それは〇愛ですか2



S.

 U20に招集され、青い監獄との試合を終えた翌日、冴は家を出て買い物に繰り出していた。凛と顔を合わせることを避けたのも理由の一つだが、単に冬服を買いたかったのだ。
 去年帰国したときに着ていた服を出していたが、一年経てば多少好みも変わる。気分じゃない服を捨て、いくつか新しく見繕おうとしていた。気に入ったデザインや素材の物があれば良い。
 冴は横浜駅で電車を降り、適当にアパレルショップを見て回ることにした。ブランドにこだわりはないが、良いなと思った物ほど高いのだ。幸い稼いでいるので予算を気にすることもなく、コートとズボンを一着ずつと、ハイネックニットを二着購入して店を出た。軽食を食べて帰ってもいいが、大きい紙袋を二つ下げた状態で動きたくもない。冴にとって問題なのは重さではなく、かさばることだ。
 人で溢れ返る駅構内を進み、ICカードをかざして改札を通る。改札機に表示された残高を確認しつつ数歩歩いて、二つ隣の改札機がエラー音を出した。
 音割れしたようなエラー音の後に、<ガッ><ドシャッ>という異様な音がする。誰が改札の流れを止めようと心底どうでもいいのだが、ただエラーが出ただけの音ではなかったことに何気なく振り向いた。
 閉じた改札機のゲート上に女が倒れている。トートバッグの中から財布とぬいぐるみが飛び出し、心優しい通行人によって回収されていた。改札機を通ろうとしてゲートに引っかかり、そのまま転倒したように見えた。本人の慌て方に連動して、オレンジ色と青色が入った羽根の髪飾りがぱたぱた揺れているように錯覚する。
 閉じたゲートに突っ込むとはよほどの間抜けだなと鼻で笑ったものの、冴は進む事無く動きを止めた。駅員に助け起こされている女の顔に見覚えがある。
 どこからどう見ても、五年前に失踪した小舘九乃だった。
 九乃と思われる女性が駅員に連れられて駅員室へ向かうので、冴もその後を追う。「お客様、切符は?」「きっぷ?」頭の痛くなるやり取りを盗み聞きつつ、懐かしい面影の女性をうかがった。切符の有無を尋ねられたことに本気で困惑している様子があるものの、促されるまま現金を渡し、駅員室で切符が発行されるのを所在無さげに見守っている。冴は<はじめてのおつかい>のBGMを脳内で流しながら、女性が駅員室を離れるのを待った。
 見れば見るほど小舘九乃だ。最後に会ったのは、冴が一三歳、九乃が一七歳のとき、空港での見送りだ。今、冴は一八歳、九乃は二二歳。すっかり垢抜けている。五年も何処で何をしていたのか知らないが、至って健康そうだ。冴自身の背が伸びたせいで、記憶にある九乃より随分と小柄に見える。安堵したのは、記憶の中で美化された九乃との違いで落胆しなかったことだ。落胆しないどころか、大人の女性になった九乃に恋心が蘇った。
 女性が駅員に頭を下げ、人の流れに乗る瞬間。冴は女性の進路を妨げ、その手首を掴んだ。咄嗟に手を引こうとされたが、冴の筋力はそんなにかわいくない。

「九乃だな」

 女性が顔を上げる。怪訝そうではなく、ただ純粋な驚きを顔に出していた。
 女性は冴を見上げて数度瞬きした後、ぱっと笑顔を浮かべた。

「冴ちゃん⁉」
「お前、一体五年もどこに、」
「背伸びた? でも顔はそのまんまだねぇ、当たり前か! 前髪セットしてるのも似合うね! 今いくつ?」
「うるせぇ」

 五年の神隠しは何だったのか。冴は、感動の再会とは程遠い空気に肩透かしを食らう。つい昨日も会ったような変わりない言動に腹も立った。こちらは完璧な神隠しに動揺し家族も悲しみ、ここで見つけたことを静かに感激していたというのに。
 冴が山のような言葉を飲み込んでいると、九乃は誤魔化すように曖昧に笑う。気まずくは思っていると分かり、冴は手首を掴む力を緩めた。離さなかったのは、またわけの分からない神隠しに遭わないようにするためだ。
 冴は深くため息をついてから口を開いた。

