彼は男の子です3



 本日近侍の一期とともに戦績を確認していると、執務室に乱が顔を出した。

「ねえ、主さん。ちょっといい? 遠征のことなんだけど」
「んー?」

 乱が個刃端末で表示させたのは、来週の遠征予定だった。時代は二〇二一年、哨戒任務だ。

「カイザーさんとネスさんにお礼が出来ないかなって」
「ああ、なるほど」

 青薔薇の青年と物腰の柔らかかった青年の姿が蘇る。彼らのおかげで退屈せず、不自然なく紛れて過ごせたのは事実だ。出会ったのは二〇一八年、何か事故など起こっていなければ二〇二一年も健在だろう。
 乱はカイザーさんのわたしへの態度に思うところはあるようだが、世話になったことも認めている。とても律儀で男前なのだ。さすが乱藤四郎。
 聞いていた一期が首をひねる。

「主と乱が転移事故に遭ったときの?」
「うん」
「主に無礼を働き、乱を口説いたという?」
「あ、まあ、そうなんだけど、お茶をご馳走にもなったよ」

 一期は複雑そうな顔だったが、乱が続ける。

「歴史改変に当らない接触はセーフだから、お礼をするくらい出来るかなって」
「いいと思う。おかげで凍えずに済んだしね。違う時代の現金なんて、ただの万屋街帰りで持ってるわけないし」
「よし! なにかお礼を考えるよ」
「わたしも考えておく。わたしは行けないから、乱よろしくね」
「はーい」

 乱の遠征目的地はもちろん日本だがカイザーさんたちはドイツが拠点だ。日本に遠征して、お礼は送ることになるだろう。幸い所属チーム名を聞いているので、個人宅ではなくチームへ名指しで送ることはできる。
 乱とお礼の段取りをする。ここで何か用意するか、遠征先で調達するか。送料用に日本の紙幣も別途申請。後々政府から突っ込まれて面倒なことにならないようにという根回しは一期が買って出てくれた。
 そうして決まった返礼品は少々豪華な気もするが、乱藤四郎というスーパーウルトラキュートでクールな存在に目をつけた彼には相応しいだろう。


 カイザーとネスは、自分たち宛だと届いた荷物を検分する。十二インチの正方形、厚さは六インチほどだろうか。飾り気のないごくごく普通の段ボール箱に日本の伝票が貼られている。つたないアルファベットで書かれた宛名は確かに自分たちで、差出人は『Iwami Midare』となっていた。
 カイザーは、いつかの冬の日を思い出す。ブルーロックプロジェクトで来日したときのこと、日本で美しい少女と出会ったのだ。彼女は男だと言い張っていたので本当に少年なのかもしれないとは思ったが、同性婚が認められているドイツでは問題にならないので気にしなかった。カイザー自身は基本的にヘテロだが、偏見もないので男なら男でいいかくらいの感覚だった。性別など些事だと思うほど、あの少女だか少年だかは浮世離れしていて美しかった。
 ネスも覚えていたらしく、差出人を読み上げて「ああ」と声を上げる

「ミダレって、あのときの」
「そうらしいな」

 覚えてはいるが、贈り物をされるようなことした記憶はない。むしろ、ミダレもその姉も迷惑がっていたくらいだ。カフェ代は感謝されたものの。
 首を傾げながらネスがカッターで封を開ける。中には、さらに直方体の包みが二つ入っていた。それぞれ宛名が書いてある。
 包みの上には濃紺の封筒がひとつあった。青い封蝋がされており、蝋印は一輪の花。妙に縦に長い封筒を開けるとこれまた縦長の紙が出てくる。文字が書かれていたのでやっと手紙だと気付いたが、縦書きされた日本語はもちろん読めない。
 手紙は短い。試しにスマホの翻訳アプリを起動してカメラをかざしてみたが、手紙の文字を日本語だと認識しなかった。カイザーが思っている日本語とは少し形が違うように見えるので、カメラもそう判断したのかもしれない。

