37.秘密の約束

「あの〜〜〜〜〜〜名前さん、一つお伺いしてもいいですか?」
「はい?」

ポアロのキッチンで梓さんに呼び止められる。お客さんは奥の席に長居する老人が一人だ。正直クソ暇な時間だったので、話しかけられて嬉しかった。しかしこの後の話題の予想がつく。絶対に安室さんのことだ。

「昨日の夜も、今朝もですよね?その…」
「安室さん?」
「ええ、安室さんと!」

昨夜はお迎えに来てもらって、今朝は送ってもらってるなんてところを見たら「もしかして同じところで一夜を共にしたんじゃないの」と思うかもしれない。それも大きく言えば間違ってない。さらに言ってしまえば一夜どころでもない。しかし意味が全くちがう。お二人ってそういうことなんですか!?と問い詰められながら、どうしたものかと考える。事実としてハッキリ否定すると、うっかり梓さんの中での安室さんが「29歳アルバイト兼探偵、恋人でもない同僚をたぶらかしている人」になってしまうのではないだろうか。しっかり誤解を解かねばならないという使命がある。

「断じて違います。昨夜も今朝もなんならこの後も送り迎えをお願いしていますが、これは探偵としての安室さんへの依頼なんです」
「依頼?送り迎えしてほしいっていう?」
「そう」

まさかこの人、探偵を何でも屋さんだと勘違いしている?そんな顔をされた。あまり詳しく話すと後々面倒かと思ったので、探偵を何でも屋さんだと思っている人として生きていこうかしら。

「少し事情がありまして。しばらく電車通勤はやめようということになって、車も持っていないので、安室さんに依頼したんです」
「そうなんですねえ。てっきりそういうことかと思っちゃいました。コナンくんと噂してたんですよ〜」
「コナンくんと」
「ええ」

私の知らないところで恐ろしい会話が繰り広げられていたようだ。コナンくんにも見られてたのか。それはそうだろうな、家の真下だし。もちろんこうやって勘違いされると思いますがそれでもいいんですかと安室さんに確認は取っている。君なら上手に説明できるさと流されてしまったけれど。上手に説明できないから誤魔化しまくった。そういうものだ。わかってほしい。

「てっきりそういうことかと思って」
「梓さん、楽しんでましたね」
「ばれちゃいました」

彼女はへへへと笑いながら仕事に戻っていく。いくら誤解されたとしてもしっかり否定すれば誤解は解ける。それよりもあの怪しい女に今後接触されないことの方が重要なのである。確かにもう勘弁してほしい。会いたくない。

上がりの時間になり、着替えてから携帯を確認する。安室さんからメッセージが入っていた。少しだけ遅れるからポアロの中か毛利探偵事務所の中にいて欲しいとのこと。ポアロを選択する。他人のお家に、毛利探偵への依頼もないのにズカズカと居座るのはちょっと。これ以上図々しいなと思われる機会は減らしたい。キッチンで自分用の紅茶を淹れて、レジに紅茶分のお金を入れる。先払い。カウンターに座って梓さんとマスターが働いているのを見ていた。今日はお客さんが少ない。暇そうだ。実際暇だった。

「名前さん、こんにちは」

ひょこっとコナンくんが現れた。びっくりした。入店のベル鳴った?さっきのお客さんが出ていく時に入れ違いで入ったのかな。わたしの隣に座ってオレンジジュースを注文した。今日はコーヒーの気分ではないようだ。

「こんにちはコナンくん。この前は水筒と白湯をありがとうね。梓さんに預けて渡してもらったと思うけど」
「どういたしまして。本当は僕じゃなくて、灰原が用意したんだよ」
「灰原さんが?じゃあ今度会った時にお礼言ってたよーって伝えといて欲しいな」
「わかった」

マスターがコナンくんにオレンジジュースを出す。小さなカップケーキもつけられた。非売品だと思うんだけど、マスターはコナンくんがお気に入りらしい。いつも何かしらをこっそり用意している。コナンくんが一人で来店した時だけ出していることを、私たちは知っている。

「名前さんは安室さんのお迎えを待ってるの?」
「そうだよ」

都合よく安室さんが遅れる時にやってきた。私が一人で待っているだろうとわかってて来てるんだ。どうやらまだコナンくんは安室さんのことを敵だと思っているらしい。安室さんはそれを否定しないんだろう。知られるわけにもいかないんだろう。彼が自ら身分を明かすことなんて無いはずだ。わたしだって彼の本名や所属は明かされていないんだ。

「どうして突然送り迎えしてもらってるの?」
「ひみつだよ」

コナンくんには適当に説明したって無意味だ。誤魔化されてくれない。どんな小さな疑問でも突き詰めてきそうだ。面倒なので何も話さない。人にはそれぞれ秘密がつきものだ。コナンくんだってそうだろう。私はこっそり知ってしまっているけど、永遠に知らないふりをするつもりだ。

「名前さん」
「なに?」
「安室さんのこと、好き?」

驚いて、思わず彼の方を見た。どうしたの突然女子高生みたいな話題持ってきて。驚いた表情の私とは対照に、コナンくんの顔は真剣だった。どうしてだろう。私のゆるい頭では、この子の考えを読み取ることができない。


「むしろ安室さんのこと好きじゃない人の方が少なくない?」

綺麗な顔だし、めちゃくちゃ頭いいし、誰にでも優しいし、いい人だよ。そう答えると、コナンくんはまた難しい顔をした。どういう感情?

「いい人だから好き?もしいい人じゃなかったら?」
「え?」

なんとなくわかった。やっとわかった。コナンくんは安室さんを敵だと思っていて、おそらく以前までは私も敵側の人間なのではないかと警戒して探っていたけど、何かがきっかけで私への疑いは晴れたようだ。何がきっかけだったのだろうか。
そしてコナンくんの中で、私は悪人バーボンにコロッと騙されているかわいそうな人…みたいな立ち位置になっているのではないだろうか。安室さんは危険な人だからあきらめなよとでも言いたいのだろうか。あれ?コナンくんの中で私が安室さんに片思いして弄ばれてる女になってない?どうして?

「誰かにとっていい人じゃなくても、わたしにとってはいい人なんだよ」

私の口から言えるのはこれだけだ。コナンくんにとって今は悪人に見えるかもしれない。だけど実際はこの国を守るため、身を粉にして働く正義そのものと言える人だ。潜入のために悪いことだってやっているだろう。いうなれば私の身分を作り替えたことだって、法的に考えたら「良いこと」ではない。しかしわたしはその行いによって救われている。彼が私にとって「悪いひと」であったことがない。だから彼は「いい人」なんだ。
丁度、安室さんから連絡が入った。もう着くというメッセージだ。ロック画面の通知で確認した。

「ごめんね。もう着くみたいだから」
「うん。ばいばい、名前さん」

コナンくんを残し店を出る。安室さんの白い車が見える。コナンくんも安室さんも大変だなあとぼんやり考えた。敵じゃないよと言って、はいそうですかとすぐに協力できたら一番簡単なのにね。お互いに知られてはならない事情があるから、こうやって遠回りしているんだ。偶然というかなんというか、私が二人の正体を知っているのもおかしな話だ。二人から聞かされてもいないし、本来知っているはずの無いことを知っているなんて、気味が悪い。こんなに遠回りして、もどかしくてどうしようもない二人の間を取り持つこともできない。わたしってなんでここにいるんだろうな。