「……ご両親に、連絡は? 五年だぞ。ここで何してる」
「連絡はまだ。携帯持ってないし、家の電話番号忘れちゃったし。今から帰ろうと思って」
「五年もどこにいた。神隠し先から電車で帰ってこられるのか」

 冴の皮肉に気付き、九乃が悪戯っぽく笑う。

「さっきは京都にいた」
「なんでだ」
「ひみつ」

 分からないや覚えていないではなく、秘密と言ったのは初めてな気がした。

「五年も京都に?」
「ひみつ。冴ちゃんは? お買い物?」

 九乃が冴の手荷物を覗いた。「いっぱい買ったね」呆れるくらい呑気だ。

「俺も今から帰る。行くぞ」
「送ってくれるの」
「また神隠しに遭われたらたまったもんじゃねぇんだよ」

 九乃の手首を掴むのではなく手を繋ぎ、ホームへと歩く。手を繋ぐことに何か言われるかと思ったが、九乃は大人しく冴に並んだ。五年の月日を経て成長した自分を少しくらい意識して欲しいものだが、五年前の感覚で弟のひとりだと思われている気がした。
 九乃はトートバッグを大事そうに抱えている。

「神隠しには、もう遭わないよ」

 確信を持っている言葉に首をひねる。以前の神隠しとは違い、やはり、九乃はこの五年間についてしっかり把握しているのだ。
 ホームに滑り込んできた電車に乗り込み、ドアの近くに立つ。何から問おうかと冴が考えている間に、次々に質問が飛んできた。そんな気はしていたが、シリアスをするつもりはないらしい。

「最後に会ったのっていつだっけ。サッカー留学の見送り? ドイツだかスペインだかフランスだか……」
「スペイン」
「スペイン! サッカーはどんな感じ?」
「やってる。今はパスポートが切れたから帰国してるだけ」
「五年海外暮らし?」
「そうだな」
「スペイン語ぺらぺら?」
「日常会話くらいなら……大体は英語だけど」
「凛ちゃんは何してるの?」
「……サッカーしてんな」

 冴は、今の自分たちの関係に適した言葉が見つからずに濁した。九乃の中で、冴と凛は五年前と変わらない仲の良い兄弟なのだろう。
 九乃は能天気そうに笑う。

「相変わらずサッカー馬鹿兄弟だねぇ」
「よく喋るのは、神隠しのことを言いたくないからか?」

 冴がため息交じりに問うと、九乃は一拍置いて笑顔を消した。引きつったような顔で、自分の鎖骨を撫でている。自分の首を絞めそうな動きに困惑したが、あくまでも落ち着かなそうに鎖骨を撫でているだけだった。
 九乃は冴から視線を外し、車窓から外を見ていた。話す声は硬い。

「これでも、緊張してて。五年ぶりだから」
「電車の乗り方を忘れるくらい?」
「切符という存在を忘れがちで……。お土産も迷って買ってこなかったけど良かったかなあ」
「神隠し先から?」
「いや、京都土産。久々に実家に帰るから……でも、五年失踪してた人間が京都土産片手に帰宅するのは面白すぎるかなと思ってやめたんだけど」
「神隠しされてた自覚があってなによりだ。やたら冷静だが、本当に家出じゃないんだよな?」
「違うよ」

 九乃が脱力気味に笑う。

「それにしても、駅で冴ちゃんと会えて良かった。降りる駅は覚えてるんだけど、そこまでどうやって行くか覚えてなかったんだ。駅員さんに聞くつもりで」
「……冴、だ。<ちゃん>言うな。一八だぞ」
「うそ、冴ちゃんもう一八歳⁉」
「冴」
「冴ちゃんが一八ってことは、凛ちゃんは一六か。おっきくなったねぇ」

 聞いちゃいねえ。
 いい加減弟ではないことを主張したかったが、昔から九乃に逆らえたことがない。逆らったこともほぼないが、久しぶりに会った<初恋の憧れのお姉ちゃん>に対して強く言うことも出来なかった。
 九乃は目を細めながら外を見ている。懐かしいという感覚はあるようだ。冴は、実家の最寄り駅が近付くにつれて、九乃の表情が強張っていくことにも気付いた。

