きみと素敵な一日を3


***

 普段より早い時間に登校し、教室に御影くんが来たのを合図に席を立つ。目指すは隣のクラス、ただし璃乃ではなく凪くんだ。
 別のクラスに入るのは褒められた行動ではないため、小声で申し訳程度に「失礼します」と言いながらこっそり侵入する。
 勢いで行った昨日とは違い、今日はいくらか冷静だ。凪くんの席に行くのには相当な覚悟を必要としたが、同時に、昨日あれだけのことをやったのだからと度胸が付いてもいた。
 凪くんはごそごそ鞄を片付けていた。わたしは出来うる限り気配を消して、さりげなく凪くんの席に行く。目立たないよう、邪魔にならないようにしゃがんだ。

「ナぎくん、おはよう」

 声が裏返ってしにたくなった。
 凪くんはいくらか驚いたようだった。

「ほんとに来た……」
「来たよ。んーと……凪くんって身長いくつ?」
「一九〇」
「そんなに大きいんだ! 自販機の一番下の列見える?」
「高身長を何だと思ってるの」
「未知の視界だから」

 よし、会話に成功。初日にしては頑張ったのではないだろうか。
 わたしはしゃがみこんだままで敬礼のマネをした。

「お邪魔しました、撤退します。良い一日をお過ごしください」
「うん……?」

 達成感と満足感いっぱいに教室を出る。朝から凪くんと話せた。凪くんに存在を認識してもらえた。昨日の告白も覚えてくれていた。今日は最高の一日になりそうだ。
 自分の教室に入る直前、後ろから力強く腕をつかまれる。何事と振り向くと、興奮した笑顔の璃乃がいた。

「世治……なに……! 昨日の昼休み、あのあと、凪くんと、何?!」
「声が大きい声が」
「世治!」
「どうどう」

 叫び出しそうな璃乃を落ち着け、廊下の隅で経緯を説明する。璃乃はきゃあきゃあ合いの手を入れながら聞き、恋バナの興奮で忙しそうだった。
 話し終えると、璃乃が拍手をしながら笑う。

「そういえば世治って、アクセルの踏み込みエグいタイプだったね」
「頑張る」
「応援してるよ」
「あと御影くんとも話した」
「えっ?! あそっか、凪くんのお母さんだもんね。いいなあ」
「璃乃も告白してくれば?」
「あたしは徐行運転したいのよ。中古の軽自動車なのよ。世治のランボルギーニとは違うのよ」
「ランボルギーニって蝉みたいだよね」
「オーナーに殺されたいの?」

 璃乃がエアーナイフで脇腹を刺してくる。わたしは重傷をものともしなかった。なぜなら凪くんパワーがみなぎっているからだ。今なら空だって飛べる気がしている。 

***

 二日目は血液型を聞いた。O型だった。
 三日目は好きな科目を聞いた。好きではないが歴史が得意らしかった。
 四日目は「おはよ」と挨拶が返ってきた。嬉しすぎて質問を忘れた。
 五日目は凪くんから質問をされた。

「なんでこんなメンドイことすんの?」

 朝の挨拶後、好きな食べ物を聞く前に、凪くんに問われる。凪くんは片付けた机の上で腕を枕に寝る体勢だ。しゃがんでいるわたしと、自然と目線が近くなる。
 わたしは退いてしまいそうなところ、凪くんの机の脚を片手で掴むことで自分を繋いだ。逃げたらあとで悔いるに決まっている。

「メンドイ? 何が?」
「コレが。毎朝わざわざ俺んとこ来てさ」
「わたしは凪くんと話せてウルトラハッピーだよ」
「顔あっか……。緊張してんのわかるし、そこまでして俺と話したいわけ? 恋愛なんて面倒くさいでしょ。ここまでするのが純粋に疑問」

 自分のことが好きな女子に投げかける質問にしては酷なものだ。邪険にこそされていないが、凪くんにとってこの朝のやり取りは<メンドイ>に分類されているのだろう。面倒くさいからやめろ、ではなく、面倒くさいことをする疑問になるあたり、凪くんはけっこう優しい気がした。
 わたしは机の足を握る。視線を落とすと凪くんの足元が目に入った。靴が大きい。何センチなのだろう。

「凪くんのこと、す、好きだから、あらゆる手間が些事なの」
「俺の何がそんなにいいわけ?」
「続きはウェブで……」
「QRコードある?」

 凪くんがため息をついた。

「俺が、きみを好きになるとも限らないじゃん」
「でもあのとき話しかけなければ、凪くんから『おはよ』って言われる今日はなかったよ」

 即答した。話しかけても返事をもらえなかったかもしれない。しかし、それすら、話しかけないと分からなかった結末だ。
 凪くんは目を瞬いている。

「わたしのことを好きになってくれなくても、わたしの凪くん口説き落としチャレンジは無かったことにならないし、友達として話していけるかもしれないし。凪くんからすれば滑稽で迷惑かもしれないけど、突き放されない限りはこうやって来るつもり」
「……恋愛ってよく分かんないな」
「そう、意味分かんないよね。わたしも分かんない。『いつか凪くんに彼女ができたら、当たって砕けなかったことを後悔する』って思っただけでここまで出来てる」

 ひとつ深呼吸をして立ち上がる。朝のSHRまでの時間というのは短い、そろそろ教室に戻らなければ。
 今日は凪くんから話題を振ってくれた上、いつもより声を聞けた。話題の内容はともかく、最高の成果だ。

「では、撤退します。良い一日をお過ごしください」
「いつもそれだね」

 頬杖をついた凪くんを見下ろして、ちゃちな敬礼をする。凪くんはどこか呆れながら、力なくわたしの敬礼を真似た。
 心臓を吐くかと思った。

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