彼は男の子です




 乱と万屋街でいちごパフェを食べた帰り、転移ゲートの座標ミスに見舞われた。万屋街のゲートから本丸へ到着するはずが、到着したのは雑多な街中。そびえ立つビルや行き交う人々を見ても、とても政府施設内ではない。
 なるほど現世だな、と結論づけたのは早かった。しかし現世にしてもどこか空気に違和感を感じる。審神者に就任してからというもの現世の街中に出る機会は格段に減ったが皆無ではなく、実家に帰ることもある。現世というものを忘れたわけではないのに、この違和感。 あ、と道路を走る車を見て気がついた。気づくべき手がかりは他にも山程あったのだが、転移ミスで少なからず動揺している頭では、車という物理的にも大きなものを見るまで手がかりを拾えなかったのだ。

「乱、過去だ」
「平成か令和っぽいね?」
「生身の人間の時間軸縦移動って禁忌じゃん」
「うわあ」

 始末書を思って頭を抱えつつ、通りにあるパン屋の軒下に移動する。いい香りだが、この時代の紙幣を持っていない。
 幸い審神者端末が生きているので、こんのすけと政府の本丸担当者にメッセージを入れる。遡行軍の脅威がないと思われるのでのんびり折り返しの電話を待つ間、平成や令和にも遠征経験のある乱に問う。

「帰城用ゲート喚び出せそう?」
「んーなんか霊力が通ってる感じがしない」
「連絡待つしかないね。場所も……うーんバグってる」
「認識阻害術式してないし、私服で良かった。戦装束だと目立っちゃうもんね」
「あ、本体は?」
「霊体化したよ。あと、時間遡っちゃったけど季節が近くて良かったね」
「さすがにちょっと寒いけどね」

 乱は本日、ベージュをベースとした格子柄の激烈かわいいワンピースをお召しになっている。わたしは同じ柄だが全体的に落ち着いたデザインでロング丈のワンピース。万屋街という屋内だか屋外だか分らない施設に出かけるのにわざわざ分厚い上着は羽織らないので、秋用ワンピースといえども冬に近い空気は肌寒かった。
 ボクがあっためてあげる、とハグしてくる乱にデレデレしていると、不意に男性がわたしたちの前に立った。通りすがりに立ち止まったのではなく、どこからかわたしたちを目指してやってきたらしかった。
 乱がさりげなくわたしの前に立つ。
 よくよく見ると男性より青年という風貌の男は、新刀剣男士と言われても納得しそうな外見をしていた。見目麗しいだけではなく、個性的という意味で。燭台切くらいありそうな高身長、襟足の長い金髪は青にグラデーションしており、首には青薔薇の刺青、目元には赤を引いている。うーん、太刀とみた。
 青年は乱を見下ろして口を開いた。

「――、―――」
「ん?」

 刀剣男士だと思って呑気に構えていたが、人間でこの目鼻立ちはどう考えても日本人ではない。そしてわたしは簡単な英語が聞き取れる程度の語学力しかない。
 乱が困惑顔でわたしを見上げる。

「……ある、姉さん、何言ってるかわかる?」
「ちっとも」
「―――」

 青年も言語の壁に気付いたのだろう、顔をしかめた。しかしそれは一瞬で、上着のポケットを漁ると手のひらサイズの箱を取り出す。蓋を開けて、一対のイヤホンを出した。完全独立のそれを右耳に入れ、もう片方を乱に差し出す。左耳にいれるような仕草をした。
 乱と視線を合わせ、頷く。これがわたしに渡されたものならもう少し揉めただろう。
 乱がイヤホンを装着すると、青年が会話を再開する。

「――――」
「わ、すごい! 日本語で聞こえる」

 翻訳機らしい。この時代からあったのか。

「――――」
「へえ、そうなんだ。それでボクたちに何か用?」
「――、――――」
「……は?」

 スーパービューティー懐刀様が極低音の声を出す。明らかに青年への視線の温度が下がっているのに、それを向けられている青年はどこ吹く風だった。むしろ機嫌は良さそうに見える。
 わたしは乱の肩を叩いた。

