70.緑色の道

「苗字さんのように上手に淹れれませんが」
「おいしいですよ」

カップケーキまで出してもらった。めちゃくちゃおもてなしされている。この子は初対面の自覚があるのだろうか。のこのこと着いて来て完全にくつろいでいる私に言われたくないかな。

「良ければ夕食も食べて行ってください。買ってきた総菜ばかりですけど」

そう言って彼は笑う。ありがたいお言葉ではある。家に帰って夕食の支度をするのはまあそれなりに面倒で。かつてはいつ安室さんが帰ってきても大丈夫なようにと一生懸命料理をしていたけど、今は自分しか食べないし。誰かのために作る料理はおいしかったけど、自分のためだけに作った料理は凝ったこともできずに、どこか味気ない。気を抜くとうっかりまた自堕落生活に逆戻りしそうだ。気を付けてはいるけれど、自分のだらしなさは自分がよーくわかっているんだ。だからとってもありがたいお言葉ではあったけれど、何度も言うように私たちは初対面のはずだ。彼はもうファミレスで二人で夕食を食べたコナンくんではない。

「どうしてですか?」
「えっ?」
「今日初めて会ったばかりなのに」

彼は意外そうな顔をした。どういう心境?

「あーっと、コナンから苗字さんに世話になったって聞いてまして」
「そんな。気にしなくて良いのに…」
「それと、とある人が気にしていたんです。あなたのこと」

とある人って。私のことを気にかけるような知り合いって、安室さんしかいないじゃない。なんだか少し泣きそうになって、下唇を噛んだ。

「探偵の仕事の時にすごく助けてもらった人で。その人に頼まれてたんです」

ちゃんとご飯を食べて、規則正しい生活を送っているか。たまには様子を見てあげてと言われたそうだ。保護者か。あと、隠す気が全くないということが分かった。

「頼まれたってことは、まだしばらくは帰ってこないんですね」

私がそう呟くと、気まずそうに目を逸らした。仕方ないことだ。まだ待てる。どれだけだって待てる。私のもとに帰ると言ったあの人を信じている。

「私は大丈夫だって、機会があれば伝えてくれる?ちゃんとやってるよって」
「わかりました。やっぱり連絡は取ってないんですね」
「連絡先を知らないの」

unknownと表示されたアカウントを見せる。工藤君はため息を吐いて、私に向き直った。

「名前さんってすごいよ。連絡もつかない上に音沙汰も無い人のことを待てるなんて」
「蘭さんも君を待ってたじゃない」
「俺は連絡も取ってたし」
「近くに居たものね」

にっこりと彼に笑みを向ける。一瞬時が止まって、あはは、と乾いた笑いを漏らした。近くにって、なんのことでしょう。工藤君は敬語に戻り、ごまかす。今更すぎるフォローだ。

「あれ?隠してるつもりだったの?コナンくん」
「ちが、いや、うーん…」

砕けた態度から、てっきりもう隠すつもりはないのかと思っていた。コナンくんとしてお世話になっていた蘭さんや毛利さんたちのように近しい人には一生隠し通すのだろうけど。微妙な表情を浮かべたままだったが、彼は否定するのをあきらめた。

「安室さんから聞いてました?」
「え?安室さん知ってたの?」

話がかみ合わなくて工藤君は頭を抱えていた。わたしが安室さんから何も聞いていないよと伝えると、コナンと俺がよくつながりましたねと言われる。

「どう見てもそっくりだし、口調も似てるし。出会ったころから、コナンくんは普通の小学生には見えなかったよ」

そう答えると、苦笑いを浮かべた。色々と自信を無くしてしまっていたら申し訳ない。わたしは高校生の君が小学生の姿になることを、君が産まれる前から知っていたなんて、口が裂けても言えない。彼と同じで、わたしには大きな秘密があって、誰にも知られないように生きてきた。そしてきっとこれからも、この秘密は誰にも打ち明けることなく、自分の中で小さく存在し続けるだろう。

「誰にも話さないよ。安室さんからも、彼の本当のお仕事に関連することは聞いてないよ」
「大丈夫です。名前さんを信頼しています」

私は安室さんから工藤君のことを聞いたことはないけれど、逆はどうなんだろう。あの人は、私について何か話したのだろうか。組織に関連すると言えば関連する出来事だった。殺されそうになって小学生くらいに縮んでしまったとか、そういう大きな話ではないけれど。わたしは人生をリセットしただけだ。

「安室さん、私について何か話してた?」
「名前さんについて?色々聞いたけど、何も教えてくれませんでしたよ」
「そっか」

それなら私も彼に話すことは何もない。安室さんが話さなかったと言うことは、そういうことだ。

「何かあるんですよね」
「どうなんだろうね」

工藤君が出してくれたカップケーキを食べる。おいしい。駅に入ってる洋菓子店のものだと気付いた。わざわざ買ってきてくれたのかな、なんて思った。コナンくんがポアロに一人で来るときはいつもデザートのサービスがあったから、そのお礼になるのだろうか。でもあれは完全にマスターの心遣いで、わたしが自腹を切ったとか、私のサービス精神から出されたものではなかった。ごめんなさい。黙っておこう。