22.リメンバー

安室さんに教えられた個室に入り、ソファーに体を預ける。明かりもついてない、荷物も何もない部屋だ。
これ、本当に安室さんがとった部屋だろうか?人が居た形跡が全くない。まさか、うっかり間違えて違う部屋を教えたのではないだろうか。安室さんに限ってそんなことはないと信じている。私とちがって、しっかりしている人だから。この部屋に居るように言ったのも、迎えに来るまで出るなと言ったのにも、彼の事情や理由があるはずだ。

ズボラなので、室内灯をつけないままだ。薄暗いほうが落ち着く。実際ちょっと疲れたというか、普通に休みたいなと思っていたので、この個室はありがたい。ぼーっとしながら扉の方を見る。
この部屋の外では、殺人事件があって、コナンくんたちが解決してるんだ。それを知っている人はどれくらい居るのだろう。安室さんですら途中停車する理由が事故だと知らされていたようだったし。
ふと気づく。犯人が誰か知らないけど、まだ列車内をうろついていたとしたら?単独行動は凶。普通に危険なのではないだろうか。そわそわと落ち着かない気持ちのまま座っていたが、扉の向こうに人影が見えて、思わず固まった。向かいの個室に入っていくようだ。ちらりと覗くと、先ほどすれ違った男性、赤井さんが意識のない世良さんを抱えて部屋に入っていった。
えっウソ!誘拐!?また!?探偵、誘拐され過ぎじゃない!?
めちゃくちゃ焦ったけど、あの人はFBI捜査官だということを思うと、もしかして危険はない?のかな?と考え直し、向かいの個室を観察するのはやめた。

すぐに向かいの部屋の扉の音がして、赤井さんが出て行ったと気づく。体調を崩した世良さんを運んであげただけということだろうか。親切な人だ。誘拐と思ってすみませんでした。
この向かいの部屋が世良さんの部屋か赤井さんの部屋か定かではないが、どちらにしても、安室さんの部屋と向かい側って。偶然だとしても出来過ぎているような。そもそもこの部屋ですら本当に安室さんの取った部屋かどうかもわからないんだけど。
世良さんの様子を見に行くべきかと迷っている間に、また足音が近づいてきた。余計なことはしない方が良いだろうと扉から離れる。またしても向かい側に部屋に入っていく人影。後ろ姿だけちらりと除くと、背の高い茶髪の男が入っていった。え!?いいの!?誰!?次こそ危ない!?焦りつつ、どうしよう、と考えている間に部屋から彼が出て来た。眼鏡をかけた細目の男性だ。寝ているらしい世良さんを腕に抱えている。
これこそ本当に誘拐ではないだろうか?絶対に部屋から出るなと言われているけど、これは止めるべきではないだろうか?わたしは大人として、いや、人間として、子供の誘拐を防ぐ義務があるのではないだろうか。怖いけど、これはもう勢いだ。自分を奮い立たせる。意識のない女子高生を連れ去ろうなんて最低だ!そうだそうだ!許すな!目撃者が居ると知ったら逃げていくだろう、逃げて行ってくれ、と願いながら扉を開ける。

「あの!その子の友人なんですけど!その子の知り合いですか!?」

どうだ、驚いただろう。明かりも消えて空室に見えていた部屋から見ず知らずの女が話しかけて来たら怖いだろう。わたしなら怖い。男性にとってはどうかわからないけど。
しかし、彼は薄く開かれた目で、緩く微笑む。

「ええ、そうです。真純がいつもお世話になってます」

さらっと返されてしまった。下の名前まで知ってる、普通に挨拶もしてくる。か、勘違いだったのかも。誘拐って思っちゃってすみませんでした、と心の中で謝る。彼はわたしを見下ろして、見張りですか?と聞いて来た。見張りって何?誰が?何を?理解できないまま突っ立っていたら、冗談ですと言われる。何?この人、よくわかんない。変な人?大丈夫かな世良さん。

「この子の本来取ってる部屋はお友達の部屋の近くだと思うので、送り届けようかと。親切な人が、この部屋で真純を休ませていると教えてくれたのでね」
「そ、そうなんですね〜お兄さんも優し〜」

沈黙が一つ。気まずい。おとなしく室内に戻ろう。会釈をして、扉を閉めようとする。

「…もしかすると、この辺りも危ないかもしれませんよ。あなたも前方車両に移ってはいかがですか?」

危ないって何が?もしかしてこの人、殺人事件があったこと知ってるのかな。世良さんの知り合いだもんね、連絡してたのかもしれない。ということは、犯人が居るかもしれないから危ないよってこと?確かに仰る通りです。
だけど、わたしはここから動けない。いや、動かない。安室さんが迎えに来るまで、動かない。

「ありがとうございます。ここで人を待っているので…その人と会えたら、私も前方へ向かいます。世良さんにお大事にとお伝えください」
「そうですか。わかりました。では」

彼はそのまま去っていった。背が高かった。安室さんと同じくらいだろうか?安室さんよりも少し高いかもしれない。
部屋に戻り、ソファーの上で横になる。無駄に緊張して、余計に疲れてしまった。誘拐でなくて本当に良かった。誰だったんだろう。彼氏とか?いや、知り合いという異性をすぐにそういう風に結びつけるのはよくない。すみませんでした。親戚とか、友達とか、そういうのかもしれない。阿笠博士みたいに、保護者替わりとして一緒に乗車した人かもしれない。高校生だってまだ子供なのだから。
そういえば、安室さんと会う前にすれ違った赤井さん、思ったより身長低かったな。蘭さんと同じくらいだったような。意外だ。背が高いイメージだったけど、そうでもないんだ。

瞼が重くなってくる。普通に眠い。途中駅に停車するかもみたな話だったけど、スピードは変わらずだし、まだ時間がかかるようだ。ちょっとだけ寝ちゃおう。安室さんには何度も寝顔を見られてるし、起こされるのもかまわない。起こす方からしたら迷惑ではあると思うけど。
目をつぶると、意識がふわりと遠くなる。安室さんに抱きしめられた夜のことが浮かぶ。ちょっと、忘れようとしてるっていうのに、脳ってのは厄介だ。こうやって無理矢理忘れさせないようにしてくる。
あの夜、寝るのが怖くて、ソファーで呆然としていた。目を閉じると、スーツケースの中の死体と、その嫌な匂い、体の芯から冷えていくような寒さたちが帰ってくるから。
安室さんが隣に座って、肩を貸してくれた。一人じゃない。彼の体温が、教えてくれる。かすかに伝わる心臓の音と、彼自身の匂いが、私を安心させてくれる。わたしはそのまま深く深く眠った。起きたときはベッドで横になっていた。
恥ずかしいやら情けないやらで、忘れたいことの一つだというのに。夢の中で、あのときの気持ちまですべて再現されるんだ。
あの時、安室さんの隣が一番安心できる場所だと気づいてしまった。許される限り、側に居たいと願ってしまったのだ。