46.戻れない二人

指輪を渡していないことを鈴木さんに話して、サプライズで渡すという演出だったらしい。グダグダになる前にサプライズを捨ててその場で指輪を渡すという形になったけど、そのあとお祝いの豪華なケーキが運ばれてきて、みんなで食べた。コナンくんと毛利さんは少し申し訳なさそうにしていた、その様子がおかしくて、思いっきり笑った。笑えば笑うほど、胸の奥が痛くなった。しかしわたしは開き直ることにした。こんな幸せな時間はきっと今後一生訪れない。私が安室さんのほかに最高に愛おしいパートナーを見つけて、何不自由なく生きていくなんて無理な話だ。身分を偽っているから学歴も経歴も偽物なので、過去や生い立ちを話すことはできないし、すでに両親も実家も存在しない。こんなに怪しい人間となった私が、事情も知らないだれかと生きていくなんてできないだろう。もう一生手に入らないであろう幸せの形を、体験させてもらっている。そういう風に考える。いつか夢から覚める時が来るまで、私はこの幸せを享受することにした。先の不応のことは考えない。架空の幸せに虚しさを感じて涙するのはもうやめる。

家に帰り、寝る支度を済ませる。明日は出勤だ。ホールの時は指輪を付けたままでも良いようだけど、キッチンの時は外さなければならない。自室のベットに座り、左手できらりと光る指輪を眺めながらお値段やお金の出所を考えたりして、失くしたらと思うと震えあがった。

「もしかして、趣味じゃなかった?」

髪を乾かし終えた安室さんが唐突にそう言うから、驚いて声をあげてしまった。私の部屋に入ってくるなんて珍しい。以前、ポアロの面接に行く日の朝に髪を切ってもらったとき以来だ。
そんなはずはない。こんなに愛おしい指輪は世界のどこを探しても見つからないだろう。心底気に入っている。とってもかわいいですと伝えると、安心したように言葉をつづけた。

「指輪を渡したときの涙が、悲しそうに見えたから」

心配したよと言って、彼は私の方を見る。涼しげな青い瞳。強い意志を持ったその瞳に、私の姿が映りこんでいる。
私が腰掛けるベットに近づき、安室さんは私の左手を握った。

「これで君は僕の婚約者になった。僕はこれから君を色々なところへ連れ回すだろう。絶対に僕の側から離れないと誓ってくれ」

握られた左手が厚い。

「誓います」

彼の瞳を真っ直ぐ見つめて答えた。握られていた手をゆっくり動かして、私の心臓の上に当てた。

「私の命も、人生も、全部安室さんにあげます」

自分で口にしておいて、めちゃくちゃ重い言葉だと思った。でもこれは事実で、もうこの人に人生めちゃくちゃにされてもいい。私の死が彼の役に立つのなら、命ですら捧げたい。役に立たなさそうなうちは生きていたい。都合よく使ってもらいたい。最後にお別れしたときに、彼の役に立てたと1つでも思えたのなら、私はそれで満足だ。目を見張った彼に思わず笑ってしまう。困らせたかもしれない。だけどそのまま彼は私の肩を押し、体を支えきれなかった私はベッドに沈む。

「こういう意味であってる?」

安室さんの綺麗な顔が目の前に迫った。唇が触れそうで触れないような、ぎりぎりの場所で止まる。急展開と言えば急展開だけど、私の言葉はそういう意味でも捉えられてしまったようだ。このまま抱かれるのだろうか。この世で最も愛しく思っている人に何されてもいいと思っているけど、この人は後悔しないだろうか。偽りの婚約者という関係になった私と体を重ねて、面倒になったりしないだろうか。

「安室さんが嫌じゃないのなら」

薄く目を開いて、ぼんやりと彼の唇を見つめる。ゆっくりと近づいて、私たちの距離は0になった。


*


「あ!指輪!」

翌日、出勤した私に梓さんが詰め寄る。今までしてなかったのに、と言ってまじまじと指輪を見つめる。

「できるだけ嵌めて欲しいって言われて」
「わー!お熱い!」

嘘じゃない。昨夜、私の部屋で寝る前に言われたのだ。どうしても外すときはネックレスに通してとまで言われた。その時、わたしは以前もらった携帯電話のことを思い出していた。携帯電話も肌身離さず持っていてと言われていたけど、同じ役割だろうか?ぱっと見だと全く分からないけれど、どこかにGPSとかついてるのかもしれない。彼の言うとおりに、ずっとつけていようと決めた。

「式はされるんですか?」

この時間帯のシフトは梓さんと私の二人きりなので、好き勝手話しまくっていた。式の予定は立ててないし、おそらく挙げない。必要ないからだ。本当に入籍するわけでもないし。安室透と苗字名前で入籍ってできるのだろうか。私はもう苗字名前としての戸籍しかないけれど、安室さんは降谷零という戸籍を持っているはずだ。安室透の名前で入籍はないだろうな。入籍しましたと嘘を吐く機会はあるのかも。実際確認する人なんてほぼいないしね。

「ほら、わたしたち二人ともアルバイトだから。式を挙げる余裕はちょっと無いかなあって」
「そうなんですか」

29歳アルバイトと婚約したアルバイトの私。幸せの形は人それぞれだ。私はこの関係を、偽物だとしても、うれしく思っている。昨晩わたしを抱いた彼が、私を愛していなくても、私は幸せだった。それだけでいい。