72.最悪の再会

突然現れた安室さんに驚き固まる。どうしよう。リンゴ買えなかった。静止したままの私の腕をつかみ、ずるずると部屋の前まで引きずられた。鍵、と言われて反射的に差し出す。彼が部屋のカギを開けて、そのまま部屋に入って行くのをぼーっと眺めていた。
パリッとしたワイシャツにネクタイをしめた姿は、見慣れない。7ヵ月ぶりの再会だと言うのに、わたしのコンディションが最悪で悲しい。どうしてニンニクたっぷり使ったんだろう。おいしかったんだよ。
彼の後を追い、私もリビングに入る。彼はきょろきょろと辺りを見回しながら、棚の引き出しなどを開けて何か探しているようだった。

「何かお探しですか?」
「ああ。男の形跡が残ってるかなって」
「はい????」

言われたことが理解できなくて、時が止まった。男の形跡?この部屋に?男?
この部屋に上がったことがある男性なんて、一人しかいない。目の前でおかしな発言をしている安室さん、まさにその人だけだ。そんなことこの人が一番わかってるはずなのに。もしかして、わたしは浮気を疑われているのだろうか。この部屋に他の男を連れ込んでいたと思われているのだろうか。あまりにも心外だ。

「そんな形跡ありません!どうしてそんなこと言うんですか!」

7ヶ月ぶりの再会が、こんなことになるなんて最悪だ。気分が悪すぎる。彼と喧嘩したことなんて一度もなかったのに、7ヶ月ぶりに会って喧嘩するなんて嫌だ。でも、めちゃくちゃ腹が立った。いつもより強めの声が出た。

「この時間で家にいるのに都合が悪いみたいだったし、実際どこかに行こうとしてた。僕に突然来られたら困ることでもあったんじゃないか?」
「外に出たのはコンビニに行くためです。そもそも20分って連絡してきたのに10分も早く着くなんて」
「証拠を隠されないために時間をずらした」
「初めから疑ってたんですか?信じられない!」

ひどすぎる。私は彼と会えない期間、どれだけ彼を待っていたと思うのだろう。長い期間だったけど、信じてひたすら待っていた。それなのにこの仕打ちだ。私の何が信じられないというのだろう。ポアロと自宅の往復生活だってこともわかってると思ってたし、工藤君からも「変わりない」と連絡が行っていたのではなかったのだろうか。都合が悪かったのは微かに残った乙女心のせいだ。コンビニでリンゴが買いたいだけだったのに、こんな展開になるだなんて誰が予想できただろう。色々な偶然が不運にも重なってしまって、誤解を招いたのだろうけど。そもそもすぐに「浮気」という概念が頭に浮かぶのが心外だ。許せない。カッと頭に血が上った。自室の扉を開けて、鞄に財布と化粧品と薄手のワンピースを詰め込んで飛び出した。

「どこに行くんだい」
「家出します。どうぞ私の部屋も隅々まで探してください。ご自由に」

ドカドカと荒々しく廊下を歩いて玄関に向かう。一番履きやすい靴を選び、部屋を出た。追ってこない。ここは追って来てよ!後ろから抱きしめて「ごめん、不安だったんだ」ってひとこと言ってくれればそれでよかった。それすら無い。めちゃくちゃに腹が立つと同時に、ものすごく悲しくなった。どうしてこうなっちゃうんだろう。なにもかも夕食にペペロンチーノを選んだ私が悪いのだろうか。ペペロンチーノは悪くない。おいしかったもん。

どこかのビジネスホテルに泊まろうか考えたけど、もしかしたら彼が探しに来るかもしれないという淡い期待を未だに抱いている。通りに面した24時間営業のファストフード店で待つことにした。わたしはあの人に甘いから、私を追いかけてきたあの人が、通りに面したカウンター席に座るわたしを見つけて、ごめんねって言ってくれたら。そこに愛の言葉のひとつでもかけてくれたら、コロッと許してあげるのだろう。「ごめん、不安だったんだ。愛してるよ」って言ってよ。そうしたらわたしも愛してるよって、お帰りなさいって言えるのに。



