25.事件の合図

気付いたら、目の前に安室さんの顔があった。驚きよりも綺麗な顔に感心してしばらく無言で見つめてしまった。どういう状況?横になっている私の顔を彼が覗き込んでいた?なんで?

「気分はどうですか?」
「普通です」

安室さんは私の返事を聞くと、顔をそらしてどこかに声をかけた。

「苗字さんも回復したようなので、彼女の分もお願いします」

はーい、と女性の声がした。そうだ。テニスしててコナンくんが倒れて、それで?私が体を起こすと、彼がスポーツドリンクを差し出した。

「熱中症です。水分しっかり摂ってくださいね」

熱中症。確かになりそうではあった。コナンくんを運んでる時に頭がぐるぐるしてたのはそれだったんだ。お礼を言ってペットボトルを受け取る。名前さん大丈夫ですか?食べれますか?と蘭さんがお皿を持って来てくれた。正直そんなに食欲ない。全部は厳しいかも、と思ったけど、せっかく作ってくれたのに申し訳ない。

「食べれるだけで大丈夫ですよ。残ったら僕が貰いますから」
「わたしの食べかけでも?」
「今更ですよ」

確かに家で同じ大皿からおかずをとったり、安室さんがテイクアウトしてきたお弁当を食べきれなかった時は彼が食べたりしてる。でもそれは家の中であって、ポアロの同僚の安室さんとわたしはそんな関係で良いのだろうか?考えすぎ?結構仲良い人みたいな立ち位置にならない?自意識過剰なのかな。ふと蘭さんの方を見ると、え〜!って顔に書いてある。いや、書いてないけど、見える。わたしと安室さんを交互にチラチラ見ている。そうだよね高校生なんて男女の間接キスですらドキドキする年頃だもんね、いやこれは間接キスではないし間接キスの方がなんとなくハードルが高いようなそうでもないような?わかんない、とにかく食べよう。もう知らない。

冷やし中華を頂いてる途中に、この別荘の持ち主たちが顔を出した。うっかりわたしまでお世話になってしまってすみませんと言うと、みんな快く気にしないでと言ってくれた。名乗るタイミングを互いに失い、私も彼らも名前がわからないままだ。仕方ない。他の人が呼ぶ名前を覚えよう。必要になった時に聞けばいい。
毛利先生には「貧弱じゃねえか?」と言われた。今日は偶然ですと返した。蘭さんが「そういえば以前も倒れたって安室さんが仰ってましたよね」と追撃してくる。いやそれは捏造なんですとも言えず、笑ってごまかした。わたしが半分残した冷やし中華は安室さんがぺろっと食べ切った。
そういえばコナンくんの姿がないとキョロキョロしていたら、彼は上の階で休んでるよ、と安室さんが教えてくれた。大学生グループの男性一人と同じ部屋にいるらしい。

今更ながら、このメンバーが揃うと事件の気配を感じる。鈴木さんにテニスのコーチとして伊豆に招待されたと聞いた時点で、蘭さんがいることは察して、当然のようにコナンくんも毛利さんもいるだろうし、他に関わる人がいなければわたし以外被害者になる可能性は低いけど、今既にこの大学生グループと関わっている。大学生たちの誰か一人が被害に遭うような気がする。そして犯人もこの中にいる。そう思うと全員怖く見えてきた。まだ起きてもいない事件のせいで、勝手に怯えている。

安室さんが食べてくれた食器を持って立ち上がろうとすると、まだ休んでてくださいと彼に止められた。お言葉に甘えて空になったお皿を彼に渡した。その様子を蘭さんと、いつのまにか合流していた鈴木さんがじっと見ていた。安室さんがお皿を洗いに台所へ向かう。

「前から思ってたんですけど、名前さんと安室さんって」
「そう、そうなんですよ。めちゃくちゃ仲良しです」

変な疑いをかけられる前に自分から言ってしまう。ただただめちゃくちゃ仲良し。バイト仲間だし、試作品を食べ回しすることもあるし!と言えば、蘭さんたちは少し考えるそぶりを見せた。納得してくれないですか?ダメですか?わたしたちは本当に何でもないのだ。彼女たちが期待(?)するような男女の関係ではない。ちょっとばかり変わった関係ではあるけど、変に勘違いされると安室さん側が迷惑する。仕事面でも迷惑があるかもしれないし、純粋にこんなわたしと勘違いされるのは嫌だろう。わたしが安室さんだったら普通に嫌。顔も性格も良くて志高く毎日世のためにしっかり朝から晩まで働いている完璧人間の自分が、生きてる自覚持てと言う方が無理〜とか甘えたこと言ってバイト先まで世話してもらって人のお金で生活してる赤の他人と恋人って思われたら、わたしが安室さんの立場ならめちゃくちゃ腹立ってる。安室さんはこんなことで怒らない心の広い人だろうけど。

「あ、こんな話してる場合じゃなかった、コナンくんにも冷やし中華持ってかなきゃ」
「こんな話て」

コナンくんって上の部屋で休んでるんじゃなかったっけ。そう思っていると、鈴木さんがそれを蘭さんに伝えた。石栗さんの部屋と言った。コナンくんが休んでる部屋の主は石栗さんか。またお話聞かせてくださいねと言い残し二人は去って行った。お話も何もない。

しばらくして、大きな音が響いた。天井…つまり2階からだ。ドン、と何か大きなものが落ちたような音。何事かと全員が2階に上がっていくのをわたしは見ていた。わたしは動けない。動かない。合図だとわかったからだ。
これは、事件の音だ。