「なんて言ってるの?」
「たちの悪いナンパだよ」
「ナンパぁ?!」
「――――」
「ぶっ殺すよ」

 審神者界隈は刀剣男士ガードがきついのでナンパの類とはほとんど縁がないのだが、ナンパの返答に「ぶっ殺す」が穏やかでないことは分かる。
 乱は現世へも一緒に行くことがあるし、政府施設へもよく同行を頼んでいる。人間の生活にはかなり理解があるほうだ。人間として目立たない身の振り方も出来る。転びそうな子どもがいたらさり気なくフォローする格好良さがある。明らかな人外ムーブをかまして「子どもの言うことは信じないさ」とざっくばらんに片付ける薬研とは違う。
 その乱がナンパに対して殺害予告。よほどのことを言われている。青年の視線からナンパ対象が乱であることは明らかだ。
 乱はイヤホンをむしりとった。

「話すことはないよ。さっさと消えて」

 懐刀様がイケメンをむき出しにしている。
 青年はそう言われても笑みを崩さない。突き返されたイヤホンを受け取ったものの弄んでおり、片付けるつもりはないらしい。メンタルタフなことだ。
 乱がこの世のすべてを狂わせるような可憐な刀剣男士であることはわたしも認めているが、それにしても妙な男を引っ掛けてしまったものだ。認識阻害術の必要性をこんな形で知ることになるとは。あれはどちらかというとドッペルゲンガー防止策という認識だった。
 乱がわたしの手を引く。ひとまず場所を変えようということらしい。異議はないので歩き出したものの、青年が付いてくる。

「乱、あのひと付いてくる」
「もう! なに! ボクの姉さんを悪く言うひとと話すことなんてないよ!」

 ははあ。乱目当ての青年は、連れであるわたしを貶めるようなことを言ったらしい。それは乱がキレるのも頷ける。
 しばらく歩いてカフェの軒先で立ち止まる。青年はまだ楽しげについてきていたし、なんなら人が増えていた。
 見知らぬ青年がひとり。赤っぽい癖毛で優しい顔つきだ。青薔薇青年の友人らしく、異国語でやりとりしている。
 そして青薔薇の青年がまた片方のイヤホンを乱に差し出し、増えた癖毛の青年が同じものをわたしに差し出した。よにんで会話のお誘いなのだろうが、乱が前に出てわたしへのイヤホンを阻む。

「駄目。口が悪いから姉さんに悪影響」

 青薔薇青年はわたしに一体どんな言葉をかけてここまで乱を怒らせたのか、逆に気になってくる。

「まあまあ乱、ちょっと話してみよう。分かってくれるでしょ」
「……そうは思わないけど」
「いつまでもついてこられたら困るし、ね」

 青年の言葉に興味があるとはいえ、真面目な理由もある。こんのすけや担当さんから連絡があったときに、注目されるのは避けたいからだ。翻訳機を持った状態で付きまとわれると非常に厄介である。座標バグでの転移位置から大きく移動するのも推奨されない。極短刀様の力で彼らを気絶させることも可能だが最終手段だ。
 穏便に説得してナンパを撃退しようという作戦を乱は渋々了承してくれた。
 イヤホンを装備して、青薔薇青年の言葉が理解できるものとして届く。

「せっかく俺の言葉を聞き取れるようにしてやったんだから、彼女の説得に力を貸してくれよ。俺はその子に用があるんだ」
「……乱、この翻訳機バグってない?」
「コイツさっきからずっとこんな感じ」

 尊大というか傲慢というか。どこかの国のたちの悪い王様というか。強い個性に慣れた審神者とはいえ刀剣男士はみんな優しいいいこばかりなので、この治安が悪い方向の個性は初めてだった。

「俺が声をかけてやってるんだ。喜んで同行すべきだろ。ああ、お前は呼んでない」
「姉さん、コイツ話通じないよ」
「ミヒャエル・カイザーだ。そういう気の強さ、ますますいいな」
「ボクはお前嫌い」

 乱に一刀両断されてもカイザーさんは笑っている。気の強さが好きだと言うなら、乱のこういう態度も気に入る一因なのだろう。
 乱の魅力が分かるなら握手でもしたいところだが、そもそもの勘違いを正せばナンパを切り抜けられる気がした。

「あの、彼は男の子です」
「Haha、クソ見え透いた嘘はよせ」
「ボク男の子だよ。一緒にお風呂入る?」
「熱烈だな。そういう愛の言葉も嫌いじゃないぜ」
「やっぱりこの翻訳機壊れてない?」

 穏やかな表情で黙っている癖毛の青年を見るも、「正常です」と淡々と返された。
 カイザーさんの口ぶりから性的嗜好はホモでなくヘテロなようなので、乱の性別を分かってくれれば引き下がるのではと思われる。しかし良識ある審神者として、我が愛する刀剣男士となんだか怪しいカイザーさんを風呂場に放り込むのは躊躇われる。
 乱が突然カイザーさんの腕を掴むと、自分の胸部に持っていった。

