04.止まらず進まず

さてその後。わたしがどうなったかというと、どうもなっていない。
彼の言う通り、朝のニュースでわたしの名前が流れた。死んだってさ。もう一人、男性も死んだと流れた。この人は本当に死んだんだろうな。
あの人、安室さんが言うには、私は現在この部屋から出ることができないそうだ。色々とやることがあるらしい。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんという気持ちと、わたしってなんでこの人生こんなにかわいそうなんだろうという気持ちがある。

食料は時々安室さんがどっさりとインスタント食品を買ってきてくれるから困らない。インスタント食品しか食べられないのは困らないうちなのかと言われれば微妙だ。普通に他のものも食べたい。しかし贅沢は言っていられない。わたしは一銭も出していない。
お金の問題といえば、大した額もないけど、わたしの遺産は両親に持っていかれたのだろうか。不倫して出て行った母親も実は離婚していない。二人で仲良く分け合ったのだろうか。最低だ。わたしがブラック企業で体をボロボロにして稼いだお金は全てあのカス親に吸い取られたということか。最低だ。あーもうだめだ、これについて考えるとイライラして死ぬ!流石にこれ以上死にたくない。

わたしがあっさり苗字名前になったということを受け入れたことに驚いたらしい安室さんは、時々様子を見にくる。驚いたというか、困惑して流されるがままになっていて、何も理解できていないんだろうな…という雰囲気を感じる。いや、理解している。人生2回目なので。何なら普通は知らないであろうあなたの仕事とかを知ってしまっているからこそ、しっかりと理解している。しかしそんなことを言えるはずもなく、様子見がてらにカウンセリング?のようなことをして行く安室さんには申し訳ない気持ちが増えて行く。

前回彼がこの家を訪れたのは二週間前だ。わたしがこの家で苗字名前として生まれてから1ヶ月が経過した。あーあ、面接の結果どうだったんだろう、なんてふと思ったけど、面接の翌日に死んだってニュースが流れたんだから結果もクソも無いなと思い直した。企業側も驚いただろうな。
クローゼットを開けると、買い与えられたシンプルな服と、あの日着ていたリクルートスーツがある。あまりにも擦り傷だったので忘れてたけど、撃たれた跡としてスーツの右肩が破れている。そうだよなあ。このスーツを残しておく必要なんてないのになあ。もう一生着ることもないし、ここにあっても邪魔なだけだな。ようやくそう思うことができた。この機会に棄てよう。
ハンガーから外して、ゴミ袋に詰め込む。多分、安室さんはわたしが苗字名前として生きて行くための準備を外でしているのだろうと思う。いや、違うかもしれない。わたしのことはもう他の人に任せて、自身の大切な任務にとりかかっているかもしれない。それはわからない。けど、私がこのスーツを棄てることは、大切な一歩だ。苗字名前として、元の名前のわたしは死んだということを受け入れたという意思表示になれば良いなと思う。いや、もうとっくの昔に受け入れているんだけど。態度で示そうという話だ。

棄てたら随分気持ちがスッキリした。どちらかと言うと気分が良くなった。家も家族も友達も失う経験は2度目だけど、1度目よりうんとマシだ。色々とね。さあこの機会に色々と行動してしまおう。大学時代からずっと丁寧に伸ばし続けた髪を切ってしまおう。髪の長さくらいで大して何も変わらないけど、これも気持ちの問題だ。巷では一時期切りっぱなし?のヘアスタイルが流行っていたという話もある。そのうち美容院へ行って毛先を整えて貰えば良い。今は長さをざっくり切っちゃおう。腰まであったロングヘア。部屋に置いてあったハサミを持って、どのあたりまで切ろうか悩む。胸?鎖骨?肩?思い切って顎まで?うーん、と考えながらハサミを胸のあたりに当てる。胸までだとあんまり変わらないか、と思っていると、扉が開いて、安室さんが入ってきた。驚いた。おかえりなさいというのも違うような気がして、視線だけを送る。わたしとバチッと目があった安室さんは、驚いたように目を開いて、わたしに駆け寄った。え?

「やめてくれ!」

わたしの手からハサミを奪い、ソファーに右手をぐっと押しつけられる。え!?なに!?痛い!

「痛いです」
「何をしようとした?」
「何って、見た通り…」

髪を切ろうとしていたんですけど、と言おうと思ったけど、抱きしめられて、言葉が出なかった。抱きしめられている。わたしが、安室さんに。なぜ?トキメキとかは無いけど、めちゃくちゃドキドキしている。わたしでは無い。安室さんの心臓の音が伝わっている。

「辛い思いをさせて、申し訳ないと思ってる。君を巻き込んでしまったのは僕のミスだ。勝手な願いなのはわかってる。だけど、お願いだから、死なないでくれ」

えっ??????

理解した。安室さんは誤解した。わたしがハサミを胸に当てている状況を見て、髪を切ろうとしたわけじゃなくて、自殺しようとしているように見えたんだ。確かに自分が色々と暗躍してどうにか生かすことができた人間が自殺します!みたいな場面を見たら、動揺してしまうかもしれない。動揺してこうやって抱きしめて止めようとするのかもしれない。ここで勘違いです、わたしは髪を切ろうと思っただけですなんてちょっと、いや、めちゃくちゃ言い辛い。言わないでおこうかな。