残高:無制限


佳乃 


 世界有数の富豪として知られる神戸(かんべ)家の長女/神戸佳乃、それがわたしである。
 幼い頃から留学し、海外を転々として見聞を積む中、同じく海外に出ていた兄の神戸大助が帰国するというのでわたしも戻ることにした。
 兄より少し遅れて帰国し、驚いたのは、兄に――本人は認めないだろうけど――友人が出来ていたことである。兄は頭脳明晰、容姿端麗、運動神経抜群の非の打ち所のない素晴らしい人間であるが、いかんせん人間との関係構築を不得手としている。不要だと思っている、とも言える。実際、兄はひとりで何でもできてしまう。AI執事のヒュスクの力も大きいが、それを使いこなすのは兄なのだ。
 そんな兄の友人、加藤春。職場繋がりだ。彼は、良くも悪くも裏表なく、人情味に溢れ、澄ました兄に容赦ないツッコミを入れられる稀有な人間だった。
 わたしは彼とすぐ打ち解けた。人見知りしないらしい彼の気さくな態度に、ついこちらもガードを緩めてしまうのだ。不思議な魅力のある彼のことをわたしも友人だと思っていて、どのくらい仲がいいかと言うと、彼の昼休憩時間に一緒にファストフードを食べるくらいには。

「どうです、兄は」
「佳乃ちゃんはいつもそれだな……」

 加藤さんは鬱陶しそうだった。わたしは申し訳ないと思いながらも、しかし何か変化があれば聞きたいので、質問の撤回はしなかった。

「どうもこうもいつも通り」
「女性の影は?」
「ない。一緒に住んでるんでしょ」
「分かりません。色恋に関して、兄はそういった気配を感じさせたことがないのですから」
「直接聞くとか」
「出来ません。過干渉は嫌われます」
「いっそ言ったら? 好きなんだけどって」
「言っ……えるわけないでしょう、妹が実の兄に、惚れているだなんて」

 わたしはポテトを頬張った。加藤さんにはつるっとカミングアウトしてしまったが、わたしは兄がそういう意味で好きだ。血の繋がった肉親であると同時、恋慕う男なのである。
 わたしが海外に出ていたのも、実はこれに起因する。常に顔を合わせて<妹>という認識が定着するのを防ぎたかったからだ。兄も日本を出ていたのであまり意味はなかったかもしれないが。

「案外いい感じかもよ。あいつ、佳乃ちゃんにすげー優しいじゃん」

 加藤さんは肘を付きながら、心底面倒くさそうに言う。そんな態度を取らせていることは申し訳ないが、わたしの唯一の恋愛相談相手なのだ。兄のことをなんだかんだと言ったが、わたしも友人は少ない。数少ない親しい友人は軒並み日本国外だ。

「確かに優しいです。しかし、それは妹として。勘違いしてはなりません」
「好きって言われて、悪い気はしないんじゃない」
「家族愛としてはそうでしょう。わたしは大助様に愛されていることを自覚しています。ですが、それが家族愛におさまらないとしたら話は別です。絶縁でもされたらわたしは生きていけません」

 想像しただけで眠れない。「気持ち悪い」「お前などもう見たくない」と言われてしまったら。そうなるくらいなら、わたしは、決して、決して、告白などしない。

「んー……あいつは日本を代表する富豪の御曹司なわけじゃん。引く手数多じゃん。遠くない内に結婚する可能性があるじゃん。どうすんの」
「わたしより勉学に優れ、わたしより世界を知り、わたしよりお料理もお裁縫もできて、わたしより淑女であるかたしか認めません」
「結婚そのものは反対しないわけ?」

 加藤さんは意外そうだった。
 わたしは兄が好きで、兄の幸せを願っている。だから、兄がこれと決めた人がいるのならば無闇に反対するつもりはない。じっくり見極めはしたいけれど、兄の選んだ女性を認めないということは間接的に兄への失礼にあたる。このあたりの加減は難しい。そんな日が来なければ、杞憂に終わるのだが。

