白紙の舞台へ
コナンが彼女と出会ったのは偶然だ。
ケーキバイキングのために、蘭と園子に連れられて杯戸ホテルに向かっていた。乗っていたバスの中で痴漢騒動があり、犯人だと誤解された少年――改め、少女・世良真純の連れが、見覚えのある人物だったのだ。
痴漢騒ぎが落ち着くと、蘭と園子がその存在に気付いて声をかけた。コナンとしては初対面だが、二人と同じく、新一は彼女を知っていた。
「ねえ、もしかして勇那!?」
「すごい久しぶりね!偶然!」
「あ、うん、久しぶり」
勇那は押され気味に答える。真純に寄り添いながら、控えめに手を振っていた。
コナンは蘭の手を引いて尋ねる。「蘭姉ちゃん、知ってる人?」聞くまでもなくコナン自身も知っているのだが、江戸川コナンは初対面なのだから仕方がない。
「勇那は私達と同い年で、幼稚園から中学校までは一緒だったの。高校一年生の間留学してたのよ。最近、日本の高校に転入してきたみたいだけど、帝丹じゃないから私も久しぶりに会うなあ」
蘭や園子に加えて、幼馴染のようなものである。けれど蘭や園子とは違い、積極的な関わりはなかった。コナンと勇那の間ではなく、勇那は蘭や園子とも関わろうとしない。昔から避けられているような気がするのだ。
現に今も勇那は――目に見えて表情は変わらないが――真純を壁にしているような印象を受ける。
高校三年間を国外で過ごすのかと思っていたが、帰国していると親伝いに聞いていた。聞いてはいたが、高校は別だし連絡とりあう仲でもない。帰国してから会うのは初めてだった。蘭や園子は連絡を取っていたようだが、たまに食事に誘っても断られていたらしい。
コナンは、留学かあすごいんだねえ、などと月並みな感想を述べる。視線の先では、コナンがした問いかけと同じものを、真純が勇那に問うていた。
「幼稚園から中学が一緒だったの。鈴木園子ちゃんと、毛利蘭ちゃん。あと?」
「あ、そっか、勇那ははじめましてか。この子は江戸川コナン君。今うちで預かってるの」
良い子らしく自己紹介をすると、真純は八重歯を見せて人懐こく笑う。さっきは助かったなあ、などと言いながら乱暴に頭を撫でてくる。一方の勇那は、愛想笑いを浮かべただけだった。
「で、勇那は世良さんとどういう関係なの?」
園子の問いかけは最もだ。おそらく高校に入学してから出来た友人なのだろうが、勇那が特別誰かと親しいことなど今までなかった。幼稚園では一人で散歩に行き、小学校では一人で本を読み、中学校では一人で風景画を描いていた。仲は悪くないが、どこかのグループに属している訳でもなく、のらりくらりと暮らしていたのだ。
これで真純が男ならば恋人だとも考えられたが、真純の性別は既に分かっている。
勇那は少し視線を泳がせた。
「留学してた時に知り合って、何度か助けてもらったの」
「じゃあ世良さんも外国に住んでたんだ!」
「まあね。最近、また日本で暮らすことになったんだ」
「それにしても仲良いわよね、二人とも」
くっつくようにして立つ二人に、蘭がしみじみと言う。
勇那と真純は顔を見合わせると、少しだけ笑った。勇那の笑い方は、今まで見たことのないくらい優しいものだった。そもそもコナン(新一)の前で笑うことなどなかった気がする。
杯戸ホテルに着くまでの間他愛ない話をしていたが、勇那から話を振ってくることは一度もなかった。
*
生まれた町は米花町。幼馴染には工藤新一、毛利蘭、鈴木園子。
勇那は、はっきりとそれらを覚えていたわけでなかった。まさか、という思いが強かったが、どうしてもそこに混ざりたくはなかった。
一人立ちしていない身では距離の置き方など限られている。親同士の仲が良いのも問題だった。彼らと別の中学に行こうとしても強い理由がなく却下され、登下校を別にしてもどうしても目に入るし、休みの日に親から彼らの名が出てくるのも最悪だ。
勇那は親を説得し、なんとか、高校を海外で過ごすことになった。しかし、祖母が病気で入院した関係で帰国することになってしまった。勇那は非情になれなかったのだ。
