きみと素敵な一日を4


***

「凪くん、おはよう」
「おはよ」

 しゃがみこんだ低い位置で笑う。訂正、にやける。挨拶を返されるだけでわたしはこんなにも嬉しいのだ。

「今日の質問は……そうだなあ、犬派か猫派か」
「俺、動物ならナマケモノがいい。俺もああなりたい」

 いつも出来るだけ端的に答えられそうな質問を考えているのだが、イエス/ノーでもなければ提示した選択肢でもない答えが返ってきた。愛玩対象としての動物を聞いたつもりだったが、凪くんがナマケモノになりたいと言うのならば今朝の話題はナマケモノだ。
 わたしは口元を手で隠し、バレないように口元を緩めた。

「ナマケモノって動きすぎると自分の熱で死んじゃうんだってね」
「俺もそんなだったらサッカーしなくていいのに」
「食事も、葉っぱを一日八グラム」
「最高じゃん」
「凪くんってほんと無気力に生きてるねえ」
「生存給与とかで生きていきたい」
「あーいいね。凪誠士、郎も絶滅危惧種だからね」

 何気なく名前を口にして<誠>あたりで我に返り、<郎>のときにはドラマーが大暴走していた。華麗な自滅に笑えてくる。
 凪くんは当然、わたしがフルネームを呼んだことを一切気にしていない。気づいていないのかもしれない。「絶滅危惧種かあ」と呟いて、上からわたしのつむじを押した。
 わたしのつむじを。

「?!」
「空山さんも絶滅危惧種だ」
「?!」
「絶滅危惧種は丁重に保護してほしい」
「?!」
「人語忘れちゃった?」

 つむじは押されるし名前も呼ばれる。
 わたしはしゃがみこんだまま倒れそうなのをなんとか尻もちでこらえ、つむじを両手で守った。凪くんはわたしのつむじを攻撃していた指先を引っ込め、頬杖をついている。
 じっと見下されているのにも耐えかねて、震える声で抗議した。

「ファンサはほどほどになさって……」
「俺アイドルなの?」
「事前に宣言していただいてもよろしくて?」
「空山事務所厳しいなあ」

 つむじに残る凪くんの指の感触だけでもう駆け出しそうだった。つむじが羨ましい。いや、突然手にでも触れられたら叫び出す自信があるのでつむじで良かったのかもしれない。
 わたしは左手でつむじを守ったまま、右手をついて立ち上がる。よろよろと敬礼をした。

「……撤退します。良い一日をお過ごしください」
「はい、良い一日を」

 ドア口に激突しながら這這の体で自教室に戻った。


「凪、昼行くぞ」
「んー」
「今朝、空山さんに何かした? 茹だってたけど」
「ファンサ」
「ファンサ……?」


 超進学校の私立白宝高校には、いわゆる上流階級の生徒が多い。官僚の子息、元華族の令嬢、どこそこ会社やどこそこ病院の跡取り。最たるところは、御影コーポレーション御曹司の御影くんだろう。以前よりは家柄を重視しなくなっているので試験にさえ合格できれば入学できるが、私立の中でも高い学費がかかるので、自然と家柄は偏ってくる。
 そんな学校なため、学内設備も整っている。部活動だと、ゴルフ部と吹奏楽部は強豪として名高く予算も大きい。部活関係なく生徒が設備投資の恩恵を受けられるのは、広くきれいで美味しい食堂だ。
 メニューは日替わりで、金曜日に翌週のメニューが掲示される。わたしは普段お弁当族だが、気になるメニューがあれば食堂にいく。
 今日は、わたしイチオシデザートのチョコババロアが出るということで、同じくチョコババロア推しの璃乃と一緒に食堂を利用していた。璃乃から凪くん口説き落としチャレンジの進捗も求められていたので、丁度いい機会だった。
 わたしは豆腐ハンバーグセット、璃乃は酢豚セットを完食する。チョコババロアを一口食べた璃乃が、表情を笑顔からにやけにシフトさせた。

「さて……毎朝うちのクラスに来てるのは知ってるけど、手応えのほどは?」

 わたしはガッツポーズを作った。

「『空山さん』って呼んでもらえた」
「おお!」
「会話が成立するし、つむじを押された」
「スキンシップ?! すごいじゃん!」
「つむじが羨ましい」
「凪くんの手を白刃取りしたら?」
「しんじゃう」

