ゆくえ


 群青色の雲のたなびく空に紫煙がとけてゆく。
「あ」
 おもわず漏れた間抜けなこえにゆるりと振り返り、ふうとしろい息を吐いてから、少し掠れた声で「はとはらだ」と彼は笑った。その仕草があまりにも自然だったので指摘するかは迷ったけれど、逡巡の末指摘しておくことにする。
「犬飼は未成年だよね」
「うん、同い年だからね」
 落ち着き払った仕草でこくりとひとつうなずいて、慣れた仕草でまたふうと息を吐き出す。まったく動揺するそぶりもない彼に、なんだか自分が間違っているような気もしたけれど、やはり念のため指摘しておくことにした。
「未成年の喫煙、だめ、ゼッタイ」
「ええ?」
 ふっとわらったあと、やはりそれも自然な仕草で携帯灰皿にとんとんと灰を落とす。うごきはいつもよりずっとゆるやかで、まるで燻る煙のために時の流れがほんのわずかに遅くなっているみたいだ。
「いわないでしょ? はとちゃんは」
「告げ口するかもよ。辻ちゃんに」
「あ、それいちばんいやかもしんない」
 とろけるような笑顔を浮かべて、「だまってて」なんて甘い声でねだる。顔をしかめて「なんでタバコなんて」と問うと、吸い始めたのは最近じゃないよ、なんて言葉が返ってくる。そういえば犬飼はいつもふわりとあまいような匂いがするので高い柔軟剤つかってるんだな、と単純に考えていたけれど、もしかすると匂い消しのための香水だったのかもしれない。
「息を」
 唐突に彼が言った。おもわずそちらを向くと、こちらを見ないまま群青色の空に雲のような白をたなびかせた犬飼が、ひどく静かな声で言う。
「息を、してる感覚があるんだよ。これ吸うとさ」
 ほら、いらないじゃない、とこっちを向いた犬飼は、いつもどおりのかわいい笑顔を浮かべていた。ひとの懐にたやすく入り込む、犬飼の武器のひとつ。それに騙されてしまったひとをあたしはたくさん知っていて、けれどその武器があたしはあまりすきじゃなかった。だまされてあげられないことに申し訳なくおもいながら、「プールにもぐっても同じ感覚になるとおもうよ」と指摘する。
「それもそうだね」
 喉の奥でおかしそうにわらいながら、犬飼は「吸う?」と一本あたしに差し出す。いらないよ、と拒否すると、「だーめ」とむりやり押し付けられた。
「口止め料なんだから」
「吸い方わからないんだけど」
「簡単だよ」
 残り少ない一本を灰皿にぐいと押し付けて、ケースの中から一本取り出す。慣れた仕草でライターに火を灯し、煙草の先をゆっくり焙る。燻るような細い煙の出る煙草をくわえ、息を吸う。
「火をつけて、吸って、吐く。それだけ」
 ふうっ、と、いやがらせのように白い息を吹きかけて、犬飼はわらった。いつもの武器の、つくろったようなかわいい笑顔じゃない、たのしくって仕方ないみたいな、そんな天真爛漫な顔で。
 まともに煙を吸い込んでしまったあたしは咳き込みながら犬飼を睨む。たまにひどいことをするけど、それでも犬飼を遠ざけたいとおもわないのは、きっとこの心底おかしくってたまらないみたいな無邪気な笑顔が可愛いからだ。
「じゃ、そのうち」
 手の中にある細い煙草を、ティッシュにくるんでポケットに突っ込む。うん、とにっこり微笑んで、唐突にまだ吸い始めたばかりの煙草の火種をぐいと消し、吸殻を無造作に放り込んだ。

「…………吸う気なんかなかったのになあ」

 ふうっとひとつ息を吐く。冬なのか、それとももともとそういう風土なのか、生まれ故郷よりも遥かに寒い気がする近界のとある星の、群青色の雲のたなびく空に紫煙がとけてゆく。


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