「花の香りがします」
「ああ、香水か? 洒落たことをするな」

 便箋に鼻を近づけると仄かに薔薇の香りがする。自分の入れ墨を意識されて悪い気はしなかった。
 手紙は後で日本人チームメイトに読ませるとして、包みの中は何だろうか。持ち上げてみると見た目よりは軽い印象を受ける。白くややザラついた上質な包装紙を破くと蓋付きの白い箱になり、開けてみれば緩衝材に守られたグラスがひとつ入っていた。
 淡いピンクのガラスに、繊細な彫りが入っている。ただの室内灯すら美しく通し、シンプルだがシャンデリアを小さくしたような豪華さがあった。
 ネスが取った包みにもグラスが入っており、彫り模様だけが微妙に異なっていた。

「ロックグラスか」
「上等なものに見えますね。ただケーキを奢っただけにしては……」
「手紙を読めば分かるかもな。世一に読ませる」

 自主練中の潔を呼び出すと、不機嫌ながらも応じた。カイザーは潔に嫌われている自覚があるが、同時にピッチの外では律儀なことも知っている。贈り主のためを思って、嫌嫌渋々カイザーとネスへの手紙を読むことを了承したのだ。
 潔は手紙を見るなり、目を瞬いた。

「すげぇ達筆……確かにこれは翻訳アプリじゃ読めないかも。俺でもギリだわ」
「母国語さえ不自由になったらいよいよサルだな」
「お前黙れねぇの? えーっと『先日の多大なるご配慮に感謝の意を込めまして、心ばかりの品物を送らせていただきます。お気に召しましたら幸いです。お二人のご多幸をお祈り申し上げます。姉弟より』」
「シテイ?」
「姉と弟ってこと。つかお前ら何したんだよ、こんなん寄越してくるなんてよっぽどだぞ。やんごとなき方か?」

 心当たりはあるが無いという絶妙な心境だった。コートも財布もなく街中にいたので何かしらのトラブルがあったのは確かだろうが、カイザーが思った以上に困っていたのかもしれない。三年前の礼が今来たということからも、何か事情がありそうである。
 潔から手紙を受け取って封筒に仕舞う。とりあえず箱に入れて部屋まで持っていこうと蓋を開けると、横から見ていた潔が「ウッワ」と半歩退いた。

「江戸切子じゃん、お前ほんと何したんだよ」
「エドキリコ?」
「こういうガラス製品。ガラス自体も高価なものらしいけど、それを職人が一つ一つ彫るんだ。伝統工芸品だな。ピンキリだけど基本的に高いぞ」
「さすがミダレ、良い趣味だ」
「姉のほうかもしれませんが」

 カフェ代の礼にしては大きすぎるが、自分との出会いを数年経っても覚えているほどというのは中々良い気分だった。 プレゼントを送るくらいなら、直接試合を観に来たらいいものを。

 後日試合のチケットを郵送しようとしたが、実在する都道府県の架空の市町村であることがわかった。  


 
 模様の少ない江戸切子のロックグラスを眺める。ウイスキーは得意ではないので、中身は大体日本酒が注がれる。今はまだ昼間なのでソフトドリンクを淹れ、最近江雪が凝っているマドレーヌをお茶菓子に休憩していた。
 膝の上のこんのすけが、グラスを見ながら呆れた声を出す。

「凝り性にも程があります」
「でも三つ目だよ。何十回もしてないもん」
「元が器用ですからね、先生顔負けの見事な出来でしたよ……」

 急遽江戸切子の体験教室に行き、作ったグラスはわたしと乱で三個ずつ。最初の一つは乱と交換し合い、二個目はわたしのものを初期刀の歌仙に、乱のものは一期に贈った。そして会心の出来の三個目を彼らに贈ったのだ。
 手が込みすぎではと色んな刀剣に言われたが江戸切子体験をしたかったのも事実なので、ついでと言えばついでである。
 出来立ての温かいマドレーヌをひとつ平らげ、もう一つを半分に割ってこんのすけに渡す。

「むぐ、しかし、いくら体験教室のついでとはいえ、普通の人間に贈るにはいささか豪華と言わざるをえません」
「ガラスが高いもんね。教室もそこそこ値段したし」
「そうではなく。審神者と付喪神が気合を入れた工芸品など、お守りも良いところですよ」

