24.安心の素質

玄関の扉が閉まる音で目が覚める。時計を見る。7時半?まだ横になってから3時間も経っていない。夜遅くまでというか、朝早くまで?借りてきたドラマのDVDを見ていたからだ。だって今日はバイトもお休みだし、本当は夕方くらいまで寝るつもりだったのに。安室さんが返ってきたということは、しばらく続いた自堕落な生活ともお別れだろう。起き上がり、髪を軽く梳かしてリビングに向かう。

「起きてたのか」
「いえ、起きました」
「丁度良かった。八時半には出るから、支度してくれ。あ、朝食作るけど食べる?」

八時半って。あと一時間しかない。出かけるってどこに?目的が分からないとなんの用意もできない。TPOというものがある。服装も髪型もメイクも、時と場合によって変わるということをわかってほしい。

「時間ないので食べれません」
「悪いな。車の中で食べれるように軽食を用意しておこう」
「どこに行くんですか?」
「伊豆」

伊豆?何しに行くんだろう。観光地だし、めちゃくちゃ気合を入れなくても良さそうだ。支度してきますと言って、部屋に戻る。服を考えよう。ZARAで買った柄物のワンピースでいいか。車の中で寒かった時のためにデニムのジャケットを羽織りで持っていこう。髪は毛先だけ巻いてポニーテールにするかな。


*


車内で説明されて驚いた。鈴木さんの別荘に行くらしい。目的はテニスコーチ。最悪だ。服装完全にミス。テニスなんて高校の体育の授業以来だ。球に当たるかどうかすら怪しい。そんな私がテニスウェアなんて持っているはずがない。日焼け止めと日傘は持ってきている、良かった。

「私は見学ですよね?」
「はは トランクに君の分のウェアもあるよ」

はは じゃないんだよ。
安室さんが用意した朝食を食べる。クロワッサンにレタスとたまごを挟んだサンドイッチだ。クロワッサンとレタス、買ってきたのかな。卵は家にあったけど。
憂鬱だ。どうせ安室さんは、テニスだってめちゃくちゃ上手いんだろう。こっちは事前に知らされてもないから、運動用の体調じゃない。日差しの下で運動するのに最も適さないコンディションだ。あらかじめ知らせてくれたらもう少し調整することができたというのに。

「どうして私も連れて行くんですか?鈴木さんからご指名ですか?」
「いや、彼女の口から君の名前は出なかったよ。僕が苗字さんも連れて行っていいですかって言ったんだ」

どうしてそんなことを。唖然。思わず運転席に顔を向ける。安室さんが一体どういうつもりなのか全然わからない。

「ミステリートレインは楽しかったかい?」
「死人が出るまでは」
「そうだろうね」

脈略の無い質問だ。意図が読めない。コナンくんや安室さんのように人を探る仕事は向いていないとわかりきったことを改めて実感した。もう考えるだけ無駄だ。考えるのをやめよう。安室さんは何かしらの事情や理由があって、今日私を連れだした。それだけのことだ。
私を連れだした理由を考えることも探ることも放棄して、窓の外の景色を眺める。良い天気だ。日焼けしそう。テニスは憂鬱だ。しかし、伊豆に行くのは普通にうれしい。遠出はうれしい。安室さんのことだから、純粋に遊びってわけではないかもしれないけど、私にとっては正真正銘の小旅行だ。ドライブだって好きだ。とは言っても、この世界でドライブなんてほぼしたことはないけれど。以前の人生では家族や友人とよく行ったものだ。この世界の家族はそんな家庭じゃなかったし、バイトなどで忙しくて友人と旅行する機会も無かった。そう考えると、とっても嬉しいような気がする。暫く素直に与えられた小旅行を楽しもう。


*

伊豆はとてもいいところだ。私は好き。欲を言えば、もっと観光したい。テニスではなくて観光がしたい。そんな願いもむなしく、私はおとなしく用意されたテニスウェアに着替え、重めのラケットを持ち、日陰に立っている。向かい側のコートには、安室さんがボールを持って立っている。

「そんなところに居てどうするんですか。ほら、打ちますよ」

安室さんが軽めのサーブを打つ。めちゃくちゃ手加減してくれているんだろうなとういう柔らかさだ。ボールはバウンドして、私の近くに飛んでくる。重いラケットを振る、というよりもボールに当てて、ボールは反動ではね返る。勢いが足りなくて、ネットに引っ掛かり、ぽとりと落ちた。

