71.時間厳守

あっという間に時間は経ち、彼が言った3ヶ月目もするりと超えて、彼が消えてから7ヶ月
。音沙汰無し。
工藤君はかつてのようにたくさんの事件を解決して、新聞の一面を飾ることもしばしば。2週に一度は彼の家で一緒に食事をする。工藤君に話したことはすべて安室さんに伝わっていると思う。私に連絡は取れなくても、彼とは取っているようだから。もちろん直接聞いたわけではないけど、工藤君が私の近況を聞きたがるのも不思議だと思ったからだ。安室さんに報告してるのかななんて考えていた。

「安室さん、まだ帰ってこなんですか?遅すぎません?」

シフトが被った梓さんが私に言う。ですよね、と相槌を打つ。婚約期間ってふたりでゆっくり結婚の準備を進める時ですよね?安室さんは何やってるんですか?と梓さんは少しばかり怒っているようだ。何やってるんでしょうねと返すと、瞳を潤ませて私の肩に手を置いた。

「名前さん、結婚してもポアロ辞めないでくださいね」
「ぜ、善処します」

果たして私は彼と結婚するのだろうか。


*

もう7ヶ月も一人で過ごすマンションの一室。彼が最後だと言った次の日、家から安室透の私物はなくった。彼が使っていた部屋に服の一枚も残っていない。ゴミ箱の中身すら空にして消えるという徹底ぶりに感心したほどだ。
洗面所にも、台所にも、玄関にも。彼がここで過ごしていた形跡が、すべて消え去っている。あの幸せな時間がまるで幻だったかのように。
でも、ここには私がいる。彼に愛された私が、彼が居た証だ。言いつけ通り肌身離さず着けている指輪、おかしな動機で贈られた8つのプレゼント。一番初めにわがままで揃えてもらった化粧品。毎日身に着けたり、私用するたびにあの人を考える。
思ったより長い。いつまでも待つし、いつまでも待てるけれど、予想したより長い。もっともっと時間がかかるのかもしれない。一年以上だってあり得るんだ。何か月、何年経ったとしても、私が好きなのはあの人だけだ。彼の気持ちはどうなるかなんてわからないけど、信じるほかないんだ。疑ってしまえばどこまでも疑うことができるけど、それで何になろう。彼が私のほかに愛する人ができたとしても、私に知らされることは無いのだろう。知らないままあの人を待つことが、私にとっての幸せになるのだろうし。無駄なことを考えて、変にショックを受けたりするのは疲れる。わたしは自分に優しいから、そんな大変なことはできない。ひたすら彼を待つことが、一番幸せで、一番楽な道なのだ。

(周りの人は大変だねって言ってくれるけど)

なにも大変じゃない。少しの寂しさに慣れてしまえば、辛くなんてない。ただ毎日をキチンと過ごしていくだけだ。いつひょっこり帰ってこられても大丈夫なように、自堕落な生活はやめて、毎日をこなしていけばいいだけ。何も大変じゃない。

早く帰ってきて欲しいとは思うけど、あまり願いすぎないこと。期待しすぎないこと。自分のためにそうするのが一番だ。ポアロで楽しく働いて、時にはお買い物に出かけて、ネイルして、蘭さんたちと話して。あっと言う間に時間は流れていく。
きっと彼も同じなのだろう。私が知るはずもない、降谷零としての仕事を一生懸命こなしていく毎日。忙しい日々だと余計あっという間に時が流れる。わたしのことなんて忘れてしまうほどかもしれない。ふと息を付ける時に思い出してくれればいい。工藤君から連絡も行っているだろうし、頭の片隅に置いといてくれればそれでいい。

(もう、寂しいとか、そういう話でもないな)

いないことが当然のような生活だ。単身赴任の夫が帰ってきたら鬱陶しいってのはよく聞く話だけど、理屈はわからなくないかもしれないなんて思った。居ない生活に慣れてしまったら、突然帰ってこられてもってこと?

(まだ結婚してもないのに"単身赴任の夫を待つ妻"の気持ちで居るなんて、図々しいかな)

今日の夕飯はペペロンチーノにする。明日は何の予定もないから、遠慮なくガーリックをしっかりきかせて作った。唐辛子も種ごと入れたからすっごく辛い。めちゃくちゃパンチの強いペペロンチーノになった。フライパンの上でソースとパスタを乳化させて、お皿に移すのが面倒だったのでそのまま食べた。これは自堕落のうちに入らない。洗い物を一つでも減らす工夫だ。
ぺろりと平らげて、ビールを一本だけ開ける。以前ヤケになって箱で買ったビールも残り8本だ。安室さんが居なくなってからも一人でちまちま飲んだりしてる。あの日から禁酒は解禁した。外で飲むのは恐ろしいので、家で一人飲みだ。

もうシャワーも浴びたし、酔いつぶれても問題ない。一人で飲むとすぐにお酒が回ってしまう。とろりとしたいい気分でいると、突然着信音が小さく響いた。慌ててスマホを探すけど、自室のカバンの中だと気付いたころに音は途切れてしまった。こんな夜に誰だろう。私の連絡先を知っている人なんて限られているけど。マスターか梓さんの可能性が一番高い。明日のシフト代わってくれって話かも。鞄からスマホを取り出して、通知を見る。非通知からの着信だった。不思議に思っていると、再び非通知から着信があった。

「もしもし」
「名前?よかった、出てくれて」

驚きすぎて返事ができなかった。安室さんだ。正しくは安室さんではなくなった人だけど、それ以外に呼べる名前がない。

「これから少しだけ会えないかな。近くを通るんだ。家にいるだろ?」
「い、今からですか?!」

化粧してないし、髪もセットしてないし、なによりも今のわたしはニンニク+アルコールのにおいがする状態だ。口から。最悪だ。タイミングが悪すぎる。

「都合悪かった?」
「そうですね、うーんと、ちょっとだけタイミングが微妙でしたけど、大丈夫です。支度します」
「20分くらいで着くから。じゃあ」

そう言って通話は切られた。20分。ニンニクの匂いにはりんごがいいって聞いたことある。ニンニクをたべた直後じゃないと効果ないかな?気休め程度に歯磨きとマウスウォッシュを入念にした後、リンゴを買いに行こうと眉毛を書いて上着を羽織った。あと12分。一番近いコンビニまで3分。往復6分。カットフルーツが置いてあるはずだからささっと食べよう。安室さんはここの部屋の鍵も置いていったし、入れ違いにならないように急ごう。
玄関の扉を開ける。施錠して、エレベーターを待つ。エレベーターって、こんな時に限って遅い。到着したエレベーターの扉が開く。足元を見ていたので、人が乗っていることに気付いた。顔をあげる。

「出かけるのかい?」

安室さんが乗っていた。