 手を白刃取りということは、わたしから手に触れるということだ。端的に言って死。

「白刃取りは無理だけど。短い時間とはいえ毎日話してるから、そこそこ情報は集まったかな」
「好きなタイプは?」

 璃乃に何気なく問われて、わたしは静止した。凪くんの恋愛観に関する質問をしたことがなかった。
 恋愛を<意味の分からない面倒くさいもの>と認識していることを知っているので、恋愛について語っても無意味だと思っている節は確かにあるのだが、好みのタイプくらい聞いてみればよかった。「なにそれメンドイ」と返答されそうだが、長髪か短髪かくらいの好みはあるだろう。
 わたしが黙ると、璃乃は信じられないといった顔をする。

「聞いてないの?」
「クッ」
「告白してるのに相手の好みを探らないとかある……?」
「半分意図的だけど、正直忘れてた」
「明日の朝はそれを聞くがよろし」
「心得た」
「それを聞かないで、凪くんに何を聞いてるの?」
「ペルセウス座流星群派か、ふたご座流星群派か、とか。今朝は犬派か猫派か聞いたら、ナマケモノになりたいって」
「流星群の話は、天体観測部員以外に聞くのやめておいたほうがいいよ。ナマケモノは分かる、サモエドみたいな見た目してるけど」
「そんなこと言われたら、我が家のサモエドくんが凪くんに見えてくるじゃん!」
「飼ってるの分かってて言ったけどそれはないよ」

 大きくて白くてふわふわしているところは確かに似ているかもしれない。わたしはこれから、先輩(※サモエド)を見て触れ合うたびに凪くんを感じてどぎまぎする羽目になるのだろうか。逆に、凪くんをサモエドととらえることでもっと打ち解けた関係に――なれるなら苦労しない。
 そもそも打ち解けるとはどうすればいいのだろうか。挨拶は出来る、雑談も出来る。その次はどうするのが良いだろう。
 チョコババロアの最後の欠片を口に押し込む。
 一口分早く食べ終わった璃乃が言う。

「ま、でも毎朝の逢引は良い牽制になってて良いんじゃない」
「逢引は愛し合う男女の密会だから、わたしのはどちらかというと押しかけ女房」
「細かいなあ」
「牽制ってなに?」
「『世治ちゃんと凪くんって付き合ってるの?』ってすごく聞かれる。本人には聞きにくいからわたしに聞いてくるんだと思うけど」
「つっアッつきっ……あってるように見える……?」
「そりゃそうでしょ。公開告白知ってる子もいるから、それでオーケーもらったのかって聞かれたりもする」
「……なんて答えてるの」
「普通に『いま口説いてるところだから応援してあげて』って」
「手強い別嬪さんでな……」
「高嶺の花を狙いおって……」

 他の、いるであろう凪くん狙いの女子を牽制する意図はなかったが、これはこれで良しである。今はわたしのターンなのだ。このターンは、凪くんからキッパリ振られるかわたしの心が折れるまで続く。
 空になった皿と腕時計を確認し食堂を出ようかと腰を浮かせたところで、璃乃の視線が宙を見ていることに気付いた。どうしたの、と声を出す前につむじへの圧力を感じて椅子に逆戻りする。

「はい、ファンサ」

 淡々とした声が振ってくる。つむじを守りながら振り返って見上げると、わたしのつむじを押さえた体勢の凪くんが立っていた。立っている凪くんにここまで接近したことが無い上にわたしが座っているせいで、長身に拍車がかかってもはや壁だった。
 壁くんは無感情にそのまま通り過ぎる。隣には御影くんがおり、「凪、通り魔はやめてあげろ」「玲王が『ファンサって何』って言うから」とやり取りをしながら去っていく。御影くんは一度こちらを見ると口パクで「頑張れ」と言ってくれた。
 凪くんと御影くんを見送り、璃乃と顔を見合わせる。

「ファンサされた……」
「近くで御影くんを見られてラッキー!」
「そこ?」
「失礼な。人間の顔ってそこまで赤くなるんだなーって人体への興味も深めてますわよ」

 璃乃がにやにや顔のまま、トレイを持って席を立つ。わたしはつむじを二度撫でてから続いた。

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