06.逆立ちで走る

わたしの辞書に遠慮という文字はない。もしあったのなら、他人(または国)のお金でこんな自堕落な生活を罪悪感無しに送ってはいないだろう。とにかく遠慮はない。わたしが必要とする化粧品をリストアップして送った。全部デパコスにしてやった。数日後、全て宅配便で届いた。
一週間後、朝8時。安室さんが来た。わたしはいつも通り明け方まで録画してあったドラマの再放送を見ていたので、2〜3時間しか寝れなかった。これはわたしの生活リズムが狂いまくってるのが悪いので、文句は言わない。10時に出る、と言われた。この服を着てくれと渡されたのは、シンプルなブラウスとジャケット、タイトスカート。ストッキングもある。
自室で鏡の前に座る。先日自殺未遂と思われてうっかり流れてしまったが、髪を切るんだった。腰まである毛束を取って、鎖骨くらいでジャキッと切った。めちゃくちゃ気持ちいいな。大まかに全体的に短くして、サイドと前髪は整えた。後ろはどうなっているかわからない。ちょうどいいところに安室さんがいる。

「すみません、手伝ってもらっていいですか?」
「はい?」

わたしが大きめの声で呼ぶと、彼はひょこっと扉から顔を出した。そしてわたしの髪を見て、絶句した。

「切りたかったから切ったんです。後ろだけ適当に揃えてもらってもいいですか?」

はいもいいえも聞かぬうちに、彼の手にハサミを渡した。呆れた顔のまま、だけど丁寧に、安室さんは髪を整えてくれた。器用なひとだ。

「はい、終わりました」
「ありがとうございます。化粧しますね」
「そうしてくれ。リビングに居る」

彼はああ疲れたとでも言いたげな表情で部屋を出ていく。床にあらかじめ敷いてあった新聞紙の上、散らばった髪。片付けるのが面倒だとは思いつつ、人様の家なので、サクサクっと掃除する。与えられた化粧品を開封して、数ヶ月ぶりに化粧を施す。眉毛は命。まつげは宝。ノーメイクで過ごす日々が長すぎて、化粧後の顔がもはや懐かしい。こうしてみると、以前よりもたしかに結構痩せたかも。安室さんから渡された服を着た。スカートが緩かった。

「お待たせしました」
「まだ時間あるね。これを先に見てもらおうかな」

リビングでニュースを見ていた安室さんに声をかける。彼から渡されたのは白い封筒だった。中に厚めの紙が入っている。広げると、それは苗字名前の履歴書だった。

「そこに書いてあることをしっかり覚えておいて。君の人生だ」
「はい」

聞いたこともない学校を卒業して、聞いたこともない企業に就職して、退職して、現在に至る。これが苗字名前の人生か。現住所は東京都になっている。もしかしてこのマンションの住所だろうか?携帯番号もメールアドレスも見覚えがないものが記入されている。思い出したかのように、安室さんが一台のスマートフォンを机に置いた。

「これが君の新しい携帯。肌身離さず持ち歩くようにね」
「はい」

料金プランとか、どうなってんだろ。ひとまずありがたく頂戴する。

「そろそろ出ようか。まずは証明写真を撮りに行く」
「この履歴書に貼るんですか?」
「そういうこと」

どうやら、わたしは今から面接に連れて行かれるらしい。