「夫婦は別れる可能性がありますが、きょうだいは永遠にきょうだいですので」
「うわあ」
「わたしは永遠に大助様の妹ですので」
「うわあ。自分があいつと結婚したいとかじゃないんだ」
「それが許される時代ではありませんから」
「許されたらそうなりたい?」
「それは、はい。わたしは、大助様のことが本当に好きで、触れたいし触れてほしいです」
「ン……そう……」
「わたしの<好き>とは、そういう意味なので」

 家族愛ではおさまらない。わたしは男として兄が好きなのだ――と、わたしは項垂れた。 急に消沈したわたしに、加藤さんは「おーどうした」と焦りもない。兄関連で情緒が安定していないのはいつものことだ。

「……わたしは、妹の立場に甘んじてはいますが、女として見てほしい気持ちももちろんあって」
「留学するくらいだもんな」
「はい。だから、大助様とお呼びしたいのですけれど、大助様は許して下さらないのです。『兄と呼べ』といつも」
「そう言えば、あいつがいるときは『お兄様』って呼んでるな」
「良いんですよ、良いんです。大助様を『お兄様』と呼ぶのはわたしの特権です。しかしですよ、それだと大助様にとってわたしは永遠に妹のまま」
「複雑なんだ」
「はい」

 深くため息をついて、炭酸の弱くなったジンジャーエールを飲む。この悩みに答えを出すには、わたしが腹を括って兄に暴露するしかないのだろうが、リスクが大きすぎてとても行動には移せない。
 女として見られなくてもいいが、妹のですらなくなってしまったら。わたしは消えてなくなりたくなる。
 兄から贈られた腕時計を眺める。ジョージダニエルのもので、成人した際に当時の家に届いたものだ。

「……今回もお付き合いいただいてありがとうございました。加藤さん、そろそろお時間でしょう」
「ああ、もうか。すっきりした?」
「女性の影が見えたら早急にご報告を」
「はいはい」

 トレイを持って席を立ち、片付けをして店を出る。
 加藤さんは本当に優しいひとで、とりとめのないわたしの恋愛相談に相槌を打っては「またな」と手を振ってくれる。面倒くさそうなのは隠さないけれど、十分だ。鈴江さんに相談しないのかと問われたことがあるが、鈴江さんは家族の枠なので相談しにくい。兄のことをとても慕っているので、さらに相談しにくい。四親等以降の傍系血族とは結婚可能なのである。つまりわたしは鈴江さんのことを警戒している――それでも兄が認めれば、わたしは。
 加藤さんと別れて、パーキングに停めた車に乗り込む。これは<日本用>にと、帰国したわたしに兄が用意していたものだ。マセラティだが。
 ひとに話すと、わたしは兄が好きなのだと一層実感する。複雑な心境にはなるけれど、現状、最も兄に近い存在がわたしであるという事実に安心もするのだ。

「ヒュスク、家へ帰るわ。ナビを」



「毎度思うんだけど、電話してくるタイミング何なの。盗撮でもしてる?」
『佳乃がヒュスクでナビを起動すると俺に通知が来る』
「佳乃ちゃん知ってんの」
『言っていないが』
「佳乃ちゃん成人してるだろ。家族の過保護で収まるか?」
『それ以外に何がある。佳乃は俺より日本に馴染みが無いんだ。それより、どうなんだ。余計なことはしていないな?』
「いっつもそれ聞いてくるけど、余計なことってなんだよ。ただの雑談だよ」
『大学院の都合をつけて、加藤の隙間時間を聞いて会いに行っている。家族として、確認するのは当然だ』
「いや……どうかな……やりすぎじゃ……つか佳乃ちゃんに聞けばいいだろ」
『……佳乃の行動にいちいちケチをつけているように見えるだろう』
「やりすぎてる自覚はあんのか。お前が気に入らないのは何なの? <俺>と会うこと? 男と会うこと?」
『両方だ』
「佳乃ちゃんに彼氏でも出来たらどうするんだ」
『加藤貴様……ヒュスク、』
「おいおいおい待て待て何するつもりだ。俺はそういうんじゃねーよ」
『佳乃は嫁にやらん』
「あっそう。もうお前らで結婚したら?」
『馬鹿を言うな』
「へえ……」
『夫婦は別れる可能性があるが、きょうだいは永遠にきょうだいだ』
「お前ら、俺挟まないで直接話したほうが良いよ」


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