さよならなんてしたくなかった
さよならすることを決めたのは、その季節はじめて桜が咲いた日のことだった。季節の移り変わりや植物の生きようとする意志ではなくて、マザートリガーが星の生命活動の一環として咲かせる桜に似た花を見たとき、鳩原未来は不意に思い出した。
帰り道、暗い夜道、街灯の白い光に照らされた桜の樹木に控えめに咲いた花を指差して、犬飼は「桜だ」とたのしげに笑った。
「この花見ると、受験生になった自覚が芽生えるよね」
「中三になったとき、あたしもそうだった」
受験生にならないことを―――ここで生きてはいかないことを決めた鳩原は、そんな過去の話をした。ははっと声を上げてわらって「おそろいじゃん」と目を細める犬飼の、鳩原と歩調を合わせる様子もなく自分が歩きたいスピードでふらふら歩く姿を斜め後ろから眺める。咲いたばかりの桜の花は風に煽られひとひら散って、彼の背中にふわりと落ちた。
一生散らなくていいのにな、とばかみたいなことを思った。花を咲かせ実を成し遺伝子を残そうとする意思も、ここではない世界へ飛び立とうとする意思も、全部閉じ込めてそのままアルバムの中に閉じ込めてしまいたい。離れがたいな、とひとりごちることさえできなくなってしまったという事実が、別れを象徴する花をせおった彼の背中を余計にとおく見せている。
ふたりのさよならは、花弁が落ちて葉が茂る、初夏のことだ。
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