不幸中の幸いだったのは、世良真純とともに帰国できたことだった。留学中、道に迷っていた所を助けてもらい、それから付き合いがある。真純も家庭の都合で日本に行くことになったというのだ。
しかし、しかし。真純の帰国の目的に"工藤新一"が含まれていると知って、勇那は再び絶望した。
本当に本当に落ち込み、けれど、勇那にとって真純は大事な女の子なのは揺らがない。赤井秀一という、勇那にもどことなく聞き覚えのある名前の兄を喪って憔悴している真純を、見て見ぬふりはできなかった。
己の首を絞めると分かっていても、確認せずにはいられなかった。
米花町にある洋館。まぎれもない工藤新一の家。そこで勇那は、インターホンごしに言った。
「"FBI. Stick 'em up."」
インターホン越しの相手は、不躾にも一方的に通話を切る。
勇那はうるさい心臓をおさえつけ、深呼吸をしながら玄関の扉が開くのを待った。
二度、息を吸った時、工藤邸から糸目の青年が出てきた。
「あの……?なにかの悪戯でしょうか」
毛利蘭からたまたま話を聞き、彼のことは知っている。工藤邸に居候しているという大学院生・沖矢昴だ。
勇那は偶然にも気づいてしまったのだ――真純から聞いた赤井秀一の死亡時期と、沖矢昴の出現時期が近いことに。赤井秀一が死んだり生きていたり生き返ったり、と記憶が非常に曖昧だったことも、今回ばかりは幸運だった。
"あの"江戸川コナンが信用し、実家を貸すに値する人物が、一般人な訳がない。
なぜ赤井秀一が生きているのかというトリックは見当もつかない。どのように命を落としたのかも知らない。だが、おそらく非常に優秀な人物が、そうホイホイ死ぬわけがない。
きっと、沖矢昴は赤井秀一である。
「……はじめまして」
「ええ、はじめまして。もしかして、勇那さんですか?蘭さんや園子さんから聞いています」
「……FBIってどう思いますか」
「ホワイトカラーですか?それともクリミナルマインド?」
「……死んだように見せかけて、実は生きている。そんなトリック、何か思いつきますか?」
「あの、話が見えないのですが……とりあえず、上がりますか?」
「赤井秀一って男、知ってますか」
ほんの一瞬、沖矢昴の動きが止まる。まばたきもせず、じっと睨んでいたかいがあった。
これで確定した。してしまった。沖矢昴は赤井秀一。真純の兄は生きている。きっと真純もこの舞台のキーパーソンだ。真純は、この世界に無関係ではなかった。真純の兄が生きていること自体は嬉しいのだが、手放しで喜べない。
「……さあ、誰でしょう。立ち話も何ですし、どうぞ?」
工藤邸には、勇那も何度か訪れたことがある。何かと理由をつけて逃げていたが、強引な幼馴染たちをかわすのは容易ではないのだ。
沖矢に案内されるまでもなく、勇那はリビングに入り、テレビが見える位置のソファに腰を下ろした。
沖矢は「さすが幼馴染ですね」と呟き、慣れた様子でキッチンに入っていく。
「子どもたちが立ち寄ることもあるので、ジュースもありますが……コーヒーがいいですか?紅茶もありますよ」
「緑茶」
「……すみません、僕は緑茶を飲まないので、置いていません。また買っておきます」
「……いいですよ、別に紅茶で」
「アイス?ホット?」
「アイス。ストレートでいいです」
勇那は勝手にテレビをつけて眺めていたが、ほどなくして沖矢がキッチンから出てくると、躊躇いもなく電源をおとした。
沖矢は勇那の体面に座り、勇那の前に紅茶、自分の前にはコーヒーを置く。
「で、赤井秀一、でしたか」
早速、沖矢が切り出した。
勇那の目的はもう達成されているので、特に会話をする必要もない。ほんの少しだけ気圧されて上がり込んでしまっただけだ。
けれども無視を貫けないのは、真純の兄だと思うからだろう。
「先ほどのFBIの真似事といい、勇那さんは不思議な方なのですね」
「……江戸川コナンほどじゃないです」
「ああ、コナン君ですか。彼もまた、聡明な子どもですよね」
「仲、良いそうですね。江戸川コナンとも、工藤新一とも」
「新一君とは、直接お会いしたことはありませんよ。コナン君を通じて連絡をとっているので」
「……大学、楽しいですか」