「……ご両親も、俺らも、随分探した。俺はスペインだったから、大したことは出来てねぇけど」
「うん。五年だもんね」
「泣かれるぞ、お前」
「だよね、どうしよ。困るな。冴ちゃんみたいにクールに対応してほしい」

 クールぶっているだけで嬉しいに決まっていると言えるほど、冴は素直な性質ではなかった。

「存分に泣かれろ」
「気まずい……」
「だったらもっと早く帰ってこい」
「こればっかりは、わたしの意思じゃないからさあ」

 最寄り駅に到着し、冴は九乃の手を引いて下りた。五年前は出来なかったエスコートに自分の成長を感じたが、それを疑問に思わない九乃に機嫌がやや降下する。
 改札で一度手を離したものの、すぐに捕まえて歩き出す。九乃は緊張を郷愁が上回ったようで「懐かしー!」と周囲を見回してた。無邪気な様子に呆れるばかりだ。本当に、こっちの気持ちなど知ったこっちゃないのである。
 ただ、呑気にしながらも段々と冴の手を握る力が強くなる。縋られているようで悪い気分ではなかった。<ちゃん>付けも、もうしばらくは許してやってもいい。
 いざ家が面した路地に入ったところで、前方から凛がやって来た。
 凛は冴に気付いて顔をしかめたものの、九乃を視界に納めると眉間のシワも無くなっていく。は、と驚愕を顔に出す。

「ここちゃん……?」

 冴が横目で九乃を見ると、九乃は凛に気付いていなかったようで、名前を呼ばれて初めて目を瞬いた。

「凛ちゃん⁉ 気付かなかった!」
「おま、なんで、どこに……」
「凛ちゃんおっきくなったねー! 身長伸びすぎて凛ちゃんだと思わなかった!」

 凛に駆け寄っていこうとするが、冴は手をつないだまま動かなかった。腕がビン! と伸び切ろうと動かなかった。散歩に一生懸命すぎる犬を連想しつつ、凛に向かって吐き捨てる。

「おい愚弟、俺はこいつを家まで送る。どけ」
「……は? クソ兄貴、何を知ってんだ」
「冴ちゃんと凛ちゃんが暴言を……」

 九乃が目に見えて狼狽している。同時に悲しそうにもするので、罰が悪くなって舌打ちを一つ。向かいからも舌打ちが返ってきたが、九乃的に舌打ちはセーフらしくスルーしていた。

「クソ兄……兄貴、ここちゃ、九乃をどこで」
「ここちゃんでいいのに」
「九乃をどこで」
「横浜駅で改札に引っかかってた」
「……?」

 九乃が、冴ちゃん冴ちゃんと連呼して凛のほうへ歩くよう急かしてくるが動かない。サッカー云々ではなく、自分以外の男に九乃が嬉々とすることが気に食わない。誰が近づいてやるかと思っていたが、凛が九乃を心配していたことも重々知っていたので、渋々を隠さず凛に歩み寄った。
 九乃は凛の手も取ると、冴と凛を並んで立たせた。

「冴ちゃんと凛ちゃん、成長したね!」
「うるせぇ」
「えっ凛ちゃんのが大きい⁉」
「うるせぇ」

 凛の前に立って自分の身長と比べている九乃に、今日何度目か知れないため息をつく。
 凛は突然現れた五年ぶりの九乃にしどろもどろだった。冴はそれに密かに同情しつつ、いつまでも話し込みそうな九乃の手を引く。

「おい、行くぞ。早くご両親に会ってやれ」
「あい……凛ちゃんも一緒に行かん?」
「は?」

 「は?」は冴と凛、双方の口から出た。目が合うとお互い眉間にしわが寄る。
 九乃は気付いていないのか、気付いていて無視しているのか、冴と凛とそれぞれ手をつないだまま家を目指して歩き出す。

「懐かしいの、嬉しいなあ。あ、凛ちゃん出掛けるとこだった?」
「大した用事でもねぇから……」
「じゃあ一緒に行こ」

 冴は、再び凛と目が合う。「何が起こってるクソ兄貴」「知ってる訳ねぇだろこの愚弟」睨むだけで言いたいことが大体分かった。
 九乃は、己の頭上で行われている睨み合いに気付くこともなく、ただ幼馴染との帰路を楽しんでいた。


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