42.一緒になれないよ

名前が連れ去られた責任は僕にある。まだ身体が痛むようで、時折表情が歪む。あの日、彼女も連れて行動していればよかった。何度そう思ったかわからない。周りには「同僚」と認識されている名前を連れて歩くには時々「理由」が必要になる。病院で楠田陸道について調べるときに、彼女を付き添わせる理由を作るのが面倒だった。その結果、少し目を離した隙にこのありさまだ。

赤井を追って工藤邸に住む沖矢昴を詰めるために毎日忙しかった。赤井は生きていたが、出し抜かれてしまった。
忙しすぎて、正直名前のことは頭から抜けていた。ちょうど一区切りというときに、退院を知らせる連絡が来て、入院してからこれまで一度も僕に連絡をくれなかったことに気づいた。
僕が居なければ、誰に頼るというのだろうか。ひとりで生きていくつもりなのだろうか。これまでも一人で生きてこれたから?これからも、苦痛には手を強く握って、耐えて耐えて生きていくのだろうか。
どちらがいいだろう。彼女にとって危険が多かった僕との暮らしと、誰に頼るわけでもなく一人で耐え忍ぶ暮らし。
彼女は後者を選ぶと思った。だけど僕は前者を選択してほしかった。だから名前に役を与え、逃げられないように手を掴んだ。

僕のせいで怪我もした。それを悔やんで手放すのではなく、僕の手で幸せにしたい。今後も危険な目に合うかもしれない。だけどそれを超える幸福を彼女に与えたい。
できる限り目を離さないように、僕らが一緒に居るための理由を作った。僕の知らないところで、またうっかり危害を加えられてたらと思うと恐ろしい。目を離さない。


彼女は拒否することなく僕の提案を受け入れた。僕はそれでとても満足した。部屋で彼女を休ませている間、買っておいた食材で料理をする。気分が乗って、豪華に沢山の料理を作ってしまった。心の中では婚約祝いということにする。茶番だ。


*


一週間の引きこもり生活の後、私はポアロに復帰した。マスターと梓さんに欠勤したことを謝る。わたしが遭遇した事件については報道されてなかったことから「言ってはならないこと」だと判断して黙っておいた。そしたら交通事故にあって入院していたことになっていた。安室さんがそう言っていたらしい。安室さんが言うならそれが事実だ。
私は車に撥ねられて肋骨が折れた。今もまだ少し痛い。そういうことだ。
梓さんのシフトが終わる時間に、入れ替わりで安室さんが来た。今日は私と安室さんで閉店業務だ。安室さんにも一応欠勤してすみませんと形だけのあいさつをした。

「名前さん、あまり無理しないでくださいね。まだ本調子じゃないんですから」
「そうですね。シャッター降ろすのはお願いします」

ポアロではずっと苗字で呼ばれていたはずなのに、今日からは下の名前のようだ。キッチンを見ると、エプロンのひもを解こうとしていた梓さんと目が合う。正しくは、梓さんがこちらを凝視していた。安室さんはわざと梓さんの前で名前で呼んだんだ。梓さんも名前で呼ばれているし、私たちは以前からの知り合いだと言っているので、そんなに大きな違いでも無いと思うんだけど。
僕はホールに入るので名前さんはキッチンお願いしますと言われたので、キッチンに入る。マスターが書いておいてくれた新しいレシピ表を見る。なんとか作れそうだ。洗い終えたカップの水滴を吹いていると、カウンターから安室さんが私を呼んだ。彼は口に手を添えて、私の意味に顔を寄せた。近い近い。

「コナンくんが見てますよ」

その言葉に、視線を動かす。表通り沿いの窓に、確かにコナンくんの姿があった。コナンくんだけじゃなく、毛利さんと蘭さんの二人の姿も。そして三人ともこちらを凝視している。三人いたのに安室さんの口からはコナンくんの名前しか出なかった。つまり彼の目的はコナンくん一人というわけだ。ばっちり視線が合った三人に向けて笑顔で会釈すると、そのままお店に入ってきた。

