それは〇愛ですか4


 太鼓鐘(たいこがね)貞宗(さだむね)と万屋街で湯葉丼を食べた帰り、本丸に転移しようとしたら、エラー乱舞でどうにもならなかった。
 座標カードが意味をなさず、端末で本丸に連絡を取ろうとしても繋がらない。政府の本丸担当さんにも繋がらない。貞ちゃんにも個刃(こじん)端末を使ってもらったが、どこにも繋がらなかった。
 幸い、座標認証がいらない施設への転移は可能なようで、万屋街から<時の政府>中央施設(セントラル)に出てレセプションに駆け込んだ。事情を説明し、座標カードや端末を提出すると、本丸が存在しないと言われた。
 そんなことある?
 審神者(さにわ)であることすら疑われたものの、貞ちゃんを連れていたので、部外者侵入としてしょっ引かれることは無かった。とりあえずと応接室に通され、お茶とお茶菓子をつまみながら不安を誤魔化していると、一時間ほど待って見覚えのない政府職員が二人入ってきた。男性のほうは歴史観測部、女性のほうは特別事案部と名乗った。
 要約すると、歴史に重大な影響を及ぼさない些細な改変――<時の政府>が介入するまでもない任務未満の出来事により、わたしが審神者であったことが無くなったのだという。わたしは審神者にならなかったため、当然わたしの本丸は存在せず、わたしのことを知っている職員もいない。
 しかし、貞ちゃんはわたしのことを覚えている。

「影響が出たその瞬間、梧桐(ごとう)様の近くにいたため、改変を逃れられたのかもしれません。残念ですが、審神者としての梧桐様を知っているのは、あなたの太鼓鐘貞宗様のみです」
「わたしの本丸は? わたしは、引継ぎの本丸で」
「うかがった本丸も確認しました。そちらは存在しましたが、別の審神者が引継ぎを行っております。……もしや、太鼓鐘貞宗は引継ぎ対象ではなかったのでは?」
「わたしが鍛刀しましたが、それは他にも」
「<あなたが鍛刀して><あなたの近くにいた>ことが、影響を逃れる条件だったのかもしれません」

 頭が真っ白になり眩暈を覚えると、貞ちゃんが背中をさすってくれた。貞ちゃんすらいなくなっていたら、わたしはこの場で卒倒していただろう。わたしはかろうじて、主として状況を把握しなければという意識を持っていた。すべてを失ったのは貞ちゃんも同じなのだ。
 わたしは昔から霊的に不安定で、保護の目的で特例適用され過去から審神者に就任した人間だ。通常、生身の人間の時間軸縦移動は認められていないので、審神者を辞めたからといって元の時代には戻れない。<時の政府>で働くか、再び本丸を持つか。しかし、ただの同位体と分かっていても、刀剣男士と冷静に対話できる自信が無かった。わたしの本丸の彼らを重ね、ただただ心の傷を深くするだろう。
 悲しみから気を逸らすため今後の立場を考えていると、またしても予想外のことを言われた。

「正確に言うと、梧桐様は<審神者であった>ことが改変されたのではなく<審神者適性を失った>のです。審神者として働くことは出来ません」
「……? でも、貞ちゃんはこうして顕現を保って」
「半分気合いで顕現しています」
「気合い」
「そして、審神者適性もなく、霊的に安定している<過去からきた>人間をここに留めておくことが出来ません」