「恥ずかしながら、論文に苦労しています。――それで、赤井秀一と言う名前を、どこで?」
赤井秀一に妙なこだわりを見せることこそが、無関係であるという言葉を否定している。
ただ、なんとなく。殴られたり、銃でおどされたりしないだけ、随分優しいのだろうと思った。
「真純ちゃんの、兄だそうです」
「真純、というと……女子高生探偵をしているという?」
「はい。FBIで、仕事中に亡くなったと」
「それはそれは……。なぜその名前を私に?」
「皆まで言わないと分かりません?」
米花町もとい江戸川コナンの周辺は、事件こそ多いが都合よくできていると思う。
勇那は己のおぼろげな記憶を信用していない。赤井秀一がキーマンであることも半信半疑だった。ただ、不思議と記憶に残っていた名前なので、何かしらの役割はあるのだろうと。そして、そんな人物が途中退場はしないだろうと考えた。
だからこそ、沖矢昴という青年に不信感を抱き、赤井秀一とつなげることが出来た。同時に、赤井秀一がこれ以上ないほどの重要な立ち位置にいるということも確信した――彼の妹である世良真純が、ただのモブで終わるはずがない、とも。
本当に、沖矢昴と赤井秀一が他人ならば良かった。赤井秀一が死んでいたら、その程度だったと思えた。妹の真純はキーパーソンになりえない、と願う余地があった。
「……真純ちゃんの兄が生きていてよかった。それだけです」
勇那はアイスティーを飲み干すと、コースターにそっと戻した。
落ち着いた動作とは対照的に、苛立ちを自覚していた。
米花を中心とする舞台から解放された異国の地で、偶然出会った真純が、関わってくるなど夢にも思わなかったのだ。
いくらか落ち着いているとはいえ、なぜ、という思いはつきない。
「……何を言っているのか、分かりませんね」
「別に、誰にも言いません。悲しんでる真純ちゃんのために確かめたかっただけです」
「随分と仲が良いのですね」
「大事な恋人ですから」
「……ほう」
「もちろん真純ちゃんにも言いません」
「言いませんもなにも、私と赤井秀一という男は無関係ですし」
「それならそれで、別にいいです。私は興味ないので」
「私も赤井秀一さんとやらも、嫌われたものですね」
「安心してください。工藤新一も毛利蘭も鈴木園子も江戸川コナンも阿笠博士も、あの子どもたちもみんな嫌いなので」
苛立ちに任せて、喋りすぎている気がする。全くスッキリしない。
「おや、幼馴染ばかりではなく子どもたちまで」
「そのために渡米したんです。なりゆきで帰国しましたが、関わる気は毛頭ないので。くれぐれも、私には無関心でお願いします。私のことは、江戸川コナンに伝えようがどうしようが構いません。私を放っておいてさえくれれば」
「そこでコナン君が出てくるのですね」
「どうせ盗聴器とか仕掛けてるんじゃないんですか?」
言いながら腰を上げると「おかわりは?」と人畜無害そうな顔で問いかけてくる。勇那は首を振り、ごちそうさまでしたとおざなりに頭を下げた。
「あなたたちは嫌いですけど、真純ちゃんの邪魔はしません。真純ちゃんは、私が米花の人間を嫌いなこと知ってるので、私を巻き込んだりもしないはずです。私も自分から近づきません。だから、私のことは放っておいてください」
「そこまで言われると、気になってしまうのですが」
「芸人じゃないでしょ、やめてください」
お邪魔しました。もう一度おざなりに頭を下げて、さっさと玄関に向かう。履きやすいスニーカーに足を突っ込み、そのまま工藤邸を出る。後ろから「またいらしてください」という勇那の要望とは真逆の言葉がかけられたが、振り向きもしなかった。
勇那の望みは一つ――紙とインクにはなりたくないだけなのだ。
「うぇ、真純ちゃん……」
『あれ、勇那?泣いてんのか!?どうした?』
「べ、米花町にいるだけ……」
『んもーなんだって苦手な場所にいるんだよ!』
「真純ちゃ、会いに行ってもいい?」
『迎えに行くから場所教えてくれ。ついでに甘いもの食べに行こうぜ』
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