そこから6時間。彼が私を迎えに来ることはなかった。


朝4時過ぎ。まだ外は暗い。私の心も真っ暗だ。寝不足の頭で考える。あの男、どういうつもりだ。悲しいとかは、もう考えないことにした。ただただ腹が立つ。あの人、私のことを全くと言っていいほど信じていなかった。その事実と、迎えにも来ない=折れる気がないという考えに腹が立つ。めちゃくちゃむかつく。イライラする。最低!一時間に一回注文していたコーヒーも、4杯目を飲み干した。5杯目を注文しに行こうと席を立った時、嫌な感覚がした。

(明後日の予定だったのに!)

慌てて鞄を持ち、お手洗いに駆け込む。下着を確認すると、赤く汚れていた。私は滅多に生理周期が狂わない体質なので、油断していた。最悪だ。ひとまずその場しのぎでどうにかして、ファストフード店を出た。コンビニで生理用品と替えの下着と鎮痛剤を買って、空室のあるビジネスホテルを探して、そこまで移動する手間と時間を考える。絶対にマンションに帰った方がいい。自分のためにもそうするべきだ。必要なものは何もかもが揃っているし、そう遠くもない。すぐに着く。意地を張ってホテルを選んでも自分が面倒になるだけだ。家賃水道光熱費も全部安室さんに支払ってもらっているけど、あそこは私の家でもある。帰ってもなんの問題もない。プライドと戦っているのも馬鹿みたいだ。帰ろう。短い家出だった。4時間で終了するなんて。

マンションに着き、オートロックのエントランスのドアの前に立つ。ここにきて思い出したけど、鍵を持っていない。安室さんに渡したまま飛び出したから。クソすぎる。インターホンを鳴らす。明け方だけど、寝ていたとしても起きてもらうほかない。今日の私は苛立っているので、遠慮なんてない。しかし応答がない。居留守?それとも本当に留守?立ちすくむ私の背後からするりと腕が伸びて、カチリと鍵が差し込まれた。振り向くと、安室さんが立っていた。

「帰ってきたんだね」

タイミングが良すぎる。私が着いて1分もしないうちに、私と同じ場所に現れた。偶然とは言い難い。

ドアが開く。彼が進む。エレベーターの中に入り、乗らないの?と私に声をかける。そのまま一緒に乗り、無言で10階まで上がる。部屋の鍵を彼が開けて、私を先に入れてくれた。そのままさっさと上がって、自室に入り、替えの下着を持ってお手洗いに入る。その後は下着を手洗いして汚れを落とし、洗濯機に放り込む。リビングに鎮痛剤を取りに戻ると、安室さんがソファーに座ったまま私の方を見ていた。しかし何も言ってこない。彼が口を開かない限り、私も何も言わない。薬の入った引き出しを漁り、鎮痛剤を飲んだ。

「どこか痛むの?」
「生理痛です」
「だから帰ってきたのか」

全く悪びれる様子もない安室さんに怒り心頭だ。何なの?どうしてこんなにピリピリしてるの?早く自室に籠って寝てしまおう。もう5時近い。私が彼に返事をせずに、自室のドアノブに手をかけたところで、また安室さんが口を開いた。

「店で男の迎えを待ってたのかと思ったけど、来なかったね」
「はあ??」

つまり、私の後を追ってきたのはいいけど、それは謝るためじゃなくて。男が現れるのを待ってたということか。だからタイミングよくエントランスで会ったんだ。なるほど。なるほどじゃない。めちゃくちゃ腹が立つ。悔しい。口を開けば悔しくて泣きそうだ。それでも言ってやらないと気が済まない。
振り返って、彼に向き合う。泣きそうになると声が震えてしまう。悔しい。

「私が!私が待ってたのは、あなたでした!」

言い終わる前に片目からぽろりと涙がこぼれてしまった。ぐりぐりと乱暴に手で拭って、自室に入った。部屋に鍵なんてないから、悔しさと怒りの勢いのまま、ベッドを扉の前に動かした。重かったけど、案外どうにかなるものだ。そのままベッドに横たわり、目をつぶった。嫌というほど寝てやる。