 梧桐様には、元の時代に戻っていただきます、と。
 わたしの意思とは関係なく、里帰りが決定した。



 わたしは、神隠しに遭いまくる子どもだった。いつも気付けば日本庭園におり、わたしを見つけた美しいひとたちと一時を過ごす。そして気付けば元の場所に戻っている。とても優しい神隠しだ。
 その意味を知ったのは高校二年生のときだ。<時の政府>を名乗る人間が家を訪ね、歴史改変や時間遡行軍(そこうぐん)について教えてくれた。胡散臭いことこの上ない荒唐無稽な話に、両親は終始怪訝な顔だったが、彼らが提示した写真に写る刀剣男士という存在がわたしの知った顔ばかりだったため、信じざるを得なくなった。
 彼らが言うに、わたしは霊的に非常に不安定なため、慣れ親しんだ家と同じ座標にある別位相の本丸に意図せず行ってしまうのだという。審神者制度が正式発足したのは二百年後なわけだが、本丸位相は時間という概念がぼかされているため、明確な時間移動行為がなくともこういった事故が稀に起こるらしい。その本丸が霊的な受け皿となり、わたしが幽世(かくりよ)へ落ちるのを防いでいる。<時の政府>は各時代に支部を設けており、この時代の支部がわたしの<揺れ>を観測した。今は運よく本丸に引っかかっているから良いものの、その内幽世に落ちてしまう――人間として死ぬということで、保護を申し出たのだった。
 保護内容は簡単だ。二百年後に時間移動して、よく訪れていた本丸に所属してしまうこと。常に神霊の加護がある状態であれば、幽世に落ちることはないだろうとのことだった。タイミングよく、件の本丸は審神者が病のため引継ぎを探していた。わたしが二百年後のいつに不法侵入していたのかは分からないが、専用のゲートを使っていない時間移動では細かい時間設定に融通が利かず、経過時間分進んでいるらしい。わたしが一週間後に二度目の失踪をしたならば、二百年後でも一週間が経過しているということだった。
 わたしの時間移動事故については<時の政府>が全て把握しているため、直近の神隠し日から経過した日数分先の二百年後にきっちり送り届けられるという。ただ、原則として生身の人間の時間軸縦移動は禁止されているため、二百年後に行ってしまえばもう戻ってこられない。
 生きるか死ぬかならば当然生きていたいので――見知った顔もあることだ――躊躇いももちろんあったが、最終的には了承した。両親も苦渋の決断を下してくれた。
 そうしてわたしは審神者になった。本丸を引き継ぎ、未入手だった刀剣も増え、五年の本丸生活を送った。
 それが全て失われた。
 衝撃の情報から一夜を政府施設で過ごし、翌日には、京都にある元の時代の<時の政府>支部にあっさりと送られた。貞ちゃんは置いて行くよう言われるかと思ったが、なくなったとはいえ一時は審神者を務めていた者として、歴史修正主義者に目を付けられる可能性もゼロではないからと持ち帰りを許された。
 元の時代の<時の政府>にて、今後の対応について話をされた。わたしが審神者である証拠はもう貞ちゃんしか無く、邪険にされることすら覚悟していたが、予想に反してかなり同情してくれた。
 いわく、歴史改変や修正の影響で歴史から取り残されるひとが極稀にいるらしい。わたしとは違い、完全に経歴が無くなった人間だ。戸籍も家族も友人も、今までの人生を全て失った人間。そういった人間はと呼ばれ、<時の政府>で保護するらしい。
 わたしの場合、審神者適性こそ失われたが存在そのものはしっかり残っていたため、元の時代に送り返されるという異例の事態になったのだった。
 対応をしてくれたのは、廣瀬(ひろせ)と名乗った初老の男性だった。

「調べたところ、歴史改変の影響で梧桐様が失ったのは<審神者適性>です。霊的に不安定な幼少期については影響がありませんでした。成長するにつれ不安定さは改善しています。『昔から神隠しに遭いがちだった少女が、本当の神隠しに遭い、五年失踪していた』ということになりますね」
「両親はわたしの審神者就任について了承していました。表向きは海外留学で、諸々の根回しは<時の政府>からフォローがあると、当時説明を受けています」
「それが無かったことになっているのです。審神者に就任していない以上、梧桐様はただ失踪していただけです。ご両親にとって梧桐様のご帰宅は『審神者業から娘が解放された』のではなく、純粋に『五年失踪していた娘が帰って来た』ということになります」
「……事件じゃないですか?」
「大事件です」