「ほら、男でしょ」
「でかいだけの乳はいらねぇよ」
「姉さん、もう駄目だよ。会話になってないよ」

 乱が、自分で掴んだカイザーさんの手をはたき落とす。
 わたしはにこやかな癖毛の青年を見た。

「あの、このひとどうにかしてくれませんか?」
「彼が女性を気に入るのは珍しいので見守っています」
「だからボクは男だってば」

 見守らないで止めてもらいたいのだが。
 もう何を言っても無駄な気がするが、愛刀への粘着を放置など出来るわけがない。しかしわたしは言いくるめスキルに自信がない。最終手段をとるしかないのか、と人目につかなそうな場所をさり気なく探していると、審神者端末に着信があった。こんのすけからだ。
 変なひとはいるが出ない選択肢もない。言葉により一層気をつけることにして、着信をとった。わたしだけ離れて応答すればいいといえばそうなのだが、審神者という立場上、特に本丸外で刀剣男士から離れるわけにはいかない。
 端末はもちろんわたしたちの時代仕様なので、こちらもあまり見られたくないが、スマートフォンが普及している時代なのでギリギリ誤魔化せそうなのが幸いだった。

【審神者様、ご無事でなによりです。確認に手間取り、ご連絡が遅れて申し訳ございません】
「いいよ。何か分かった?」
【そちらは西暦二〇十八年二月三日、場所は東京都××です。遡行軍の気配はなし。審神者様の霊力パスがきちんと繋がっておりますので観測と通信は可能ですが、パスが細く、帰城門の喚び出しが出来ないと思われます】
「ああ、乱がそんなことを言ってた。回収できそう?」
【それが現在、二〇一〇年代への転移座標設定が出来ない状況のようでして、緊急メンテナンスが行われています。他本丸からの遠征部隊も帰城不可のようですね】
「合流できないかな」
【距離的に難しいかと……。メンテナンスはニ時間ほどで完了見込みです。それまで待機をお願いできますか?】
「わかった。乱にも異常はないし、二時間観光でもしておくよ」
【座標付近にしてくださいね。あと、今回の縦時間軸移動は政府側の不手際なので、罰則は課されないということです】
「良かった!」

 こんのすけに無事を祈られつつ通信を終えて端末をバッグに仕舞うと、乱が笑顔で見上げてきた。「良かったね」と言う表情は柔らかい。わたし自身も気付いていなかった緊張が緩んだことを、乱は察知したのだ。素敵な愛刀の頭をなでる。
 それはそれとしてナンパ。
 二時間時間があるということは乱だけではなく、翻訳機を装着している彼らにも聞こえていただろう。案の定、カイザーさんの笑みは深い。

「遠回しなお誘いだな。さすがオクユカシイ日本人というべきか? 凡庸な姉もいい仕事をするじゃないか」
「誘ってない。ボクと姉さんのデートを邪魔すんな」

 乱がわたしの腕にくっつく。はいかわいい。
 しかし乱は何を思ったかハッと顔をあげると、わたしの腕にくっついたままでカイザーさんに笑顔を向けた。そんな可愛い顔をしたらカイザーさんがより面倒くさいことになるのでは。
 わたしの心配をよそに、乱は元のハイスペックの上に江派のレッスンで仕込まれたアイドル裸足のウインクを決めた。

「ボクたち、事情があってお金を持ってないんだ。この近くの素敵なカフェでご馳走してくれるなら、カイザーさんとお話するのも吝かじゃないけど?」
「やっと素直になったな。ネス、近くのカフェを調べろ」

 カイザーさんは、ネスという名前らしい癖毛青年に言う。どういう関係なのか謎だが、年も近そうに見えるのでなにかの先輩後輩だろうか。
 ネスさんは命じられて当然のようにスマホを操作している。ほどなくして画面をカイザーさんに見せ、カイザーさんが頷いた。行き先は決定したらしい。
 危ない橋を渡る乱をよしよししていると、カイザーさんが「ついて来い」と歩き出す。持ちかけたのはこちらな上、お金がなく不便なのは事実なので、乱と腕を組んで続いた。おかしな場所に連れ込まれそうになってもこちらにはウルトラスーパー頼りになる懐刀様がいるので、そこは心配していない。
 ネスさんとカイザーさんが向かった先は、わたしでも知っている超有名高級ホテルで、通されたのはその高層階ラウンジだった。
 彼らは一体何者なのだろう。

 

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