 こんのすけが前足でもふもふとわたしの太ももを叩き「ご自身が神霊的なものと近いという自覚を持ってください」とぷんすこする。

「試合での怪我とは無縁になるのではないですか。ミヒャエル・カイザー選手とアレクシス・ネス選手、記録には残っていても怪我まではわかりませんが」
「そうだったら嬉しいな。江戸切子楽しかったから何でもいいや」
「気楽なんですから」

 まったくとため息をつくこんのすけを撫でる。
 お礼の意味がもちろん大きいが、わたしの場合は少しお詫びの気持ちもあった。
 偶然出会ってお茶をして別れたというそれだけとはいえ少なからず世話になったひとに対し、今後一生会えないことを告げられなかったことが、過去への移動をしたことがないわたしにとっては流せないことだったのだ。「もう会うことはない」と、その事実だけでも言えばよかったと後悔している。
 わたしへ吐かれたらしい暴言については気にしていない。審神者とは、己の刀剣が評価されると嬉しい生き物なので。

「誰かの幸せを願うって素敵なことだよねって感じだよ」
「ただ少しの時間を過ごしたひとにそれが向けられるとなると、嫉妬する刀剣男士もいるということをお忘れなく」
「はぁい」

 彼らのサッカー人生がより良いものとなったなら、それは何よりである。



 薬研は、令和のコンビニの隅で難しい顔の乱を見守っていた。乱は慣れないアルファベットをゆっくり書き写しており、声をかけたら「今話しかけないで」と言われたので大人しく書き終わるのを待っている。
 コンビニを出入りする人々を何気なく眺めていると、乱がようやく送り状から顔を上げた。

「はーやっと書けた。手続きしてくる」
「おう行って来い」

 小包と送り状を持ってレジに行き、日時やら送料やらのやり取りをする。レジから戻ってきた乱はやりきった表情で、ついでにレジ横の肉まんを二つ買っていた。
 薬研はひとつを受け取って、コンビニの駐車場でかぶりついた。哨戒任務はちゃんと果たしているのだ、これくらいの寄り道は許される。
 並んで肉まんを頬張る乱を見やる。

「ったく、よくやるよなあ」
「何が?」
「大将もこんのすけも気付ちゃいないが、俺らは気付くさ」
「あはは」

 主と乱は先日、転移ゲートのトラブルで平成に降り立った。その際に、失礼でありながら少し世話にもなったという絶妙な男たちに出会っている。近い時代への任務が入った此度の遠征にて、彼らにお礼をしたいと言い出したのは乱だった。主に失礼な口を聞いたが、多少なりとも世話になったのは事実だからと。
 主は、懐の深い対応をする乱にいたく感銘を受けていた。暴言を受けた当人だが全く気にしておらず、むしろ乱藤四郎という存在を目に止めたことを評価しているくらいなのでお礼には乗り気だった。
 主はそうでも、乱のそれが本心だとは限らない。

「主さんにとっても失礼なことを言ったんだよ。お茶を奢ってくれたからってすべてを相殺出来ないでしょ」
「まあな」
「でも刀剣男士が人間に手を上げたら引くほど怒られるし、監督不行き届きで立場が悪くなるのは主さんだし」
「大将の命が掛かった場でもない限りはな。だから手の込んだお返しをすると」
「主さんとデートも出来たから一石二鳥!」
「あんな物騒なモン仕込んでおいて」
「やだな、おまじないだよ」
「おまじないってどういう字か忘れたか?」

 なんだっけなあ、とすっとぼける乱は上機嫌だ。

「大したものじゃないよ、主さんとこんのすけに気づかれないようにはしたもん」
「やたら鴨居に頭をぶつけるとか、靴紐が解けるとか……あーサッカー選手なら、どうしても靴下が片方ずり落ちていくのもあるかもな」
「かわいいもんでしょ」
「しかし、乱のがそのカイザーって男に当たるなら、大将のはもうひとりに当たるんだろ。大将は真面目に作ってるわけで」
「そうなんだよ。ボクが二個作って送るって言ったんだけど……仕方ないね、悔しいけどさ。ネスさんは主さんを悪く言ってないから、一応許せるかな」
「面白くはねぇけどな」

 肉まんを食べきって包み紙を丸める。乱の分も回収してコンビニのゴミ箱に捨てた。


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