44.逃がさないように


名前さんは、とっても不運な人だと思う。
組織の人間であるバーボンがやたら気にかけいて、親しそうにしている姿を見て、初めのうちは組織の仲間かと疑っていた。でもあまりに抜けているというか、犯罪とは無縁そうな雰囲気を感じ取った。それならばどうして安室さんはこの人を気にかけているのだろうか。わからないまま。

後に、安室さんが本当は公安警察の人間で、本名は別にあり、組織をつぶそうとしていることがわかった。そうしたら、あの人は?名前さんは結局誰なんだ?降谷さんとしての知り合いで、協力関係にあるのだろうか。あの人まで公安警察だなんてことはないだろうな。部下とか?言い方が悪いけれど、そんな能力のあるような人には思えない。安室さんとして接触した組織側の人間なのだろうか?その可能性も低い。名前さんが悪意を持って何かすることは想像できない。犯罪組織とは対極にあるよな人だと思う。それに、安室さんが彼女を本当に大切に扱っていることが傍から見ても伝わってくる。どういうことなのか。本当に誰なんだろうか。正体を知りたい。

そう考えているうちに、いつの間にか名前さんの姿をポアロで見かけなくなった。ポアロでマスターに訊ねたところ、交通事故にあって入院しているらしい。絶句。何というか、本当に不幸で不憫な人だ。
あの人自身は何もしていないはずなのに、会うたびに事件に遭遇して、顔を真っ青にしている。一時期見た目でわかるほどにやつれていた時もあったような。クール便のトラックに閉じ込められた時もあった。子供の心配をして、結局あの人が一番体調を崩した。そういう不幸で不憫な役回りが多い人だ。交通事故と言ったって、最近はいつも安室さんの車で送り迎えされていたと思うけど。偶然安室さんの車に乗っていないときに事故に遭ったのだろうか。あまりの不運さに同情する。

しばらくして、名前さんがポアロに復帰した。以前よりも安室さんとの距離が縮んでいるような。二人で内緒話をする場面をガラス越しで目撃した。何よりも、安室さんの表情がいかにもご機嫌だ。あの人はいつも人当たりの良い笑顔でいるけれど、そうじゃなくて。楽しそうな顔をしている。
名前さんの視線が俺をとらえた。そのままポアロに入店して、蘭が進むままカウンターに座る。なぜか彼女の怪我について説明するのは安室さんで、やけに親しげだ。しかも名前で呼んでいる。今までは頑なに苗字で呼んでいたのに?どういう変化なんだろうか。どんな意図があって?
おっちゃんは男と女にはいろいろあるとか言ってるし、蘭も目を輝かせている。二人はくっついたってことか?今更?そんな馬鹿な。安室さんが組織に潜入している今、わざわざ恋人を作るなんて思えない。それこそカモフラージュで付き合い始めましたとか、そんなことだろうなと思った。

「実は僕たち、婚約したんです」

安室さんの言葉に耳を疑った。おっちゃんすら驚いている。婚約?結婚の約束をしたって?この人たちが?カモフラージュにしては行き過ぎているのではないだろうか。付き合ってるよ〜と言うだけでは足りなかったのだろうか。

いかにも親密な関係ですと言わんばかりに名前さんの肩を抱き、安室さんは満足そうにしている。大して名前さんは表情を変えないままだ。動揺も見せない。
安室さんと婚約したと言われても、どのように考えれば良いのだろうか。"安室さん"と婚約したのか、"降谷さん"と婚約したのかで意味が変わってくる。それを聞きたくて、ポアロに残った。ピークの時間が来て、忙しそうに働く二人を観察する。

二人の間に確かな信頼はあると思う。どちらかと言えば恋人関係というより、協力関係と見たほうが近いような。それでも、時々こっそり心配そうに名前さんの様子をうかがう安室さんの姿を見ると、よくわからなくなってくる。名前さんは安室さんのことを気にする素振りもないところが更に謎を深くする。
ピークが落ち着いてきたころに、安室さんが名前さんに紅茶を淹れた。

「名前さんって、本当に安室さんの婚約者なの?」

言葉にすると、名前さんはむせてしまった。俯きながらせき込む。悪いとは思った。安室さんが背中をさする。

「ひどいな。僕らを疑っているのかい?」

この人に何を聞いても無駄なことはわかっている。この人はまだ俺に何かを教えてくれるような人じゃない。自分で探り当てるまで事実を見せてくれるような人じゃない。聞くべきは名前さんだ。

「本当に安室さんと?安室さんと婚約したの?名前さん」
「君の言いたいことはわかるよ」

安室さんが俺の隣に座り、名前さんに聞こえないように小さな声で話しかけてくる。

「彼女は安室透しか知らないんだ。あんまり僕をいじめないでね、コナンくん」
「え!?知らないの!?」
「声が大きいよ」

驚きすぎて大声が出てしまった。降谷さんを知らないということは、公安である降谷さんに協力しているわけではないということだ。本来存在しないはずの安室さんと婚約したということになる。騙されてるともいえる。事情があるにしても、なんてひどい男だ。じとりとにらみつけると余裕のある顔で躱される。どういう意図が有ってかはわからない。だけどこの人が名前さんをだましていることに変わりはない。そうまでする理由は何なのだろうか。やはり組織に関連のある人だというのだろうか。
教えてもらえそうな雰囲気もない。そっちがその気ならこっちだって。今後二人の関係を問い詰めていくことに決め、ポアロを後にした。

改めて二人について考える。名前さんはあの人の、安室透以外の名前を知らない。安室さんは教えていない。潜入操作のために使っている名前で名前さんと婚約した。つまりそれは無効だ。騙されていることを知らない名前さんがあまりにも不憫である。安室さんはどういう意図があって名前さんを騙しているのだろうか。
組織の仕事にしては機嫌が良さそうだった。仮にも友人として関係を築き上げてきた人を騙して恋人になり婚約をするって、どんな気持ちなのだろうか。名前さんを相当憎く恨んでないとできないような。そんな関係ではなさそうだけど、安室さんが罪悪感を微塵も感じずにいるように思えて寒気がする。なんなんだあの人は。何を考えているんだ。

毛利探偵事務所に帰り、蘭の作った夕食を食べる。蘭が楽しそうな笑顔で安室さんと名前さんの婚約の件について話している。おっちゃんも文句を言いながらも機嫌良く酒を飲んでいる。こうやってお祝いムードすら広がってしまっているのに、全て嘘だっていつか判明したときにどうするのだろう。安室さんはいいだろう。名前さんだ。
婚約は偽装で、あなたは騙されてましたと説明を受けたとき、あの人はどのように受け止めるのだろう。そうなったらもうポアロからは去ってしまいそうだ。あの人はあっという間に逃げてしまいそうだ。

「お祝いしなきゃね」

蘭が嬉しそうに呟く。二人の幸せの報告を聞き、自分も幸福だと言うような顔だ。いっそのことスゲーむちゃくちゃな規模でお祝いしてやって、後々安室さんが「嘘でした」なんて言えないくらいの状況にしてやりたい。