「いらっしゃいませ」
「名前さんお久しぶりです。入院されてたんですよね?もう大丈夫なんですか?」

ホールで席に案内するはずの安室さんはにこにこと様子を見守っているだけで、毛利さんたちはそのままカウンター席に3人並んで座った。蘭さんへ私が答えるよりも前に、お水とお手拭きを用意した安室さんが答える。

「肋骨が折れたんですよ。まだ安静にするべきだと思うんですけど、名前さんがもう大丈夫だって言ってきかなくて」

距離感縮まってますよと言わんばかりにアピールする。上手い。さすが。チラチラと私の方を見る小さな視線がくすぐったい。コナンくんだ。

「仕事とプライベートは分けるって言ってたよね?」

いつかコナンくんに行った適当な言い訳がここに飛び込んでくる。無邪気な顔で訊ねてきたけど、話が違うじゃないかという不満?のような感情が浮かんでいる。どういう心理?
蘭さんが、何のこと?とコナンくんに尋ねると、隣に座った毛利さんが答えた。

「無粋なこと聞くんじゃねえよ。男と女にはいろいろあるんだよ」
「いろいろって、まさか…」

蘭さんのキラキラした瞳がこちたに向けられる。対してコナンくんは安室さんの方を見ている。私も蘭さんの視線から逃れるように安室さんを見た。どう答えればいいのかわからないので、全任せだ。

「やはり毛利先生に隠し事はできませんね」

人の良さそうな照れ笑いという表情を作る。ウソばっかり。彼はホールからキッチンに入り、私の隣に立つ。そして肩を軽く抱いて私を引き寄せる。コーヒー淹れてるんだからやめてよ!と思ったけど、作業の手を放してされるがままに身を任せる。こういう接触も今後は人前でするのだろうか。慣れなければ。
本当に、心の底から、安室さんが小汚い中年太りのおじさんでなくて良かったと思う。普通は好きでもない人とこんな近い距離だったら嫌悪感でぞわぞわするだろう。安室さんにはそれを感じない。逆に、今まで接触があったのはいつも私を安心させてくれた時だったので、体にそれが染みついているのか、安室さんに触れると安心する。なんだこれ。私もしかしてちょっと気持ち悪くない?安室さんに申し訳ない。お仕事の一環だとしてもこんな気持ち悪い女と婚約したことになっているなんて不憫だ。できるかぎり気持ち悪さが滲み出ないように努めよう。

「実は僕たち、婚約したんです」

カウンターに座る三人の目が大きく開かれた。先ほどまで余裕ぶってた(?)毛利さんもハア????と声を出した。今まで同僚です友人ですと言い張っていたのに恋人をすっ飛ばして婚約の報告なんてそりゃ驚きもするだろう。わたしだったら驚く。それに、もし安室さんのことをよく知らない他人であれば、美人局と思うかもしれない。29歳アルバイトの美形が、いかにも普通な女とスピード婚約。赤の他人が聞けば「騙されてるのでは?」と思うに決まってる。さすがに目の前の三人は安室さんのことをそれなりに知っている人なので、そんなことは思わないだろうけど。いや、コナンくんって安室さんのことを悪人だと思っていたのではなかったっけ。

蘭さんは可愛らしい顔をうっすら赤く染めて、私たちに祝福の言葉を投げかける。笑顔でお礼を伝えて、さりげなく安室さんから離れる。いやだったわけじゃないけど、やっぱり人前でいつまでもくっつくのは恥ずかしい。毛利さんからもおめでとうと言葉をいただいた。

「ひどいよ二人とも。付き合ってること隠してたんだね」
「名前さんに口止めされてね」
「職場でそういうのはちょっとね」

ここで私に投げるのかと思いながら、コーヒーの支度を再開する。冷静に考えて同じバイト先に恋人を紹介するってどうなのとも思う。あの時はこんな設定になると思わなかったから。コナンくんにオレンジジュース、毛利さんにホットコーヒー、蘭さんにはミックスジュースを出した。

「安室さんがいろいろお世話になってるので、ささやかですけど、お礼です」

この日の彼らの飲食代は、私の自腹を切った。