34.偽物のわたしを語る人

今日はちゃんと美容院まで無事たどり着き、カラーとトリートメントをしてもらった。前髪も綺麗に整えてもらい、気分がよかったので、そのまま買い物に行くことにした。服が欲しい。安室さんに一応連絡しておく。もし今夜も彼が家に帰るらしい。夕食陽にお惣菜でも買って帰ろう。
いい服が欲しい。質が良くて長年着れるような服。いくつかお店を回って、黒のブラウスとデニムのロングスカートを買った。ぱっと見では気合いれてます感が出ないものを選んだ。さりげなく普段からしっかり気合を入れていきたい。突然出かけるよといわれて首元がヨレヨレの安物のニットしか無いという状態は嫌だ。カジュアルかつ良質な服!一日予定がないオフの日でも私がその服を着て軽く化粧して家の中で過ごしたいと思えるような服!すっぴん部屋着生活は安室さんが絶対に帰ってこないだろうという日に限る。たった今決めたルールだ。
フロアをぶらぶら歩いていると、シンプルだけど可愛いめの部屋着が売っていた。たしかに常日頃可愛い部屋着を着ていればいいかもしれない。今みたいなグレーのスウェット生活ではなくて、ふわもこ〜女全開〜みたいなやつ。いや、ちょっと無理かも。可愛いし肌触りもいいし暖かそうだし普通に欲しいっちゃ欲しいけど、これを着ているのを見られるのはまた違った恥ずかしさがある。同居人が突然気合入れだしたんだけど…みたいな。いや、突然気合を入れだしたってのは間違ってないんだけど、さりげなくっていうのがミソだから。こういう部屋着は段階踏んでから最終地点にしよう。
百貨店で新作の口紅を一本購入して、お惣菜を選びに行く。
デパ地下のお総菜売り場って楽しいな。全部おいしそう。エビマヨ買おう。ローストビーフのサラダも。筑前煮もおいしそう。少量ずついろいろなおかずが買えるのがうれしい。気付けば両手に大荷物の状態になっていた。もういい時間だ。さっさと帰ろう。

壁際に寄り、電車かバスかどちらが良いかと携帯で調べる。バスだと乗り換えが無いけど、電車の方が早い。値段は変わらない。ふと隣に立った女性の顔がこちらに向いているような気がして、視線を感じた。なんだろう。気付かないふりを貫き通そうと思ったのに、声をかけられた。

「もしかして、苗字さん?」
「えっ」

呼ばれた名前が新しいほうだったから驚いて、声をあげてしまった。以前の名前で呼ばれても人違いですとしか言えないんだけど、私が苗字であることを知っている人って限られてくる。東都で知り合った人もそんなに多くない。女性の方に顔を向ける。30代後半くらいの女性だ。

「覚えてない?あなたが高校1年の時に非常勤で学校に居たんだけど…」
「えーっと、ごめんなさい、ちょっと記憶になくて」
「そうよねえ会話したことなんてなかったもの。仕方ないわよ」

絶対ウソだ。この人生で、苗字として高校生だったことがない。この女性はうそをついている。どんな理由があって?わからない。でもわざわざ私の名前と作られた学歴を調べているということからとんでもなく怪しいことがわかる。どうしよう。怖いかも。帰りの経路を調べていた画面から、メッセージアプリに切り替える。目線は彼女に向けたまま、指先の感覚を頼りに安室さんにメッセージを送った。

”へんなひとがいるのでむかえにきてくださいばしょはべいかひゃっかてんにしぐち”

スマホの画面をオフにして、カバンにしまう。ここで公共交通機関を使ったら、家までばれることになる。それは困る。絶対にここを動かずに安室さんが来てくれるのを待とう。

「お買い物…は、終わってるわよね。少しだけ話さない?近くにいいカフェがあるのよ」
「すみません、もうすぐ迎えが来るのでここで待ってるんです」
「あらそうなの、残念だわ。生徒の現状って気になるものなのよ。今は?どんなお仕事してるの?」
「あ〜今はフリーターなんです」

当たり障りのない答えで会話する。どこまで知られててどこから知られていないのかわからないので、適当に話を合わせる。外出先で接触されているということは、道中も追われていたのだろうか?お買い物中も?怖すぎるんだけど。どこから着いて来てたんだろう。もし家バレしてたら怖い上に安室さんに申し訳なさすぎる。どういう経緯で?安室さんが用意した苗字名前の本籍地の住所と現在住んでいる住所は異なる。本籍地に行って私が居ないことを確認して探し当てられたのだろうか。接触してくるまでの手順というか、準備の過程を考えると恐ろしい。
いざとなったら走って逃げたいけど、今日はヒールだし、結構な距離を歩いたので既に足が痛い。どうにか安室さんが迎えに来てくれるまで耐えるしかなさそうだ。

「お迎えってもうすぐ着ちゃうのかしら?残念だわせっかく会えたのに。今度ゆっくりお話ししましょうよ。今の若い人の話、色々と聞かせて欲しいわ。よかったら苗字さんの担任だった先生もお呼びするから!」

だから連絡先教えて?と携帯を見せられた。宗教やビジネス、エステの勧誘よりこわい。久々に会った知人にもっと話したいからと近づかれたら勧誘だと思えと以前の人生で学んでいる。この人はそうじゃない。もっと悪質だ。連絡先とか絶対交換したくない。マジで嫌なんだけど。

「あ〜メッセージアプリの方のアカウントでいいですか?機械苦手なのでこのアプリくらいしか使いこなせないんですよ。IDメモしてお渡ししますから、あとで追加してください」

わざとのろのろカバンを漁る。ポアロのバイトのシフトしか書かれていないスケジュール帳の後ろのメモページを丁寧に切り取り、持っていたペンでIDっぽいものを書く。うそっぱちだ。できるだけわかりにくい感じにしよう。0とOとか、-と_とか曖昧に書く。あ!間違えちゃった〜と言って書き直して、時間も稼いだ。安室さん早く来てよお…