「オロチ捕りも、空に生きるものだもんなあ。今はただの高校生だけど」

 時折羽ばたいてスピードを上げ、腕時計を気にしつつ学校上空に到着する。校舎の裏手になる位置目指して降下した。



「……飛んでいるな」
「空を自由に飛ぶ個性って、なんだかんだ少ないよね」

 飯田と緑谷が話している声が聞こえ、麗日は女子の輪から外れた。

「どしたん? 何かヒーロー情報?」
「ううん、ヒーローじゃないんだけど、今なんかバズってる画像があって」

 緑谷が言いながら、自身の携帯を見せてくれた。ヒーロー情報収集に余念のない彼は、ほぼ休み時間毎に携帯で情報をチェックしている。今回も、その情報収集で引っかかったものだろう。麗日の行動に気付いた蛙水や葉隠とも一緒になって、緑谷の携帯を見る。
 空を映した画像が、徐々にズームして三枚あった。中心に小さく影が写っているもの、はっきり人だとわかるもの、服装まで分かるものの三枚だ。ズームしても画像が荒れていないので、良いカメラで撮影したのだろう。携帯のカメラ機能ではなさそうだ。
 六枚の羽を伸ばした学生が空を飛んでいる画像だった。制服から個人の特定にも至ってしまいそうである。はためくスカートの下にはいた短パンまで丸見えだ。鞄を背負っているらしい学生は、撮られていることなど当然気付いた様子もなく前方を見て飛んでいる。
 麗日はまじまじと見入った。鳥の羽ではない。雰囲気はどちらかというとコウモリのような、少なくとも羽毛ではなかった。細長い羽は三対六枚あり、ピンと伸ばされている。頭部には、髪ではなさそうな何かが見える。芦戸のような触覚だろうか。
 見入る麗日をよそに、葉隠がひゃあと声を上げる。

「飛んでる! 楽しそー!」
「ケロ、一枚目の写真から推測するに相当な高度よ。寒そうだけれど、平気なのね」
「見たところただの学生だから、画像はすぐ削除されると思う」

 緑谷が言い、携帯を仕舞おうとした腕を麗日がつかむ。「ウオア!」と叫ばれ椅子を蹴り立ち上がって距離を取ろうとされたが謝らなかった。

「デクくん、この画像送ってくれん?」

 羽を広げて、誰かが空を飛んでいるだけの画像。自由を体現しているようで、心惹かれたのである。
 緑谷が言うように、飛行系個性は決して多くない。いないわけではないが、皆個性があれど人間だから、地に足がついているほうが圧倒的に多いのだ。オールマイトも空を飛ぶが、あれは飛行ではなく脚力での跳躍にすぎない。
 
「URLでもいいし、スクショでもいいから。わたし、この画像欲しい」
「え、え、いいよ、そのくらい。すぐ送るね」
「ありがと!」
「麗日くんも、浮遊できるという意味では似た面のある個性だから、気になったのか?」
「うん、そんな感じ」

 飯田の冷静な言葉に、斜めに頷く。残念ながら、そう真面目な理由からではない。
 空を自由に飛んでいる。強烈憧憬だ。まるで地上のしがらみをものともしないような姿は、悩みごとの多い年齢には鮮烈だった。
 どこかの学生であることしか分からない彼女は、空を飛びながらなにを思っているのだろう。高い所から見る景色は、どんな風だろう。地上など小さくちっぽけに見えるのだろうな、と。麗日は緑谷から送ってもらったスクリーンショットを熱心に見た。
 不意に、耳元で声がした。

「なんだ、カケルじゃん」

 面白くなさそうに峰田が言う。麗日は真横にいた峰田を押しやって常識的な距離をとった。せっかくの集中を吹き飛ばされ、反省の色が見えない峰田を睨む。
 緑谷が峰田に問いかける。

「カケルって?」
「その画像だよ。佳駆、舟追佳駆。おいらの幼馴染」
「え!?!?」

 麗日は、問いかけた緑谷よりも前のめりに反応する。世間の狭さに驚くというよりは、性欲の権化なクラスメイトが、なにか神聖なものと親しいということが信じられなかった。

「ほんまに? 峰田くんの幼馴染? デクくんと爆豪くんみたいな?」
「こんな珍しい個性、見間違えねーよ。緑谷と爆豪みたく不仲じゃないぜ。きょうだいみたいなもんかな。それほど近所に住んでるわけじゃないけど、親が仲良くてさぁ」
「何々、峰田の幼馴染?」
「どれ?」

 上鳴と瀬呂が話に加わる。呆然とする麗日にかわって緑谷が携帯で画像を見せた。「女の子じゃん」「もっとアップないの」と二人が色めき立った。峰田は女の子の幼馴染というのにさらりとしていて――きょうだいというほどなのだから意識していないのだろう――上鳴と瀬呂の問いに軽い調子で答えていた。

「個性は"龍"、そうは見えないけど。歩くのが苦手で基本的に浮いてる」
「龍の個性とかカッケー! 男のロマンじゃん」
「学校の体育とか大変そうだったぞ。浮くのも個性だから、そういうの、出来ないだろ。持久走の時期なんて悲愴だったなあ」
「それは……きついな……。つか、女の子の幼馴染なんて漫画みたいじゃん。なんかないの、イベントとか」
「ナイナイ。おいら、最初は佳駆を男だと思ってたから余計に。まー可愛いっちゃ可愛いかもしれないけど、バレンタインとかクリスマスとかの気遣いもない。あれじゃモテないなぁ」
「現実は世知辛ぇよなー。でもさ、でもさ、一応さ? 紹介とかしてくんね?」
「駄目!」

 峰田が何か言う前に、麗日がストップをかけた。だって、駄目だろう。自由に飛んでいる龍を、色恋事に巻き込むのは駄目だろう。そんな簡単にお近づきになっていいものではない、気がする。麗日の勝手な理想だが、彼女には変な――クラスメイトを変だと表現することは置いておく――ことに関わらせたくはない。なんだか駄目な気がする。
 部外者である麗日が強く却下したことで、怪訝な視線が集まる。麗日は心境をうまく表現できず「あ、う、だって」と頭をかいた。じい、と訝し気な視線はやまず、苦し紛れで峰田にパスした。

「駄目だよ、ね、峰田くん!」
「おいら的にはどっちでも」
「駄目だよね」
「……駄目かもしれないな?」
「だよね」

 残念そうな声をもらす上鳴と瀬呂をよそに、麗日は携帯を握りしめた。もう一度画像を表示させ、じっと見つめる。
 峰田の幼馴染というのだから、おそらく高校生だろう。どこの高校だろうか。龍という個性はどこから決められたのだろうか。ヒーローには興味があるだろうか。画像が出回ってしまっていることを、彼女は知っているのだろうか。スカートじゃなくていっそズボン制服のほうがいいのではないか。普段から飛んで通学しているのだろうか。
 ――会ってみたいな。
 上鳴と瀬呂と同じように、自分も興味津々じゃないか。それが少しだけ悔しかったが、会いたいという素直な気持ちは消えなかった。
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