「私の腕前はこんなところです。休憩してていいですか?そろそろ鈴木さんたちも到着するでしょうし」
「仕方ないな。ボックスにスポーツドリンクが入ってますから、飲んでくださいね」

私のお粗末なテニス力(?)を見て、彼も諦めてくれたらしい。私としては結構全力だったけど、センスがないんだと思う。突然やれと言われても無理なものは無理。テニスをやってほしいならそれも事前に言ってくれればもう少し練習なりなんなりしたよ。
すぐに鈴木さんと毛利さん親子、そしてコナンくんが到着した。挨拶を済ませ、それぞれがコートに入って行く。コナンくんは安室さんと私が居ることを知らされてなかかったらしく、大変驚いていた。私も今日知ったからお揃いだねなんて思ったりした。
今まで日陰だったベンチが、日が高くなって日向になる。最悪だ。ジリジリと強い日差しが降り注ぐ。避暑地と言っても、暑いものは暑い。都会のど真ん中でコンクリートの上に立ち上からも下からも焼かれるよりは10倍マシではあるけど。
コートでは、安室さんが調子よくボールを打ったり、打ち方を教えたりしている。彼がいい球を打つたびに黄色い歓声が起こる。全員見ず知らずの人なのに、あっという間に虜にしてしまうほどの腕前と顔なんだと感心した。そりゃね、顔がいいのはもちろんわかってる。甘い垂れ目にキリっとした眉が特徴的だ。めちゃくちゃ綺麗なお顔である。見慣れてしまっていた。贅沢な話だ。
他のコートを見ると、大学生くらいのグループや、60代くらいで集まっている人たちもいた。育ちの良さそうな家族連れもいる。私が欲しかった人生を歩んでいそうな人たちだ。特別裕福じゃなくてもいいから、休日には家族や友達と遊びに出かけたかった。いや、裕福の方が良いには良いけど。そんな暮らしは当たり前だと思っていた。一度目の人生では当然だったその幸せは、今や遠いところにある。家族はアレだし、もう私は死んだことになってるから友達にも会えないし。

蘭さんや鈴木さんから見たら、私も友人…というか、バイト先の同僚と遊びに来ている人だ。でも、安室さんと私は実際友人でも同僚でもない。どんな関係かと言われると困る。わたしは本来消されてしまうようなところを安室さんの厚意で救ってもらい、今もなお面倒をみて貰っている状況だ。
わたしはいつもあの人に与えてもらうばかりで、何も返せない。彼の役に立てるほどの人間ではないことがよくわかっているから、できる限り重荷にならないようにすることで精いっぱいだ。家賃水道光熱費はお世話になってるけど。ほかにも化粧品を買ってもらったり、働き口を用意してもらったり、いろいろお世話になっているけど。こう考えるとすでにもう充分重荷なのではないだろうか。私って本当に図々しいというか。罪悪感をほぼ抱かずに、流されるがまま甘えに甘えて過ごしている。親どころか赤の他人の脛を齧って、吸える蜜を吸い尽くすような。そんな感じだ。いままで見て見ぬふりをしてきたけど、私って結構クズの素質あるな。
そんなことをぼんやりする頭で考えていたときに、目に入った大学生くらいのグループが使用していたラケットが吹っ飛んでいくのが目に入った。軌道の先にはなんとコナンくんが。咄嗟に立ち上がって叫ぶ。安室さんの声と重なる。ここから走っても間に合わないことはわかっていたけど、思わず駆け出した。

直撃。
しかも頭。
私は痛くもないのに、泣きそうになった。

全員がコナンくんに駆け寄る。安室さん曰く、脳震盪だそうだ。ラケットの持ち主が居る大学生グループの別荘の方が鈴木さんの別荘より近い層で、そこに運ぶことになった。意識を失ってぐったりと体を預けるコナンくんを見ると、視界がぐるぐる回るような気がした。
私が見たのは自ら誘拐されに行ったところぐらいだけど、この子は探偵として事件を追うために小さな体で無茶をしがちだ。主人公だから大丈夫だとか思っていた自分がばかみたい。いつもは運よく無事でいるけど、ほんの子供なんだ。こうやって事故だって起きるし、絶対の大丈夫なんてないんだ。ぐるぐる。俯いて、足元を見ながら歩く。ぐるぐる。頭が揺れるような。あれ、まって、本当に揺れてるかも…。