 頭を抱えた。とんでもなく帰りにくい事態になった。

「俺の扱いはどうなんの?」

 一緒に話を聞いていた貞ちゃんが、倒れそうなわたしを支えながら問う。

「太鼓鐘貞宗様につきましては、変わらず悟桐様の刀剣男士として行動していただけます。ご説明は受けているかと思いますが、歴史修正主義者から狙われないと言い切れませんので」
「もちろん主(あるじ)のことは守るけど、俺の顕現について問題は? 主の霊力が細くなってんのは分かる。主に悪影響はねぇの?」
「審神者適性が失われたと言っても、審神者として採用されるラインを満たしていないというだけで、霊力を全く扱えなくなった訳ではありませんから。しかしながら、こういった例外はまだ少なく、影響や程度について明瞭な説明が出来ません。ただし確実なのは、あまり離れると顕現が保てないこと。また、手入れ部屋がない以上、負傷した際はここまで来ていただく必要があります」

 心配になって貞ちゃんを見ると、貞ちゃんはいつものように快活な笑みを浮かべてくれた。それに心底救われる。

「つっても、審神者業がないこの時代で顕現し続けるのも無理あるし、主に本体を持ち運んでもらうのも無理だよな」
「銃刀法違反ですからね。ですので、基本太鼓鐘貞宗様には擬態していただくのが良いかと」
「あー、<ぬい>か<もち>かってやつね。主、どっちがいい?」
「ぬいぐるみ」
「おっけー」

 貞ちゃんの笑顔につられて笑った男性は、名刺サイズのカードと万札を五枚テーブルに置いた。続いて、洒落たトートバッグとシンプルな長財布も出てくる。

「こちらのカードには、この<時の政府>支部の窓口番号が記載されております。もし遡行軍と会敵(かいてき)するような事態になったり、心配事があればご連絡ください。些細なことでも構いません。霊力視しなければ文字は見えませんが、紛失にはお気を付けください」
「お金は?」
「帰宅資金といったところです。この時代の通貨、お持ちではないでしょう?」
「ですね。そもそも現金というのも久々に見ました」
「鞄もお使いください。身一つでしょう」

 この時代は、生態認証で全てが片付いた二百年後とは違う。二百年後、湯葉丼を食べに行くときに鞄や財布を持っていないことは珍しいことではなかったのだ。
 ありがたく新品の財布に名刺と万札を入れ、トートバッグを膝の上に置く。

「最後に、こちらを」

 厚みのあるA4の紙とペンが差し出される。紙には細かい文字がずらりと並び、最後には署名を求める横線が引いてあった。何が書いてあるかは読まずとも分かるので、流し読みしながらペンを持つ。
 紙は、機密情報に関する念書だ。刀剣の名前はともかくとして、本丸の間取り、座標、鍛刀の詳細、政府施設の場所等、審神者業界は伏せることが多いのだ。なにせ戦争中なので。
 これに署名をすると、<時の政府>施設外で許可なく機密情報の口外が出来なくなる。どういう仕組みなのかは分からないが、怪異や呪いが闊歩(かっぽ)している界隈だ、そういう制約を課すことも朝飯前なのだろう。
 わたしは審神者になるときに署名をしているが、無かったことになったため、再度署名の必要があるということだ。
 本当に全て無くなったんだな、と空しくなりながら署名をする。震えを押しとどめながら<小舘九乃>と書ききり、男性に返した。

「主、俺がいる」

 貞ちゃんが、頭の髪飾りを一つ外した。優しい手つきでわたしの髪に着けると、満足そうな表情を浮かべる。
 羽根を模したそれはオレンジ色と青色のグラデーションが入っており、貞ちゃんのトレードマークでもある。わたしはこの色合いがとても好きで、そのことを本刃(ほんにん)にも良く伝えていた。

「貞ちゃん」
「寂しくないとは言えねぇけどさ、主には俺がいるし、俺には主がいる。みんなも、俺らの記憶の中にいる。大丈夫だ。また、ここから生きていける」

 わたしの懐刀が男前すぎて、貞ちゃんを抱きしめて少し泣いた。
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