それは〇愛ですか3


R.

 左手を冴、右手を凛と繋いでいるせいで身動きが取れない九乃の代わりに、凛が小舘家のインターホンを押した。紛れもない九乃の家なのでそのまま入ればいいと言ったのだが、九乃は頑なに手を離そうとしなかった。冴や凛がいきなり玄関を開けるわけにも行かず、来客行動をすることになったのだ。
 冴とともに行動するのは心穏やかに過ごせないので遠慮したいが、九乃の手前、手を振り払うことも出来ない。凛は、自分が彼女に弱いことを自覚していた。おそらくは、冴も。
 五年ぶりに会った幼馴染は、確かにその面影を残していたものの、子供らしさは抜けて大人の女性になっていた。服装も、メイクも、髪型も、よく知っている九乃ではない。こちらは再会に感激し、大人びた姿に動揺しているというのに、九乃の距離感は五年前と変わりない。
 インターホンの音を聞きながら、凛の肩あたりにあるつむじを見下ろす。五年前は凛のほうが少しだけ高い程度だったが、凛は中学でめきめきと身長が伸びた。自分よりずっと大人でしっかりしていた<お姉ちゃん>は、こんなに<女の子>だったのか。
 凛はつむじを見下ろしたまま、九乃と繋ぐ手の力を強くする。九乃からも緊張の力が伝わっていたのでそれを励ました形になったが、凛の心境は全く異なっていた。
――いなくなったお姉ちゃんが帰って来た。自分を大層可愛がってくれた、優しい優しいお姉ちゃん。五年経っても、自分を見て名前を呼んでくれた。手を繋いで必要としてくれている。
 凛の、冴へ向ける感情は複雑だ。尊敬する兄であることは確かだが、冴は昨日の試合で結局凛を見なかった。冴は凛の全てを必要としない。凛は甘い考えを乗り越えて、尊敬する兄から倒すべき選手として見据えなければならない――それはそれとして、兄の関心を奪った潔(いさぎ)は殺したい。
 そんな中での九乃の帰還だ。
 自分を見て必要としてくれる。大好きな姉を二度と失う訳にはいかない。
 インターホンからは応答が無い代わりに、玄関の扉が壊れる勢いで開かれた。インターホンのカメラで姿を確認したのだろう、九乃の母親が飛び出してきた。

「九乃⁉」
「ただいまぁ、へへ」

 凛は空気を読んで手を離す。九乃は号泣する母親と抱きしめ合っていた。


 九乃を送る任務が完了したのでその場を離れようとしたが、九乃の母親に、家に上がるよう言われた。感動の再会を邪魔することは本意ではなかったが、発見した冴の話を聞きたいという気持ちは理解出来た。凛は情報を持っていなかったが、流れでお邪魔することになった。
 五年前に九乃がいなくなってから、小舘家に立ち入ることはなくなっていた。そういう意味では、凛も九乃と同じ感覚でリビングに入った。
 九乃の母親が各所に連絡を取るのを聞きながら、ダイニングテーブルにつく。九乃はキッチンに入ったものの「わからん」と声を上げてダイニングに戻ってきた。五年経っているのだ、物の配置が変わっているらしい。
 凛は無言で座り、冴も無言だ。廊下で電話をかけている微かな声が聞こえる中で、この場で最も能天気な九乃が凛に話しかけてくる。

「さっき冴ちゃんに聞いたけど、凛ちゃんもサッカー続けてるんだってね!」
「ああ」
「サッカー馬鹿が健在で嬉し! 冴ちゃんがスペインにいるってことは、もう二人で試合に出ることはないの?」
「……」
「……」

 一瞬の睨み合いの後、冴が言った。睨み合うのもすっかり癖になっている。

「昨日、やった」
「ビデオないの?」
「録画なら……」
「テレビでやったの⁉ 同じチーム? 敵チーム?」

 冴ばかり九乃と話すのが気に入らず、早口で会話に割り込んだ。
 昔、冴が九乃を好いていたのは幼ながら気付いていた。当時は、大好きな兄と大好きな姉が結婚すればずっと三人でいられるようで嬉しかったが、今は違う。冴が九乃を連れて凛から離れるような気がしていた。

「俺は、今参加してるストライカー育成計画のメンバーチーム。兄貴は、U20日本代表チーム」
「冴ちゃん日本代表⁉ 日本代表と試合する凛ちゃんもやばいじゃん!」
「俺らが勝った」
「日本代表を負かしたの⁉」

 実家への緊張はどこへやら、九乃は興奮した様子だ。
 九乃は試合の話をねだったが、母親が電話を終えたことで休止となる。九乃の母親は温かい紅茶を人数分用意し、涙ぐみながら冴に状況説明を頼んだ。
 冴が話す間、九乃は何も言わなかった。冴が「九乃はこの五年間の背景を知っているように見える」と言っても、何も口を挟まず紅茶を飲み、勝手に席を立ってキッチンを漁り、ビスケットを持ってきて食べるという自由極まりない動きをしていた。気まずい故に同席しにくいということは、凛にもなんとなく伝わった。
 冴の短い説明が終わると、視線は自然と九乃に集まる。何を求められているか、いくら何でも理解しているだろうに、九乃は素知らぬ顔で笑うだけだった。

「これ、明日警察行く?」

 凛は頭を抱えた。

「当たり前だ、五年だぞ」
「色々変わったね」
「こっちのセリフだ。どこで何をしてた?」

 家に来るまでに冴からも聞かれたであろうことを重ねて聞くと、九乃はさらりとすっとぼけた。

「京都にいた」
「五年も?」
「いや、さっきだけ」
「何故?」
「ひみつ」

 涙する母親がいてもこの態度である。小舘家の家族仲が良いことは知っている。九乃が母親に盾突いたこともないはずだ。凛にとって、九乃は必要なことをきちんと親に報告する良く出来た<お姉ちゃん>だった。
 九乃は、言うべきことを理解しながら口にしない。

「でも、もう神隠しには遭わないよ」

 冴に言ったことと同じ言葉を返してくる。それは、ひどく悲しそうな響きをしていた。


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